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私の足跡『たびらのたび』

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ノンフィクション小説形式でお届け! 大学時代に核問題を学んでから、被爆体験を継承した「次世代の語り部」としての旅の足跡を書いています。 語り部をやっている若者や仕事と両立しながら…
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#講話

第6章 命日 ④「みんなと給食を食べながら」

第6章 命日 ④「みんなと給食を食べながら」

 講話が終わり、先生のお計らいで給食を児童の皆さんとご一緒させていただくことになった。
 メニューは野菜サラダにハヤシライス、ケーク・サレ[1]というマフィンのような見慣れない食べ物だった。
 先生に聞いてみると、どうやら近々ラグビーW杯のフランスVSトンガ戦が熊本で開催されるとのことで、フランスの食べ物が給食に出たということだった。

 給食を食べ終え、学校を出発する時間になった。
 最後に子供

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第6章 命日 ②「私の言葉、子供の視線」

第6章 命日 ②「私の言葉、子供の視線」

 いよいよ話が終わりに近づき、メモを取る手を止めてもらい、前を向くように言った。

 「今日、何月何日ですか?」
 正しく答える子や1日ずれた日を答えた子、何日だっけなと考えている子もいた。

 「実は、2年前の今日、勲さんはお亡くなりになりました」。
 ―児童たちの目つきが変わったようだった。教室は静まり、みんなが私の方を見た。

 「ですから、今日は天国にいらっしゃる勲さんのことも思ってくださ

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第6章 命日 ①「勲さんに捧げる講話」

第6章 命日 ①「勲さんに捧げる講話」

 2019年10月上旬、私は熊本県球磨(くま)郡水上(みずかみ)村にいた。人吉駅から路線バスで1時間のところにあるこの村は、田んぼと畑が多くある盆地だ。きれいに澄んだ秋の空に緑の山々が美しく映えている。
 私はこの村の小学生に講話をするためにやってきた。

 奇しくも、この日は勲さんの命日であった。そんな日に講話をさせていただくことになり、不思議な感覚になった。天国にいらっしゃる勲さんに思いを馳せ

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第5章 長崎 ⑥「先生や父兄も巻き込んで」

第5章 長崎 ⑥「先生や父兄も巻き込んで」

 そして次に、学校での講話をさらに進化させることである。具体的に言えば、ただ被爆者の話をして生徒の質問に答えて終わるのではなく、事前の打合せ時点から単なる講演を超えた時間になるように先生と相談し合うということだ。

 また、講話には可能な限り保護者にもご来校いただき、先生・生徒・保護者・証言者の全員で原爆や戦争、平和について学び考えていくようにできたらどうかと考えている。
 実際これまでに2校の中

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第5章 長崎 ⑤「もっと講話しようよ!」

第5章 長崎 ⑤「もっと講話しようよ!」

 だから、私は提案したい。

 まず最初に、長崎原爆資料館での講話の機会を増やすことだ。

 現在原爆資料館では月に二度、第二木曜日と第四日曜日に定期講話をやっている。これは、主に資料館を訪れた人に向けたもので、講話者の友人・知人も見に来る。
 講話デビューをした証言者なら誰でもできる。定期講話は1時間、2人の証言者が30分ずつ講話を行う。

 私達証言者が原爆資料館で講話をするのはこの機会くらい

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第4章 出発 ⑪「見えないチームワーク」

第4章 出発 ⑪「見えないチームワーク」

 ところで、被爆体験講話は決して一人ではできない。原稿を書くこと、派遣先に行くこと、そして人前で話すことは自分一人で行う。しかし、その過程には多くの方々の支えと手助けがある。

 まず第一に被爆者の存在だ。被爆という大変おつらい経験を私達に語り継いでくださる。
事業の担当者は講話原稿の添削とアドバイスを、必要に応じて被爆当時の写真や資料等を提供してくださる。
 講話デビューが決まったら、直前にプロ

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第4章 出発 ⑨「驚きの再会」

第4章 出発 ⑨「驚きの再会」

 ところで、講話での出会いは行く先々の先生方や生徒達だけではない。すごい偶然で出会った人をご紹介したい。

 2019年8月9日、この日は長崎に原爆が投下されてから74年の日にあたる。
 私は長崎の北西にある壱岐島にいた。高校の登校日に行われる平和集会で講話をするためだ。
 長崎に生まれ育っていながら、壱岐に行くのは初めてだった。美しいエメラルドグリーンの海と、心地良いそよ風に癒されながら、前日の

