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死の側から生を視るということ 〜『時禱集』と『景徳鎮』~

         
はじめに

『時禱集』は二○一七年二月に刊行された三枝浩樹(一九四六年~)の第六歌集である。
『景徳鎮』は二○一七年三月に刊行された大辻隆弘(一九六〇年~)の第八歌集である。
この二歌集はほぼ同時期に刊行され、「死」を扱った多くの歌が収録されていること、著者の職業(教員)などの共通項をもつ。(三枝は二○○九年退職)。
『時禱集』の集題はリルケの『時禱詩集』を意識したもの、『景徳鎮』は中国の青磁器産地の名前だという。
本稿では主にこの二歌集における死と生そして自然の描かれ方に着目していきたい。

若き生と死、多数の死

岡真史を書架より持ちてゆきたる子十四の眸(め)のいかにか渉る      『時禱集』(一)

巻頭の一首である。岡(おか)真史(まさふみ)は一九七五年に十二歳で自死したのち遺作が『ぼくは12歳』という詩集に纏められた少年であるが、現在、それほど人口に膾炙しているとはいえない人名を巻頭に据えたことの意味は看過できない。岡をモチーフにした作品は歌集の後半にも何首か収められ、彼への心寄せがかりそめならぬものであることがわかる。三枝には二○○○年刊の第五歌集『歩行者』にすでに「岡真史再読」という一連があり、前書きとして「『ぼくは12歳』は私の愛読書のひとつである。わが内なる少年との対話とおそらくは並行しているにちがいない。鈍磨してゆく感性を映し出す鏡としても真史少年の言葉はいつまでも色あせない。」と記している。

身の処し方がわからなかった十二歳 何よりきみの問いのまなざし   『時禱集』(二)

 つまり、稚き死者からの「問いのまなざし」をおりふしに感じながら生きているということであろう。それは、岡真史という一人の死者からの問いにとどまらず、多くの死者、とくに若き自死者たちからの問いなのではないだろうか。そしてまた、『歩行者』に記されているように作者自身の中に住む少年の心が問いかけている問いでもあるにちがいない。生きるとは、死ぬとは、そして真実とは何かという問いであろう。
さて(一)は、十四歳の子が岡の詩集を持って行ったという歌であり、思春期の心の動きを鋭敏に感受しようとしている。ここでの「子」はわが子のことと思われるが、こうした感性は教員として、スクールカウンセラーとしての歌にも伺える。

或る痛ましい過去をもつ少年に
きみの中の花瓶は修復できるから なずなすずしろを摘みにいこうか   『時禱集』(三)
こころひそかに病む子に向かう日々にして学校はまだ雲になれない      同 (四)

 (三)の歌の包み込むような優しい雰囲気は、下の句の語りかけのあかるさもさることながら、上の句の「きみの中の花瓶」という比喩から少年の心の内側を注意ぶかく見守る様子が伝わることから、かもしだされている。
 (四)での比喩「学校はまだ雲になれない」は学校というもののある種の硬直性を遠まわしに嘆くものとなっている。そしておそらく自らが雲のような存在として「病む子」と関わりたいと願っている。

 『景徳鎮』で、

年稚(わか)くしかも拙く逝きにしを繰り返しくりかへし歌ひき        『景徳鎮』(五)

 とあるのは、土屋文明の歌集を読んでの感想と思われ、『景徳鎮』では若い生と死との関りはあまり詠まれていないが、子を見守るまなざしは、

先輩に敬語をつかひ侘びてをりあかつきに子の寝言を聞けば       『景徳鎮』(六)

 などにあわれ深い。

差別語がひとつ響いてをろをろとうろたへてをり教壇のわれは     『景徳鎮』(七)

 という歌は、十分にベテランといわれるであろう主体であっても、生徒にうろたえさせられる場面を活写している。

 そしてまた『景徳鎮』には「多数者の死」や「『正義』に殺された命」に対する心寄せの歌が多くある。

生き残りたる者の聡明を讃ふるは死にたる者を蔑むごとし       『景徳鎮』(八)
わが父のひとつなる死と数限りなき者の死と軽重あらず          同  (九)
類推をする他はない無数なる溺死も放射能汚染死も            同 (十)

 (八)ではおそらく東日本大震災の報道への違和感が歌われている。(九)(十)は父の看取りの歌とともに並べられていて、「ひとつなる死」を前にして「数限りなき死」に思いを致す敬虔さとでもいうべきものが印象深い。

さびしいと言ふのは罪かウサマ・ビン・ラディンしづかに殺害されて  『景徳鎮』(十一)
容疑者のままに逝かしめたりしかば正義は遂に成就されたり       同 (十二)

 三枝が岡真史から「問い」を感じたように、ここで大辻はアメリカ同時多発テロをはじめとする数々のテロの首謀者と「される」人間の死から「正義とは何か」という問いを受けとっている。

挽歌と看取りの歌と

しめやかな雨が濡らせるさくらばな母の逝きたるこの夕つ方  『時禱集』(十三)
義母なりしきみをかなしむ 掃き寄する桜紅葉は日々色づきて     同   (十四)

 これらの歌は、生ある自然と死者との対比といった単純なものではない。いうなれば自然によって死者と死者をを悼む気持ちが照らし出されて、くきやかに浮かび上がっている。
(十三)の「さくらばな」(十四)の「桜紅葉」はこの世ならぬ美しさを帯びているであろうものとして読者に迫ってくる。死者がもう視ることができないはずのものであるのに、死者とともに視ているような、そんな気持ちにさせられる。

