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「ちゃんと食べてる?」 #文脈メシ妄想選手権

食に興味がなかった。
一日に必要なカロリーを摂取しておけばそれで十分だと思っていたから、一人暮らしを始めた春、とにかく楽にできるものばかりつくっていた。
お菓子が食べたい日はカロリー量が高いから1食置き換え、ごはんは炊飯に時間がかかるからパンでまかない、パスタの茹で時間は一番短いものを選ぶ。
茹で時間の短いパスタが美味しくないということなんて、気にもせず、気づきもせずに。

「ねぇ、ちゃんと食べてる?」なんて、ことあるごとに聞かれた。
元々細い体格のせいか、量をあまり食べることができないせいか。
「えぇっ、ちゃんと食べてるからