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第4章 出発 ⑩「電話越しでも再会」

 「まあ、小さい学校やったし覚えとるよ!あと『由布子(ゆうこ)』って名前が珍しくて記憶に残っとったんよね。あの漢字で『ゆうこ』ってなかなかないけんさ。
 それから長大に行ったろ?長大に行った、今26歳、田平由布子…『あの』田平さんやなって」。

 当初、被爆体験講話だから被爆者が話をするものだと思っていたらしい。だから私のことを高校時代の教え子ではなく、田平由布子と同姓同名である被爆者のおばあちゃんだと考えていたようだ。
 だが、講話を聴くと若い人が檀上に立っているし、長崎大学を卒業して今26歳と話している。沖田先生が私の母校にいた時と私が卒業した時期を考えるとドンピシャだ、そこで確信を持たれたということだった。

***

 8年半ぶりの再会を喜び合った。講話と昼食を済ませ、高校の職員室にお邪魔すると、沖田先生が私のところまで来てくださった。
 高校時代のことから大学生活、今やっている講話の活動に至るまで、ご報告を兼ねて話に花が咲いた。しかも、私が3年生だった時の担任・藤村先生にその場で電話をかけて私につなげてくださったのだ。

「田平由布子って覚えてます?今日、被爆体験の講話で田平が壱岐高校に来たんですよ!今僕の隣にいます。お電話代わりますね」。
 思いがけず藤村先生にも卒業以来となるお話をさせていただくことができた。ずっと連絡を取りたいと思っていたので、沖田先生の心遣いが本当に嬉しかった。


沖田先生と(筆者撮影)

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 1時間くらいお話ができただろうか。沖田先生と連絡先を交換し、私は高校を出て空港へ向かった。
 懐かしい出会いはいつも人を幸せにする、そう思いながら温かい気持ちで帰途についた。

 今年の8月9日は講話、恩師との再会、そして知り合いの被爆者である山脇佳朗(よしろう)さんが平和祈念式典で被爆者の代表としてスピーチをなさったという三重の意味で、最も心に残る一日となった。

 


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