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横山未来子の歌集を読む~主に『とく来りませ』のテーマと文体について~

歌集『とく来りませ』は2021年(令和3年)4月3日発行。砂子屋書房の「令和三十六歌仙」シリーズの一冊である。横山未来子(1972年~)の第六歌集にあたる。

横山の第一歌集『樹下のひとりの眠りのために』(1998年)、第二歌集『水をひらく手』(2003年)は相聞歌の多い歌集であった。

君よりのただ一枚の絵葉書の靄める街をひき出しに持つ

『樹下のひとりの眠りのために』

君ゆゑに独りのわれか繰りかへし硝子にあたる蜂の羽音す

『水をひらく手』

初期から完成された文語によってうたわれる「君」への思いが瑞々しい。

第三歌集『花の線画』(2007年)、第四歌集『金の雨』(2012年)では、あらわな相聞歌は影を潜め、動植物への細やかな観察や人生への洞察が深まりを見せる。

咲き重る桜のなかに動く陽をかなしみの眼を通して見をり

『花の線画』

見上ぐれど見えぬ花あり根方より離るるわれへ香は追ひつきぬ

『金の雨』

 端正な文語文体はそのままに、重みと落ち着きが加わっているように思われる。なお、『花の線画』は第四回葛原妙子賞を受賞している。

第五歌集にあたる『午後の蝶』(2015年)は、ふらんす堂ホームページに2014年1月1日から12月31日まで連載された「短歌日記」をまとめたものである。新しい素材として自らがたしなむ書道の歌が見られるほか、第一歌集から見られる愛猫の歌も多くある。

筆置けばしづかなる部屋あたたかくねむれるものの息聞こえ来ぬ

『午後の蝶』

満ち足りた静かな瞬間が聴覚的にとらえられている一首。

さて、『とく来りませ』である。

先の五冊の歌集と同様に、文語・旧仮名による作品が、461首収録されている。

裸足にて過ぐす宵なりひとつづつくうを伝ひて花火ひびき来

『とく来りませ』

 巻頭歌。皮膚感覚(裸足にて)→時間感覚(宵)→身体感覚と聴覚(空を伝ひて~ひびき来)を駆使して夏のひとときを把握した完成度の高い歌だが、読者に技巧を感じさせない。二句切れという力強い韻律を用いているにもかかわらず、強烈な印象を与えない。歌集の特色をよく表した一首だ。

老い人がをさなきものに教へゐる草の名きこゆ塀をへだてて

『とく来りませ』

塀を隔てて姿の見えないところで老人が幼児に植物の名前を教えている。これも聴覚に訴える歌だ。

 ふたりならむこゑの笑へりきくきくとぶらんこ軋む音のあたりに
 時の間のまぼろしのごとをさなごの性をわかたぬこゑひびくなり

『とく来りませ』

これらは子どもの声。(そしてブランコの音)。

 虫の音の止むしばしあり街灯の輪のなかにゐる蟇のみじろぐ
 夜の蟬のひづめるこゑに啼きたるをまぢかく聞きてねむられずをり

『とく来りませ』

小動物の声に耳を傾けている二首。

  いま別れ来たりしひとのこゑのこり夜の白雲は街のにあり
  虫の音のあつまる闇をいくつ過ぎ帰らむ場所はつねにおなじき

『とく来りませ』

並んでいる二首だが、聴覚的な上の句から思索的な下の句に移る構造が似ており、かつ二首目に思索がより深まる。

ここまで「こゑ」「音」などの歌を見てきたが、次の二首は表題に関わる作品であり、歌集のテーマのひとつが表れている。

 

退りゆく風景のなか讃美歌をうたふ人びとの口のかたち見つ

『とく来りませ』

 星明り強かりし世よただ一人のひとに呼びかく〈く来りませ〉

『とく来りませ』

遠ざかっていく風景の中に讃美歌を歌う人々がいる。「口のかたち見つ」だから視覚が優位のようにも思われるが、讃美歌は耳にも届いているはずである。その讃美歌のことばが、すぐ次の一首にある〈疾く来りませ〉である。「星明り強かりし世」とは現代よりも夜の闇が深かった時代のことだろうか。「ただ一人のひと」はキリスト者にとっての救い主、イエス・キリストだろう。

 横山が短歌に出会った時期は、信仰を持った時期に重なる。三浦綾子の小説『道ありき』を読んで感銘をうけ、『道ありき』に収められた三浦の短歌に心を捉えられたという。それから二年ほど経って、プロテスタントの洗礼を受け、短歌を作り始めた。このことは『セレクション歌人 横山未来子集』(2005年)に書き下ろされた「届けられた手紙」という文章にすでに書かれている。

 「キリスト者は、キリストの手紙である」と言われる。新約聖書コリントの信徒への手紙二・三章三節から来た言葉で、キリストを信じるものの生き方によって、周りの人々がキリストの存在を知るという意味なのだろう。三浦さんは私にとって、不意に届けられた「キリストの手紙」であり、また、短歌というものを教えてくれた「手紙」でもあった。
 三浦さんのような立派な「手紙」になることは私にはとても無理だが、手紙が受け取るひとの存在を信じて書かれるものであるように、私も私の歌を読んでくれるひとの存在を信じて、独り言にならない歌を作ってゆきたいと思っている。

