仁平 幸春|アーティスト

フォリア代表。東京で染色品(主に和装)と絵画の制作・販売を行っております。このnote…

仁平 幸春|アーティスト

フォリア代表。東京で染色品(主に和装)と絵画の制作・販売を行っております。このnoteはサイトの文章置き場に使っております。【同じテーマや内容を違う言い方をして何度も書く】ことが多いです。アート/工芸/料理の話題が多め【サイト→ https://foglia.jp

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最近の記事

伝統工芸の後継者問題では、こういう人が多いですねえ…

私のこのnoteで良く話題にしているネタですが… * * * * * * * *  以前、仕事場から家に帰ってテレビをつけ、適当にチャンネルを回していたら、フランス人の中年女性が京都の絞り染を体験したい、学びたいという事で職人さんたちのところを回って色々習っている様子を取材する番組があったので途中から眺めていました。 私が観ていた時には浸染職人さん(生地を染料に浸けて染める方法)が出ていて、この道50年以上とか?御年は75歳ぐらいだったかな? その方は、 「オレには

    • 文化を生み育て維持し続ける気概

      川村記念美術館が、東京に移転し規模を縮小して運営するか、美術館の運営を中止するか、そして保有する美術作品の見直しも検討する…という状況にあるというニュースが話題になりました。(2024年8月後半あたりに話題になりました) 川村記念美術館に限らず、どこの美術館や博物館も維持が大変なようで、クラウドファンディングに頼らざるを得なくなるところも増えました… 現代日本は、文化的に素晴らしいものを沢山持っているのに、それらを維持発展させる事に、あまり意欲が無いように感じられます。あ

      • 振袖にまつわる悪い思い出は、実は振袖自体ではなく人間関係によるものが多い気がします

        成人式で振袖を着る事になって、その着用にあたっての煩雑さ苦しさなどで嫌な思いをし、それから着物を忌避するようになってしまった人は多いものです。 しかし話を聴くと、その嫌な思い出の半分からそれ以上は、人間関係での嫌な思い出であって、それが振袖というアイコンに集約されて語られているように思います。振袖自体が悪さをするわけではありませんからね。 例えば… 祖母が孫娘の振袖を買ってくれるという事になった。しかしそれは孫娘の望んだ事ではなかった、というケースは良くあります。 ・

        • 日本語のオノマトペと絵文字

          日本語は、ニュアンスを伝えるためのオノマトペ(擬音語と擬態語)が豊富らしいですが、それは、ネット時代になり、日本でもの凄く沢山の絵文字や顔文字が発展したのと根は同じなんだろうなあ、と感じます 日本人は、言葉と言葉の間にあるニュアンスや言葉には出来ない微妙なニュアンスを伝える事に情熱を注ぐし、そうするのが好きなんですね 日本のようなハイコンテクストの環境だとそういう深化をするんですかね

        伝統工芸の後継者問題では、こういう人が多いですねえ…

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        記事

          文脈やお作法にうるさ過ぎると、お笑いで「どこが面白いかって言うとぉー」と説明しちゃってるのと変わらなくなりますね

          現状「“伝統的”現代美術しぐさ」と言って良い、過剰にお作法に煩い系の現代美術作品は、同じくお作法に煩い伝統文化系のものに良く似ています。それらは文脈とか作品の背景とか美学の系譜とか色々あって成り立つ作品が多いわけですが、それが細か過ぎたり、そこに力点が行き過ぎると… お笑いでネタをかましてから「なんで面白いかっていうとぉ・・」とワザワザ説明しているような、あるいは予めネタの成り立ちを客席に説明しておいてからそのネタをやるみたいな感じになってしまって、その界隈の人たち以外は興

          文脈やお作法にうるさ過ぎると、お笑いで「どこが面白いかって言うとぉー」と説明しちゃってるのと変わらなくなりますね

          男着物は気概で着る

          男着物は腹が出ている方が似合う、体型が緩んでいるぐらいの方が板につく、などと言って男着物を勧める人がありますが、私は個人的にその勧め方が嫌いです。 私は古の価値観に生きる男ですので 「男着物は気概で着る」 じゃなくてどうすると思うからです。 ちなみに、今話題にしているのは「男着物」限定の話であります。 実際、外国人の男性格闘家が男着物を着ると格好良いですよね。勝負で鍛え上げられた心身だからです。顔は日本人よりも濃く手足が長くても、普通の日本人よりも似合う。この事実

          キモノの業界は色々な面で事実確認と外部への説明が足りない気がします

          キモノの業界には、現代におけるキモノの存在意義の理論構築が殆どされておらず、ただ「日本の民族衣装だから日本人は皆着るべき」「伝統だからとにかく素晴らしいのだ」「伝統のスゴイ技術だから良いものなのだ」「職人がかわいそうだから守れ」みたいなノリなんですよね。 理論どころか、現状把握も出来ていない場合が多い。 それで念仏のように上記のような事を言っていても、説得力を持って世間に広まり浸透する事はありませんよね。 ・・・以前、外国のドキュメンタリー番組が結城紬の工房を取材した際

          キモノの業界は色々な面で事実確認と外部への説明が足りない気がします

          仕事のキャリアは年数ではなく実際に現場で任されて作業した時間で量るべきですねえ

          工芸系分野の個人の業界歴を良く「この道〇〇年」とか言いますが、しかし内情を観ると、例えば友禅染の世界で言いますと *友禅の先生の元で5年修行した後、工房を辞めた *自分で作品発表などしてみるが仕事が無く、他に収入のための仕事を持ったり、親族からの支援で友禅を細々と続けてはいるが実質的に仕事としては関わっていない。関係者のようなそうでないような曖昧な生活をだらだらと10年程する *その後、以前の知り合いと再会し、また友禅染をするようになったけども自分の作った作品を一年に数

