仁平 幸春|アーティスト

フォリア代表。東京で染色品(主に和装)と絵画の制作・販売を行っております。このnoteはサイトの文章置き場に使っております。【同じテーマや内容を違う言い方をして何度も書く】ことが多いです。アート/工芸/料理の話題が多め【サイト→ https://foglia.jp

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いわゆるバブル世代であっても、皆がバブルの恩恵を受けたわけではありませんけどね

最近、若い人たちが、またバブル世代を叩く風潮がありますな。 確かに、バブル時代は経済的に日本社会が浮ついたと言える部分もありました。後処理も大変でしたし。 しかし、バブルの時代に、国民みんなが良い思いをしたわけではなく、ほぼ無関係という人もまた多かったのです。バブル世代といっても、その当時の年齢や立場によって全然違うわけですし。 もちろん、全体的に景気の良い時代ではありましたから、何か事を起こすと風に乗りやすくはあったと言えます。 一般的な生活を送っている人間からすれ

    • 「業界人しぐさ」と「伝統に潜む麻薬」

      古い業界で育った人は、若手で、その人自身に新しさがあったとしても、業界特有の悪習に染まっている事があります。染まっているまでは行かなくても、知らずその影響を受けている事があります。 仮にそれを他者から指摘されても 「身に刻み込まれているから自分が悪習に染まっていると思っていない」 「業界人という自負から、指摘してくれる人を上から目線で諭す、あるいは分かってない人に言われたくないと反発する」 ・・・という反応をする事が多いです。 本当に怖いものですよ「悪習の伝統化」。

      • 作品は意識して制作するものではなく当たり前に創作人生を送っている結果生まれるものと私は考えます

        手作り系職人の方で ・作品制作=自己の創作を純粋に表現したもの(創作的に純粋なホンモノ) ・商品制作=日々の仕事で生まれる製品(創作的に汚れたもの) みたいに分けて言う人を時折眼にします。 「まだこんな古臭い事を言う人がいるのか」と私は個人的に思うのですが・・・そのような事を言う人は分野問わずかなりの数おります。 その「作品」は・・・実際には殆どが団体展出品用で「その団体に入選するために年に何作かワザワザつくる作品」である事が多い気がします。そういう動機は、売るため

        • 職人仕事は二種類あり、作業自体に対価が発生する“加工職人系”と、作品を制作した後、売れるまで対価を得られない“作家系”があります

          私はこのnoteで良く「職人と作家」(主に工芸系の)の事に触れますが・・・それがメインテーマではなくとも、話の流れ上、そういう話題に触れる事が多かった気がします。 そして、また似たような事を少し角度を変えて書くのであります。しつこいですねー😊。しかし「業界の人」や評論家の人たちが、あまりこういう問題を深堀りしないので、世の中に色々な勘違いが広まっている気がします。ですので、そろそろその辺りの整理が必要なのではないかと考える次第です。 今までは ・職人=何かしらの専門技術

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          人徳は生まれ持った資質。ゆえに努力ではどうにもならない。だから自分に人徳が無くても気にする必要は無いと考えます

          身も蓋もない話ですが、経験上、私はそれが事実だと確信しております。 実績はたいした事が無いのに、そして別段他人に気に入ってもらうための行動をしているわけでもないのに、不思議と人々から愛され、人が集まり、支援してもらえる人がいます。もちろん、いつも失敗しているとか全く結果を出せないというのでは流石に社会や集団から排除されますから「そこそこ程度の結果」は出します。 そういう人には若い頃だけでなく、年齢を重ねても華があり、何か大きな事や斬新な事をやってくれそうな雰囲気があり、時

          私は子供の頃から、美術団体の展示会や展示物が苦手で、それは大人になっても変わりませんでした

          ・・・はい。 私は、小学生の低学年の頃から、いわゆる芸術分野や工芸分野のものに興味があったので、HNKの美術番組や日曜美術館、その他テレビで芸術家の生涯の番組があると良く観ておりました。 そこでは色々な美術団体が「大正義」で、そこに入選する事が社会に作家として認められる第一条件である、という風に扱われておりました。 身の周りに美術関係者や詳しい人のいない子供の頃の私は、とりあえず何でもメディアで観たものを信じるしか無いので、そういうもんなんだ、なんだか油絵で日展というの

          ひとつの記事のなかで自己矛盾が起こって来るのを解消するのが難しいです

          あまり他の人がテーマにしない、過去にもあまり書かれた事が無い内容で、少なくない人たちが「モヤモヤと感じてはいるけども、まだ言葉になっていない事象」を、ほぼ自分の経験と考えのみで、他人に分かるように書くのは本当に難しいですね。(私は“描く”のもありますが) 私が文章を書くのは自分の内部や外部の観察の精度を上げ、深堀りし、作品に役立てるため・・・がメインの目的ですので、自分の内部や外部への観察の、文章でのアプローチが完成されているとは思っておりません。ですので当たり前ですが、n