「届けられた手紙」

 このように綴ってはいるが、横山の歌集には「キリスト者として」作っている歌は一見少ない。

 もういちど振り返ると、第一歌集はほぼ相聞の歌集と読めるし、第二歌集も、聖書のモチーフが数回見られる程度で、それも信仰者としての立場を前面に出したものではない。

  休むべき樹の見えざれば方舟に戻りきといふ鳩のさびしも

『水をひらく手』

第三歌集・第四歌集にみられるキリスト教を題材にした作品も、数少ない上に絵画や映画を鑑賞した上で作られた、いわばワンクッションおいたつくりになっている。

  師の頬に接吻をせる姿にて師を売りし男ゑがかれてをり

『花の線画』

  キリストの顔は映らぬ映画にてをさなごと話すこゑしづかなり

『金の雨』

 第五歌集では短文の部分に聖書の引用が多くあるが、短歌そのものにキリスト教的・信仰者的表現が含まれているのは数首にとどまっている。12月24日分の、「プロテスタントの洗礼を受けてから二十二年目のクリスマスが来る。」という短文に続いた一首、

  〈わが君〉とそのひとに呼びかくる歌をうたひき朝陽さす礼拝堂に

『午後の蝶』

 が珍しい信仰の歌であり、句またがりと字あまりを用いた破調の韻律もあって、横山の歌にしては強い印象を受ける。

 この歌が第六歌集『とく来りませ』への重要な橋渡しの一首になっている可能性もあるが、とにかく第五歌集までの横山は直裁に信仰を歌うことに非常に慎重で抑制的であったといえる。

 信仰を表現する歌が数少ないのは、『とく来りませ』でも同様ではある。この歌集で第八回佐藤佐太郎短歌賞を受賞したことを受けた「現代短歌新聞」116号(令和3年11月)でのインタビューの中で、

信仰に関する語彙を、単なる素材のように気軽には使いたくないと思っていますので、数は少ないほうかもしれません。作歌の際に信仰をあえて意識することは少ないのですが、作品から自然と感じ取ってもらえるものがあれば、と思っています。

「現代短歌新聞」116号

 と自ら述べている。一つの見識だろう。しかし、歌集タイトルを信仰色の強いものにしたというのは、やはり大きなことである。佐藤佐太郎賞選評で、秋葉四郎が、

 ただ歌集名にはいささか抵抗があった。基督者としての気持ちは十分に解るが、ここは抑えて暗示的に行くのが純粋詩短歌には求められるのではあるまいか。

「現代短歌」2022年1月号

と書いているが、横山ならそのような反応は予測できたであろうし、何よりも以前ならはじめからこのようなタイトルを選ぶことはなかったと思われる。

 歌集名は、歌集のテーマに大きく関わると私は考える。

 『とく来りませ』には父親への挽歌や、横山に洗礼を授けた牧師を偲ぶ歌などがある。

  緑の蟬わが庭に来てやすみをり父の逝きたる文月のゆふべ
  五十二年の伝道の日日のあるひと日わがに水を注ぎたまひき

『とく来りませ』

そして横山自身が、人生の後半を生きていること、老いてゆくことを意識している次のような歌々がある。

  てのひらに重みをうけて硯あらふひとときよわが後半生の
  白黒の映画にとほきものとして見てゐし恋の齢となりぬ
  あけゐたる窓ゆ夕蟬のこゑは入り子供にあらぬわれに夏来ぬ
  ひとの世の半ばを過ぎて早春の檸檬三つは手にあふれたり
  いづくにか雨降りいづる匂ひせり四十五回めの夏の日昏れを
  夕顔のひらくを見たる夜ありきわれに十代のからだ在りにき
  生くる者に時間は流れ厨にはブロッコリーの湯気のにほひす

『とく来りませ』

 こうした、老いや、死への意識の深まりが通奏低音のように歌集の中を流れ、ひとつのテーマとなっている。そこから自ずと人生の基盤である信仰を前面に打ち出すタイトルが選ばれたのではないだろうか。

 本稿の前半で「こゑ」や「音」の歌に注目したが、久保田利伸のコンサートを聴いた折りの次のような作品もある。

  眉よせてさらに高きへ至りゆくこゑを生みゐるひとの肉体
  若き日のこゑと三十年のちのこゑを聴くなりこの夜にゐて
  時はひとしくわれにもりてあたらしきあしたに濡るる椿の葉見ゆ

『とく来りませ』

 聴覚を契機として時間、人生への思索を深めている。

 横山未来子『とく来りませ』の短歌のテーマは後半生を生きる意識、文体は五感なかでも聴覚に訴えかけるきめ細やかで、かっちりした文語である。これらの特色は、たいへん魅力的ではあるが、いっぽうで読者をゆさぶったり、参加させたりする余地が少ないようにも感じられる。

 『とく来りませ』以降の横山は、どのようにテーマと文体を深め、または変化させていくのだろうか。


※第五十回(2024年)短歌人評論・エッセイ賞応募作品

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