          仕事のキャリアは年数ではなく実際に現場で任されて作業した時間で量るべきですねえ

          人生の倦怠と創作上の退屈

          カーネギーの本によると、疲れは退屈から来るらしいですね。 なるほど、確かにそうですね。 楽しい事をすると、脳に溜まった不良メモリーを開放出来て元気になります。そういう時の疲れは心地よい疲れであり、その疲れのお陰で良い睡眠が取れたりもします。 日常生活や仕事で「打てば響く」という状況だと楽しいから疲れにくいし新しい発想もどんどん湧いて来る事でしょう。 私の場合は元々「何かを楽しむ資質がない」のに加えて子供の頃から日常生活、勉学、仕事でうまく行った!と思える出来事のない人

          人生の倦怠と創作上の退屈

          真正芸術家の作品には苦労の痕跡は無いけども、本人の日記には愚痴とボヤキばかり

          ・・・なんですよね。だいたい。 これは当然だと思います。 血反吐吐きながら精神と肉体を削り、場合によっては存命中には経済的に報われず社会的評価も受けられず、それでも美に対してひたすら誠実に、自分の作品が昇華し地球の重力を超え、時間の支配から自由になるまで・・・自分が納得するまでやり切る・・・ だから作品自体には、苦労や苦悩の痕跡は残らないわけです。そういう作品だから、それは真正の芸術作品として残り、長く人々の心に響くわけですね。 しかし、人間としての作者は、それはもの

          真正芸術家の作品には苦労の痕跡は無いけども、本人の日記には愚痴とボヤキばかり

          私の音楽や美術などの好みは分野が好きなのではなく個人が好きな方向

          私は、音楽を節操無く色々と聴きますが、例えば「ロックが好き」という事ではなく、自分の好きな個人、あるいはバンドが好きなだけであって、ロックという様式や価値観全体が好きなわけではないので、ロック史全体を俯瞰し語れるという事はありません。ザックリ知っているだけです。 ジャズやクラッシック、現代音楽や民族音楽などでもそうで「この人のこの時代の作品は好きだ」という事以上にはなりません。 アート界隈も同じく。 例えば「印象派が好き」という事はなく「〇〇という画家が好きだ。それは印

          私の音楽や美術などの好みは分野が好きなのではなく個人が好きな方向

          料理は絵ではないと思うんだ

          私は、西洋料理で、時間をかけてソースで抽象画を描き、小花やハーブの芽で細心の注意を払って盛り付けたモダンな西洋料理がどうも苦手です 盛り付けに時間がかかり過ぎてソースが乾いて割れていたりするとゲンナリします 私は出来立ての熱々から、それが冷めて行くまでの味の変化の臨場感も美味とする古の日本の価値観に生きる男ですので「あーもう良いから、その焼き立ての肉をそのままさっさと持って来て食わせてくれ!」と思ってしまうのです 私にとっては、皿を色々な色で飾り立てる事によって生まれる

          料理は絵ではないと思うんだ

          軽井沢の室生犀星記念館に行きました

          先日、ずっと行きたかった詩人・小説家の室生犀星の軽井沢の別荘だった「室生犀星記念館」に妻と行って来ました。(下リンク) 旅行というものを計画する能力が完全に欠落して私ですので、妻に計画を立ててもらいました。笑 私は文学青年でも何でもない人間でしたが、嵐山光三郎さんの本の「文人暴食」という本に取り上げられていた事で室生犀星を知り、興味を持って著作を読むようになりました。三十代半ばでやっと知ったのです。 ちなみにこの「文人暴食」は「文人悪食」という本の続編で、日本の有名文士

          軽井沢の室生犀星記念館に行きました

          美しい道具は、用途を知っていても知らなくても美しい

          シビアな職人仕事の何かの用途に使われる道具は、非常に魅力的な形をしています。色気すら感じます。使い込まれたものなら、それはまるで生き物のようです 例えば、手術のための道具や、特殊な加工のための道具、危険と背中合わせの作業をするための道具、その他その他・・・ その具体的な用途が分からなくても、その造形の美しさに心はざわめき惹かれます その道具を美しいと感じるも、用途が分からなければ、それは道具ではなく造形物として美しいと感じている事になります それは道具とか芸術作品だと

          美しい道具は、用途を知っていても知らなくても美しい

          機械でやった方が良いものは機械でやった方が良い

          手でやっていたものが、機械でもっと精度高く出来るようになった、そして完成度の高いものが大量生産出来るようになり、価格が下がって社会の人々が幸福になった、めでたし。 しかし、それまで手作りでそれを生産していた人たちと、その技術は淘汰されてしまった。 ・・・私自身は手作り品を生産/販売する事を生業としているのですが、それで何も問題無いと考えております。伝統工芸品の分野においても手作りだから本物なんて考えは全くありません。 以前「良い」とされていたものが、もっと良いものが出て

          機械でやった方が良いものは機械でやった方が良い

          本阿弥光悦の大宇宙展へ行った

          もう終わってしまった展示ですが東京国立博物館の「特別展 本阿弥光悦の大宇宙」へ行って来ました。 いやあ、本当に素晴らしく、感心・感動いしました。 光悦にまつわる色々な事を網羅した展示会でした。正に「光悦の大宇宙」でした。 細かい解説は上記展示会のリンクでご確認いただくとして・・・ 書、漆器、刀剣、茶陶はもちろん、光悦本人の事だけでなく、本阿弥家の歴史や教育方針などにも触れられていて、最高度の文化的素養を伝承する事の大変さが感じられました。ただ子孫である理由で世襲しただ

          本阿弥光悦の大宇宙展へ行った