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「子の会 十周年ノ記」を読む

「短歌人会」メンバー有志の勉強会の十周年記念誌。

○巻頭にゲストとして四名の編集委員の五首+エッセイ。それぞれに含蓄がある。

木香薔薇を昏く描く画家あらわれて背中をみせてゆめに絵を描く/内山晶太「沸点」

ぐいぐいと音はせずともぐいぐいとうごくモビールの下に人待つ/生沼義朗「方位」

バスで離れた駅の歯医者に削られて麻酔の口で徒歩でかえった/斉藤斎藤「じりじりと待つ」

土地褒めとしてのマラソン目に映るものらを風とともに愛でつつ/本多綾「二○一八東北風土マラソン」

○「私の一首」ではメンバーが二○一七年に出会った歌を紹介している。どれも興味深く読みやすい文体で個性的な読みが紹介されていたが、中でも私にとってはじめての出会いだった歌、高澤志帆さんご紹介の

なにかしらひかりのごとき文字みえて多羅葉の葉は夜のなかにあり/西村美佐子

が印象的で鑑賞文も興味深かった。

○次なるコーナー「WEB歌会記」は最も面白く読んだ。忌憚のない意見が交わされつつも和気藹々とした雰囲気が良く伝わってきて羨ましくなるようだった。2018年5月21日(月)から月末まで+αというから比較的最近の記録だ。

○「二十首詠」はメンバーの作品。〈短歌人誌より、あるいは新作など〉とある

にんぐわつの桜冬芽はかたきまま艶めいてゐる雪をかぶりて/弘井文子「日々些末」

なんだか辛そうな、息苦しい歌が多い中で、写実的ながらどこか希望を感じさせるこの一首に心が留まった。

数学は嫌ひといつた女生徒にガロアの生涯教へくれしひと/柊慧「川村先生」

想い出の中の数学と数学教師を魅力的に描きだした連作。想い出とはいえ甘く流れず硬質で清潔なイメージなのは数学という教科のゆえか。

一夜にてあかきもみじは散りにけりそつと踏み入りやさしくなりつ/長谷川知哲「雨音」

家族との関わりを情愛深く詠んだ歌が素晴らしいが、かえって一首を選びにくく、上掲の作品を紹介する。「やさしく」は「優しく」でもあり「羞しく」でもあろう。繊細な歌。

秋好日三たび四たびと庭に出ですぢ雲の変容のさまを見つ/永井秀幸「庭すみのさくら大木 その他」

素直な詠風の作者。掲出歌はWEB歌会にも出されて「秋好日」がかたい、「三たび四たび」がいらないなどの評も受けていたが、私は一語も動かない秀歌と思う。気持ちがいい。

やあゐるねきのふとおなじその枝にかぼそい脚を垂らしてゐるね/辻和之「夏の雪」

一読、小鳥でもうたった歌かと思ったが、すると「脚を垂らして」がおかしい。他の作品との関連もみて読み返すと、この世ならぬもの、死者、あるいは死そのものに語りかけているようだ。優しく恐ろしい一首。

おそらく明治三十二、三年頃
駆落ちをして新宮を遠ざかる曾祖父母を射す峠の夕日/勺禰子「恋の顛末 ほか」

さながら歌人の「ファミリー・ヒストリー」といった趣の歌が前半に並ぶ。テレビ番組とは違って一族の歴史の大半は杳としてわからない。そこがまた良い。己が出自のどこかに駆落ちという恋の顛末があるのはどういう気分だろう。

人間と犬の違いを理解したといって宙さんは高笑いする/桑原憂太郎「宙さん」

「宙さん」という宇宙人と共同生活ののちお別れをするというSF仕立ての連作。コミカルな中に社会批評の毒が隠されている。

しろがねの匙にココアを混ぜるとき時計まはりに沈む渦巻/近藤かすみ「雪花菜」

日常の飲食にまつわることを丁寧に詠んだ歌が並ぶ。殊に掲出歌は、「時計まはりに沈む」という表現に眼目があり細やかな観察に瞠目した。

満州で将校務めし入所者は背筋を伸ばして「おはようございます!」/木村昌資「介護員室の窓から」

介護施設で働く主体の姿、目に映る物事が生き生きと伝わってくる連作。上掲の歌からは、長い年月を生きてきた入所者の物悲しいような折り目正しさと、それを見守る主体の優しさが感じられる。

空よりも濠にあかるき光あり夕べかがやく雲をうつして/青輝翼「青葦」

たしかな写生が魅力的な連作。空よりも濠にあかるい光が反射することなんてあるかな?と思うがこの連作の中に置かれていると説得力があるし、何よりも絵画的でうつくしい。

○近江八幡吟行合宿
2018年21日〜22日に行われた吟行合宿の記録。
とても楽しそうでかつ勉強になりそうだった。

2018年7月発行。





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