マガジンのカバー画像

私の足跡『たびらのたび』

45
ノンフィクション小説形式でお届け! 大学時代に核問題を学んでから、被爆体験を継承した「次世代の語り部」としての旅の足跡を書いています。 語り部をやっている若者や仕事と両立しながら…
運営しているクリエイター

#証言者

第4章 出発 ⑪「見えないチームワーク」

第4章 出発 ⑪「見えないチームワーク」

 ところで、被爆体験講話は決して一人ではできない。原稿を書くこと、派遣先に行くこと、そして人前で話すことは自分一人で行う。しかし、その過程には多くの方々の支えと手助けがある。

 まず第一に被爆者の存在だ。被爆という大変おつらい経験を私達に語り継いでくださる。
事業の担当者は講話原稿の添削とアドバイスを、必要に応じて被爆当時の写真や資料等を提供してくださる。
 講話デビューが決まったら、直前にプロ

もっとみる
第4章 出発 ⑩「電話越しでも再会」

第4章 出発 ⑩「電話越しでも再会」

 「まあ、小さい学校やったし覚えとるよ!あと『由布子(ゆうこ)』って名前が珍しくて記憶に残っとったんよね。あの漢字で『ゆうこ』ってなかなかないけんさ。
 それから長大に行ったろ?長大に行った、今26歳、田平由布子…『あの』田平さんやなって」。

 当初、被爆体験講話だから被爆者が話をするものだと思っていたらしい。だから私のことを高校時代の教え子ではなく、田平由布子と同姓同名である被爆者のおばあちゃ

もっとみる
第4章 出発 ④「小学生でも理解はできる」

第4章 出発 ④「小学生でも理解はできる」

 ちなみに小学生全学年への講話は、2019年8月に宮崎県西都市の小学校で行われた、登校日(平和集会)の中でのものだ。講話に先立って校長先生が戦争や原爆のお話をしてくれたから、それを踏まえての講話となり助かった。
 質疑応答では高学年のみならず、1、2年生からも多く手が挙がった。時間の関係で全てに答えることはできなかったが「広島の原爆では何人くらいが亡くなったのですか?」と1年生の男の子が質問してく

もっとみる
第4章 出発 ③「内容変えず、言葉を変える」

第4章 出発 ③「内容変えず、言葉を変える」

 こうしていろんな土地に行けることを楽しみにしながら派遣していただく。派遣講話は、基本的に学校で行われる。対象は小学生~高校生と幅広く、例えば修学旅行の事前学習のようなケースでは一学年のみが対象になる。
 中には小学生全学年とか、高校生全学年といったこともある。たいてい、全学年が対象となるのは平和集会や夏休み中の登校日における講話だ。

 これの何が大変かと言えば、生徒の学習・理解度合いに大きな差

もっとみる
第4章 出発 ②「初めて見た”栗”きんとん」

第4章 出発 ②「初めて見た”栗”きんとん」

 さて、講話のことを書いていこうと思うが、数十回にのぼる講話エピソードを一つ一つ書き連ねることは難しい。だから、自分の印象に残っていることを中心にしようと思う。

 まず講話をしていて一番良かったと思うのは、普段なかなか足を運べないところへ行かせていただくことと、講話後にたくさんの生徒から感想文をいただけることだ。
 県外講話は基本的に1泊2日、行き先と講話開始時間によっては2泊3日になる。私はせ

もっとみる
第4章 出発 ①「講話依頼でわかっちゃう”やる気”」

第4章 出発 ①「講話依頼でわかっちゃう”やる気”」

 講話デビューを終え、年明けの2019年1月21日、最初の県外講話をお引き受けした。
 場所は滋賀県米原市、全国の自治体職員向けの平和・非核に関する研修会で、その一部に被爆体験講話が入った形だった。対象は平和行政を担当する公務員および地元・米原市民の皆さんで、聴衆は100名。
 この時の様子をYouTubeでシェアしておきたい(0:00~3:15)。

***

 私達証言者は、国立長崎原爆追悼平

もっとみる
第3章 始動 ⑫「あの時買った本は、運命だった」

第3章 始動 ⑫「あの時買った本は、運命だった」

 後日、講話のアンケート結果が担当者から送られてきた。聴講者(出入り含む)25人のうち、11人が回答してくださっていた。

 講話内容は「とても良かった」「良かった」が100%であり、聴衆から見た改善点やダメ出しは皆無に等しかった。初めての講話だということを考えると出だしは成功と言えるだろう。
 ただ、個人的にはもう少し写真や絵を入れた方がよかったのではないか、このセリフをもっと自然に言えるように

