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小さく回す

私は、子供の頃から自分で良いと思って始めたことが、理解されることが少なく、それが成功に結びつくことが殆どない人生でした。

また、他者に比して特別に優れた能力があるわけでもなく、全く平凡な一市民です。

私は、社会から評価を受けることや、優れた資質で人から尊敬を受けること、経済的に「儲かる」ように回ったことが無いので、成功体験が少ない=何かする時にワクワクしながらやることがない、のです。

学生の時からそうでした。何をやっても、失敗でもないけども、成功と言えるものを得られることは無い。

しかし、だからといって、卑下しても仕方がありませんから、そういう自分のキャラクターを理解して、物事を進めるようにしました。

私は「何か作っていなければ死ぬ病」なので(笑)常に何かしら表現しているわけですが、その表現するものの社会的評価が今もそれほどありません。一部の理解者・愛好家の方々のお陰で生活が出来ている状態です。

そんな私ですが、どうにか制作だけで長年生活出来ているのは、

*自分が納得したものを制作し、自作をどの方向からも解説出来るようにしておく

*制作姿勢そのものも明快にしておき、それは自分だけに当てはまるものでなく、普遍性を持つ公式ぐらいに仕上げておく

*制作における経済は、簡単に大きくはせず、小さく回転良く回す

*制作の理論と作品の実物に乖離がないこと

それを丁寧に続けていることで、どうにかなっているのかも知れません。

そんな状況でも、制作のモチベーションが下がらないのは、唯一「美の一撃」による突き動かされている感、動かされている感があるから、重い体や寝ぼけた精神を引きずってどうにかやり続けられる感じです(私は睡眠障害なので、常に眠く、頭がボケた感じなのです)

美の力は強大なので、受けたものを出しきらないと肉体的、精神的に悪影響があります。なので、受け止めたものを出し切るまでやらなければならないわけです。

私の場合、評判や売上が自動的に広まり増えることはありませんので、何かアイデアがあっても、ノリ良くやる事は許されていません。

貧弱な経済の中に生きる私は、経営的に、非常に慎重にやらなければならないのです。やりたいことは沢山あるのですが、経営的に可能なことを堅実にやっていくしかありません。

チャンスがあったとしても、それが経済的に自分の身の丈に合わなければ、乗りません、というか、殆ど乗れるものはありません。

しかし、美の一撃を食らったら、何かを出力しなければなりませんから、制作はするのです。

美の一撃や、創作的な何かを受信する、その内容は生モノのようなものなので、受け止めたままにしておくと、自分の内部で腐敗してしまい、体に悪いという特性があります(私が受信するものはそうです)

だから、今すぐに出来ない場合は「半加工まではしておく」のです。

「食材を、料理にはしないけども、保存が効くような加工まではしておく」という言い方だと分かりやすいかも知れません。

そして、それをフォルダ分けしておき、いつでも出せるように整理しておきます。

それを自分の環境が整い次第、適宜、使うわけです。

だいたい、いつでも沢山のストックがあります。

。。。それと、その「創作的に受信するもの」を説明すると。。。

何か受信する、それは、プラモデルが箱で届いた感じです。どこかから、宅急便が届く感じです。ただし、それは生モノの。

箱のなかに、部品と説明書が入っています。

しかし、現状で、その説明書を読み解けなかったり、その部品を組み立てるスキルが無かったりした場合は、現状の自分に出来る範囲に、適切に調理して保存が効くようにしてから「受信したものを整理する棚」に保存しておきます。

自分が成長し、それを組み立てられるようになったら、それを組み立てるのです。

3〜5年かかって自分が成長したので、やっと保存しておいたものに取りかかれるようになった、ということもあります。

経営的には、経済的に手を出せずにいるものが沢山あります。それは一生出来ないこともあるでしょう。

そんな感じに、地味に、制作をしています。

そういう感じで制作するので、私は作り終わりに迷うことは殆どありません。

私にプラモデルが届き、設計図と部品を与えられていて、それをどうにか組み立てる、という感じです。

良く、どこで終わらせたら良いか分からなくなり、作品をいじり壊してしまうことがありますが、私にはそれはほぼ無い、と言って良いかも知れません。

もちろん、他人からもうちょっとこうして欲しい、ということがあって、確かに自分でもその意見に賛成、ということなら手を入れますので、自分が終わったと思ったものが絶対だ、という硬い意見ではありません。(もちろん、どうしてもこれ以上手を入れない方が良いと私が確信しているものなら、その意見には反対します)

経営的には、小さくてもかなりの高確率で当たる、ということを効率的にギリギリにやり続ける感じなので、何か大きなことをやるとか、ちょっとキャッチーなことをぶち上げてクラウドファウンディングで資金調達、ということは考えられません。

何か投資して外したら死、次のチャンスはない、というギリギリの経済状況しかないので、外せないんですね。それと、私のような知名度の無い人間は一度失敗すると、次にチャンスをもらえないものなのです。

だから小さく小さく回す、その代わり大きく外さないようにする、という風にやり続けるしか私には方法がないわけです。

「おー、キタキタ、オレに流れが来てるぜ!」ということは独立して24年、一切ない、見事にありませんでしたし、私の資質や才能では、これからもそんなことは無いでしょう。

自分が何かアクションを起こす度に、何か身の回りが良い方向に押し動かされて行く感覚があれば成功体験として嬉しいので、体や精神に無理をかけても楽しいものです。だから、そういう負荷もかけられますし、その負荷が楽しいでしょう。

私も若い時は、単に未来への期待で、そういう成功体験がなくても負荷をかけていましたが、長年やって来て、今は「明るい未来への期待」は一切持っていません。

(それは厭世的な姿勢ではありません。その方が楽で自由なのです)

経験で良く分かりましたが、無駄に体や精神に負荷をかけることは良いことではありません。疲れすぎては良くないのです。本当に疲れ切ってしまうと、自分を回復させるためのエネルギーも無くなります。それを自らするのは良いことではありません。それは緩慢な自殺のようなものです。特に中年以降の人間がやることではありません。

それでも無理をしなければならない時にはしますが、短期に済ませるように計算すべきです。また、無理したリバウンドもそれ以上に返ってくるのが困ったものです。

人にはいろいろな資質があって、周りを巻き込みながら成功を増幅させて行ける人、そうでない人、といろいろいるわけです。

自分の資質に合ったやり方を、自分自身で構築していくことが必要なのだと思います。

なので、私自身の資質について落胆はしておりません。コンプレックスもありません。こちらの世界はこちらの世界で観える大きく深い世界があるのですから。

経営的にも小さいことは問題にしておりません。

小さく回す経営=創作的に小さな世界 では全くないのです。

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