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第4章 出発 ⑧「眠くならない講話、だそうで」

第4章 出発 ⑧「眠くならない講話、だそうで」

 感想文ではないが、講話をした学校の先生から生徒の様子を教えてもらったことが2回あった。
 2019年5月中旬、奄美大島の中学校で2年生に向けて講話をし、3か月後に学年主任の先生と生徒全員からの感想文をもらった時のことだ。読みながら思わず笑ってしまったのは先生からのお手紙だった。

 「修学旅行で行った原爆資料館では、田平さんが講話で使った(原爆資料館にも展示されている)資料を見つけて『これだ!』

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第4章 出発 ⑦「15歳で使命を自覚した女の子」

第4章 出発 ⑦「15歳で使命を自覚した女の子」

 こうして講話を終え、学校によっては生徒に感想文を書いてもらい、後日郵送していただく。

 何よりも一番嬉しい感想は「勲さんが大事にしていた『戦争ほど残酷なものはない、戦争ほど悲惨なものはない、平和ほど尊いものはない』という言葉が一番心に残った」というものだ。
 私の役割は勲さんの被爆体験と平和への思いを正しく伝えることにあるから、このような感想をいただくことは、証言者冥利に尽きる。

 その次に

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第4章 出発 ⑤「素朴な問いこそ悩ましい」

第4章 出発 ⑤「素朴な問いこそ悩ましい」

 そうして練り上げた講話をおよそ30分して、その後は質疑応答に移り、生徒代表の感想・終わりの言葉で締めるという流れが基本だ。

 講話は通常1コマの授業時間(45分~50分)を丸々使う。中には2コマ使って前半を講話、後半をディスカッションということもあった。50分講話をしてくださいという依頼もあった。そんな時は、核問題の基礎知識や核兵器の歴史など、現代の問題に直結する話を加えた。

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 個

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第4章 出発 ④「小学生でも理解はできる」

第4章 出発 ④「小学生でも理解はできる」

 ちなみに小学生全学年への講話は、2019年8月に宮崎県西都市の小学校で行われた、登校日(平和集会)の中でのものだ。講話に先立って校長先生が戦争や原爆のお話をしてくれたから、それを踏まえての講話となり助かった。
 質疑応答では高学年のみならず、1、2年生からも多く手が挙がった。時間の関係で全てに答えることはできなかったが「広島の原爆では何人くらいが亡くなったのですか?」と1年生の男の子が質問してく

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第4章 出発 ③「内容変えず、言葉を変える」

第4章 出発 ③「内容変えず、言葉を変える」

 こうしていろんな土地に行けることを楽しみにしながら派遣していただく。派遣講話は、基本的に学校で行われる。対象は小学生~高校生と幅広く、例えば修学旅行の事前学習のようなケースでは一学年のみが対象になる。
 中には小学生全学年とか、高校生全学年といったこともある。たいてい、全学年が対象となるのは平和集会や夏休み中の登校日における講話だ。

 これの何が大変かと言えば、生徒の学習・理解度合いに大きな差

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第4章 出発 ②「初めて見た”栗”きんとん」

第4章 出発 ②「初めて見た”栗”きんとん」

 さて、講話のことを書いていこうと思うが、数十回にのぼる講話エピソードを一つ一つ書き連ねることは難しい。だから、自分の印象に残っていることを中心にしようと思う。

 まず講話をしていて一番良かったと思うのは、普段なかなか足を運べないところへ行かせていただくことと、講話後にたくさんの生徒から感想文をいただけることだ。
 県外講話は基本的に1泊2日、行き先と講話開始時間によっては2泊3日になる。私はせ

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第4章 出発 ①「講話依頼でわかっちゃう”やる気”」

第4章 出発 ①「講話依頼でわかっちゃう”やる気”」

 講話デビューを終え、年明けの2019年1月21日、最初の県外講話をお引き受けした。
 場所は滋賀県米原市、全国の自治体職員向けの平和・非核に関する研修会で、その一部に被爆体験講話が入った形だった。対象は平和行政を担当する公務員および地元・米原市民の皆さんで、聴衆は100名。
 この時の様子をYouTubeでシェアしておきたい(0:00~3:15)。

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 私達証言者は、国立長崎原爆追悼平

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