          何かをイチから自分の手で作った事がない人程、少しの関与で自分のオリジナル作品とか主張するんですよね

          そういう人って恥ずかしいですよね。 年齢や仕事の分野関係なく、元々そういう性質を持つ人がおりますが、しかし残念ながら人間のエネルギーが枯渇して来ると、一般的に人間はそうなる傾向があるように思います。もちろん「そうならない人も沢山いる」わけですが。 その変化は、だいたい45歳ぐらいから始まり、60歳ぐらいで酷くなり完成する人が多いです。歳を取りエネルギーが枯渇して来ると「楽に成果が欲しくなる」のでしょうね。自分が実際に行った事以上に自分の影響力があると信じたくなるのでしょう

          レース“文様”の和装についてあれこれ

          当工房では、アンティークレースをモチーフにした和装の「文様染め」をしており、それは当工房のスタンダードラインのひとつです。 25年ぐらい前・・・1998年ぐらいから作り始めて、今に至ります。 技法は、全く和装染色の伝統技法で、糸目友禅(ゴム糊)とロウの文様染で染め上げます。 そのレース文様の作品を制作していると面白い体験をするのですが、 「お客さまが、レース使いの洋服はあまりお似合ではないのに、着物や帯のレース文様はとてもお似合いになる」 なんて事が起こるんですね。

          カメラは好きだけども、いわゆる写真作品にはそれほどのめり込めないわたし

          わたしは、カメラやカメラのレンズのマニアではないですが、好きではあります。 カメラやレンズの、一瞬を切り取るための構造自体が持つ美しさが好きなのです。そこに投入された人間の叡智自体を称賛する感じというか。 ですので、日常使いには使いにくいような、そのカメラ・レンズメーカーの技術力の粋を集めた大口径レンズなど、自分の手の届く範囲のものであれば、ついつい購入し、その危うい描写を楽しんだりします。 機械式の時計も同じように好きなのですが、そちらは仕事と関係無いので手を出してお

          創作の世界も揺り戻しはありますから

          古今東西、いろいろな分野で常に「最新」をつくり出そうとするのが人間なわけですが、そうなるとどうしても 【本質的に新しい物事を見出し、洗練させ普遍化する事ではなく、その時代に「どこかの誰かが新しいと設定したもの」・・・言うなれば“先端しぐさ”を身に着けているかどうかの方が重要になっている】 傾向があります。特に文化面ではそうですね。 私は、真に新しい物事=時間を超えてしまう事=新しい物事を伝統と接続し時間を超える事=常に新しくかつ伝統でもあるという領域に持っていく事、と定

          そこからかい・・・?

          工房構成員の甲斐から聴いた話なのですが、これは特殊技能が必要な分野に入りたいという若者に良くある話です… * * * * * * * *  ある声優さんのご友人の、ある音楽学校の講師の方とのお話で(クラッシック系ではない音楽学校) 音楽講師:…入学希望の子と面接するじゃん。そうすると、プロのギタリストになりたいって言うからさ、どんな音楽が好きなの?ギタリストの誰が好き?ギター何を使っているの?って話を振るとさ『あ、いえ、まだギター持っていません。何を買ったらいいですか?

          いろいろシンプルになって欲しい

          最近、日本に限らず、世界中で色々な分野が複雑化して、いろいろなところでモメたり炎上したり、なかなか面倒な時代になったもんだ、と思うところです。 もちろん、人権や社会的制度などで昔は配慮すべきところに届かなかったものが今は届いている、という事なら進化ですが、ただ煩雑になっただけな物事もかなりある感じ・・・ その煩雑さに、人間の優越欲とビジネスがくっついていて、その人間独自のいやらしさを利用して儲ける人たちがいる、儲けるために煩雑にする、という状態になっているものに出くわすと

          カメラ好きの自覚は無いし、ガチ勢には程遠いのですが・・・

          以下、私が使ってきたカメラに関して、どうでも良い話がダラダラ続きます。😊 人とお話した際に、カメラの話題になると「マニアですか?」と言われるのですが、全然そんな事は無いので「皆さんは勘違いされている。私はカメラ関係のガチ勢には程遠い」というお話です。 私は、カメラやレンズは憧れで買った物でも実際に使わなければ手放すタイプで、カメラやレンズを保存するための防湿庫も持った事は無いですしねー * * * * * * * *  わたくし、カメラは仕事で自作の撮影、DM用の写真

          「伝統の技を現代に活かし云々・・・」といっても創作的必然が無ければ中身が無いものになる

          ・・・のは当然ですよね。 良く 【伝統の技を使って、新しい試みをした】 と主張するものがありますが、殆どのものは 【出来上がったものは、伝統的にも新しくも観えない中途半端なもの】 になります。 それならまだマシで 【伝統の技を使って、今までも存在した何かしらの“素材”を作っただけ。変わったのは作る人間の世代だけ。そして、その“素材”には未来へのビジョンが無い】 というものが多いですね。 しかも、古(いにしえ)のものよりも技術のレベルは低く、制作物は下品になっ