父のなき息子となりて花桃のひえびえと咲く白に逢ひたり       『景徳鎮』(十五)

 (十五)は(十三)(十四)の歌に似たところがある。あるいは挽歌というものの一典型であるかもしれない。
 しかし、『時禱集』と『景徳鎮』の大きな違いは、『景徳鎮』が看取りの日々を丁寧に詠んでいるところである。

粘着ける入歯を外しやりたれば頬(ほ)のゆるぶまで病み呆けにけり    『景徳鎮』(十六)
梅もうぢき咲くで、と告げぬ垢づきて乾ける父の耳に向ひて      同   (十七)

 このように死にゆく者の姿を詠んだ歌は、『時禱集』にはみられない。もしかしたら看取りの日々はなかったのかもしれないが、たといあったとしても、(十六)のようなある種容赦ない老いの描写はなかったのではないかと、歌集全体から見て推察される。
野口あや子が「猥雑なものを濾過するような澄んだ歌いぶりだ」(『現代詩手帖』二○一七年七月号「うたの聴こえるところまで」より)と評したように、美しくないものは詠まない、という意志が感じられる歌集だからである。それが魅力でもあり、ある種の読者にとっては物足りなさを感じるところであるかもしれない。

静かな生活と死者からの視線

ああ夏が終わると小(ち)さき息をしてひきかえす逆光の木の葉透く道    『時禱集』(十八)
秋の一日(ひとひ)のひそかな暇(いとま) ビーズ編むかたえにわれはしばし憩える      同(十九)
コーヒーを淹れて飲む間の語らいの静けさ部屋に日は移り来ぬ       同(二十)
百葉箱のような人生という比喩がほんのり浮かぶ そうでありたい     同(二十一)

 『時禱集』において「生きる」とは移ろう自然と呼吸を合わせて「静かに生きる」ことのようである。少なくともそれが理想なのであろう。ときに独りで。ときに大切な家族と身を寄せ合うようにして。
(十八)~(二十)に描かれているのは、まるで先に世を去った者たちからいつくしみ視られているような光景である。
(二十一)について『短歌研究』二○一七年七月号の「作品季評」で大辻隆弘は次のように述べている。

百葉箱というのは学校の中庭などにぽつん  
とあって、湿度とか気温を測って働いてい 
て、静かに時の移りを見つめている。誰か
らも注目されるわけじゃなくて、気づけば
そこにある。そういう自分でありたいとい      
う意識ですよね。(後略)

逝きにしをなべて親しとおもふあさ木立ダリアの花かげを過ぐ 『景徳鎮』(二十二)
通勤はわが旅にして朝霧のいまだ漂ふ谿ひとつ越ゆ          同  (二十三)

(二十二)(二十三)のように、大辻もまた死者を親しく感じつつ、あわただしいであろう通勤をも静謐な歌にしている。

自然詠と宗教観

静かで美しい自然詠の多さも二歌集の共通点であるが、『景徳鎮』では自然を外側からスケッチしているのに対して、『時禱集』の歌は自然を自己との関りにおいて詠み、自然の内側に身を置いた視点から歌っているものが多いという違いがある。例をあげる。

花水木けふくれなゐにもみぢして夕べの朱(あけ)と交らへる窓       『景徳鎮』(二十四)
雨の日はつばさたたみているような親しさに立つ庭の櫟(くぬぎ)よ      『時禱集』(二十五)

 それは、三枝がキリスト者であるということと無関係ではないかもしれない。前項で、「死者からの視線」ということを書いたが、三枝にとって死者以上に自分を視つめていると感じられるのは、神であろう。

自然というもっともあらわな被造物ひとりのわれをひとりに返す  『時禱集』(二十六)
隠れる場所はどこにもないということに気づく 群青に澄む空の下     同(二十七)

(二十六)(二十七)は集中に並べておかれているが、まさに神に造られ、視られている存在としての自然と自己が意識されている。

いっぽう大辻は

葡萄酒に浸しし麺麭を肉と呼ぶかかる思想をわれは好まず      『景徳鎮』(二十八)

 と詠む。(二十八)は、キリスト教の聖餐式の思想への批評であり、ひいてはキリスト教そのものへの批評的立場を表明した歌であろう。

おわりに

 三枝浩樹は自らあとがきに記すことばによれば「無神論の時代」に生きているのだが、彼自身は無神論の世界を生きてはいない。だがそのことをむきだしの違和感として表現せず、寧ろおだやかで静かな祈りとして差し出しているのが『時禱集』の特色である。
 『景徳鎮』の後記には「多忙ではあるが、どこか空漠とした日々の時間のなかで、私はこれらの歌を紡いできたような気がする。」と綴られている。いやおうもなく過ぎる毎日の生活のなかで、父を看取り、悼み、多数の死や他者の死についても思索をやめない歌集である。
 この二歌集からは、自然や静かな生活の尊さを丁寧に詠む姿勢と、哀しみを深く哀しみ、死別の悲哀を通して生の世界を深く視ようとするまなざしに、歌人の誠実な姿勢が感じられ、それゆえにどちらも読者の心に響く歌集となっている。

「短歌人」2018年10月号掲載

#短歌 #評論 #短歌人

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