プロほど「表層の感覚」を絶対視しない
私は、例えば食べ物や酒やお茶の味わいの感想を述べる際に、あまりに大上段からのオラオラで語る人は、到底信用出来ません。
なぜなら、食味に関してよく理解している人たちは「それを食べる前に何を食べたかによって、それを口にした時の口内の環境によって、その時の体調によって、そして精神的なブレによって、味覚や嗅覚が簡単にズレてしまうのが人間だと知っているから」です。
(ちなみに、色彩の世界も全く同じです。それは感覚器官と精神の問題です)
「自負の強い」シロウトさんは、オレはそんなことに影響されない「絶対感覚」を持っているとばかりにオラオラした態度で良し悪しを言うわけですが。。。
【プロは「自分が下した判断に責任が伴う」。判断が形になり、人を巻き込んで経済や信用に関わるので慎重になる。基本的に常に他者のことを考えている】
【シロウトさんは「その時々の好き嫌いを言う」それは「感想」だから自由に言い放つことが出来、かつ社会的な責任も発生しない。基本的に自分のことだけ考えている】
その違いがあります。
上記を理解している人は、プロでもシロウトでも関係なく、食味を楽しめるでしょう。プロでも、仕事ではない食事では、ただ好き嫌いで楽しめるわけですから。(それを偉そうに外に向けて言わなければ)
まあ、食味のプロでも、だめプロの場合は無責任にテキトーなことを偉そうにペラペラ言う人もいますが。。逆に、それが職業ではなくても大変に味覚嗅覚に優れ、それを使う資質と才能があり、センスのある楽しくステキな人もいます。
それはともかく、そういうことなので、
プロほど、自分の体に起きている状況を把握する努力をします。
そして、もし何か不調があれば、その狂った体の感覚機関のブレを体感し、体験のデータや知識から理論的に「自分のダメになった感覚器官を把握」し「まだ生きている他の感覚器官」を起動して、そちらをメインに使い、経験を総動員し「ブレの少ない」結果を導き出そうとするのが基本姿勢です。
そういう努力が日常なので、ブレが少ない、安定した判断が出来るわけです。
例えば、全く同じものに毎度違う感想を言い、実際に、同じものを違うものと判断してしまうような危険なことは、プロには出来ないのです。信用を失います。
そういうプロのレベルと、自分の感覚を絶対視する自負が強いシロウトと、それぞれまるで違う階層にいるから、お互いに理解し合うことは少ないようです。
「表層の感覚」というのは、狂いやすいのです。いろいろな物事から簡単に影響を受けてブレてしまうのです。
しかし、プロでも最終的な判断は「深部の感覚」でする場合が多いように思います。
ただし、その「深部の感覚」を具体的に把握している人は少ないようです。しかし、一流以上のプロはだいたいそういうことをおっしゃいます。
データを重視し、そこからいろいろ導き出したとしても、最終的に判断するのは「深部の感覚」です。
特に「違和感」は信用します。
その「違和感」→「検証」→「補正・修正」→「正解を得る」の流れは、かなりの確率で自分を救います。
「表層の感覚」も当然鍛える必要がありますが、いろいろな体験、データ、その他を自分の感覚に意図的に沢山与え、真剣な把握と検証と判断と実行を繰り返し行うことによって「深部の感覚を鍛える」必要があると個人的には思っています。
そのように鍛えられた「深部の感覚」が、傍から見ればいわゆる「ベテランの勘」に見えるのかな、と思います。天才的な人の場合は、最初からそのような勘が機能しているように思います。
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