もっとみる
第3章 始動 ⑪「ついに講話デビュー!」

第3章 始動 ⑪「ついに講話デビュー!」

 ひとまず大きな山は越えた。その後も原稿の執筆、推敲を重ねながら市の確認を仰ぎ、指摘された箇所は修正をするという形を7回ほど繰り返した。 

 原稿が完成したのは翌年の2018年秋、講話の披露は10月14日に決まった。勲さんのご逝去からちょうど1年経っていた。予定ではその年の春か夏には講話デビューする予定だったのだが、予想以上にチェックと推敲に時間がかかってしまった。
 この日までご家族の皆様を長

もっとみる
第3章 始動 ⑧「一人で集めるパズルのピース」

第3章 始動 ⑧「一人で集めるパズルのピース」

 年が明けて講話原稿の作成に着手したのだが、これがなかなか難しい。なぜなら自分ではなく他人の人生を語らせていただく上に、その主役であるご本人が亡くなっているからだ。
 仮に原稿を書いている途中で、聞き取りでは十分に語られなかった、あるいはもっと深くお聞きしたいことがあることに気づいたとする。被爆者がご存命であるならばすぐにご回答をいただけるだろう。しかし「二度と」聞けないとしたら…?
 自分で勝手

もっとみる
第3章 始動 ⑦「活動、辞めるべきか?」

第3章 始動 ⑦「活動、辞めるべきか?」

 感情の整理がつかない日々が続いた。まだまだお話したいことがたくさんあったのに…と悔やんだ。被爆体験を語ってくれたお礼すらきちんとできていなかった自分を責めた。
 そして、今後継承活動はどうすればいいのだろうという不安が出てきて、頭も心もぐちゃぐちゃになってしまった。
 当然、活動は一時中断した。

 あまりにもつらかったので桐谷先生に相談をした。

「田平さん、被爆者問題は血統主義では継承になり

もっとみる
第3章 始動 ⑥「早すぎる永遠の別れ」

第3章 始動 ⑥「早すぎる永遠の別れ」

 10月に入ってすぐのことだった。

 仕事中、14時頃だっただろうか。知人から勲さんの逝去を知らせるメールが届いた。
 「田平さんが吉田勲さんの体験を継承されていることを思い出し、連絡しました。いきなりのことで信じられません」。文章を読みながら頭の中が真っ白になった。
 その直後、継承事業の担当者からも正式にご逝去を知らせるメールが来た。私は仕事中にもかかわらず、溢れる涙を抑えきれなかった。

もっとみる
第3章 始動 ⑤「叶わぬ約束」

第3章 始動 ⑤「叶わぬ約束」

 この日の聞き取りは2時間だった。
 勲さんは、本当にたくさんのことをお話してくださるのだ。そして何より、知識の多さに驚いた。ご自身の被爆体験や平和への思いだけではなく、核兵器そのものや核問題を論じながら縦横無尽に話を広げる。
 「これは自分も相当勉強しなければいけないな」と私はますますやる気になった。

 聞き取りを終え、次回の約束をする時間になった。
 「今度は、10月下旬にしようか。次は聞き

もっとみる
第3章 始動 ④「様々な被爆者」

第3章 始動 ④「様々な被爆者」

 2回目の聞き取りは、他の2人が都合が悪かったので私1人で原爆資料館に行った。この日は被爆体験というより、原爆の実相や核問題を巡る世界の動きといった理論的なことをお話してくださった。中でも印象に残っているお話は「被爆者の分類」についてだ。

  私達がいつも想像する「被爆者」は、直接原爆の被害に遭った方のことだろう。彼らのことは「1号被爆者­=直接被爆者」という。しかし被爆者はそれだけではないんだ

もっとみる
第3章 始動 ③「聞き取りが始まるよ」

第3章 始動 ③「聞き取りが始まるよ」

 勲さんを受け継ぐことになったのは、私のほかに女子大生(大3)と女子高生(高3)だった。
 8月20日、勲さんと私達継承者の計4名がそろって原爆資料館にて1回目の聞き取りを行った。この日はちょうど4日後に勲さんが77歳のお誕生日を迎える時だった。
 
 勲さんは私達に様々なことを語ってくださった。
 幼い頃父と兄を相次いで亡くし母とも別れたこと、原爆によって自宅が被害を受け、自身の身体にも放射線が

もっとみる