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第3章 始動 ⑦「活動、辞めるべきか?」

 感情の整理がつかない日々が続いた。まだまだお話したいことがたくさんあったのに…と悔やんだ。被爆体験を語ってくれたお礼すらきちんとできていなかった自分を責めた。
 そして、今後継承活動はどうすればいいのだろうという不安が出てきて、頭も心もぐちゃぐちゃになってしまった。
 当然、活動は一時中断した。

 あまりにもつらかったので桐谷先生に相談をした。

「田平さん、被爆者問題は血統主義では継承になりません。志を受け継ぐ人が継いでいくものです。二世だから、三世だからではないですよ。
 私は田平さんの強い思いをよく知っています。田平さんにしかできないことが必ずあります」。

 この時の激励がなかったら、私はとっくに活動をやめていただろう。
 勲さんの家族でもない私が本当に継承を続けてよいのか、ご家族の気分を害してしまわないかという不安もあっただけに、救われた気持ちになった。

 ***

 その年の末に動きがあった。被爆継承課の担当者が勲さんのご家族に連絡を取り、お話をさせていただけることになったのだ。
 勲さんの奥様、ご長男、ご長女が応対してくださるとのことで、私と課の担当者、そして勲さんを取材した朝日新聞の記者の3人で勲さんのご自宅にお邪魔した。

 私達は各々の自己紹介や継承事業の概要説明、勲さんを取材した時の様子などをお話させていただいた。そして、もしよろしければ、今後も勲さんの体験を継承させていただきたいと申し上げた。
 もしここでご快諾いただけなければ、別の方を新たに継承させていただくことも視野に入れていた[1]。

 嬉しいことに、ご家族の皆様は私が勲さんの継承を継続することを承諾してくださった。感謝の気持ちでいっぱいになった。
 ご家族の思いに応えるためにも、勲さんのためにも、必ず良い講話を完成させると心に誓った。



[1] 広島の継承事業では、聞き取り途中に被爆者が亡くなった場合、被爆者による講話のチェックができないという理由で継承はその時点で中止となる。一方、長崎ではそのようなケースは初めてで、特に規定はなかった。そのため、ご家族に継承継続の可否をお伺いするという柔軟な対応ができた。

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