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第3章 始動 ⑥「早すぎる永遠の別れ」

 10月に入ってすぐのことだった。

 仕事中、14時頃だっただろうか。知人から勲さんの逝去を知らせるメールが届いた。
 「田平さんが吉田勲さんの体験を継承されていることを思い出し、連絡しました。いきなりのことで信じられません」。文章を読みながら頭の中が真っ白になった。
 その直後、継承事業の担当者からも正式にご逝去を知らせるメールが来た。私は仕事中にもかかわらず、溢れる涙を抑えきれなかった。

***

 私は急遽休みを取り、翌日のご葬儀に参列した。
 本当に勲さんはお亡くなりになったのか?あんなにお元気だったのに…誰よりも溌剌としていたのに…。信じられず、また、信じたくなかった。
 
 式場に入り遺影を見ると、確かに勲さんだった。涙がとめどなく溢れてきたが、それでもまだ別人であることを心のどこかで願っていた。

 最後のご挨拶にと棺へ向かう。
 「嘘だ、どうか嘘であってくれ」。矛盾した気持ちを抱えながらお顔を拝見すると、紛れもなく勲さんで、いつものような優しい表情のまま眠っていらっしゃった。

 「あぁ、本当に勲さんだ…」

***

 棺の周りにはご家族がいて、これから旅立つ勲さんに最後の会話をしていた。
 「これ、講話の感想文だよ。入れておくからね!」小学生や中学生が書いた勲さんの講話への感想文たち。きっと勲さんはこれらを読みながら励まされ、活動の原動力にしていたに違いない。

 棺の中に入ったたくさんの感想文を見て、勲さんが残したご功績を知った。勲さんの前で赤の他人である私が号泣していたらご家族は訝しがるだろう。私は泣き叫びたい衝動を必死にこらえながら式場を後にした。
 式場の出口にも、感想文と勲さんのお写真がたくさん置かれてあった。じっくり目を通すのもつらかった。

 さわやかな秋晴れのもと、霊柩車と、ご長男が運転する黒い車を見送る。

 ―勲さんとの永遠のお別れは、初めての聞き取りからわずか2か月半後のことであった。


***
【ここまで読んでくださったあなたへ】
 お読みいただき嬉しいです。
 被爆体験の聞き取り途中に被爆者がなくなるのは、本当につらく、苦しく、大変なことです。
 ここからさらに私の苦悩や葛藤を正直に書いていきますので、感じたことがあればお気軽にコメントください。お待ちしていますね。

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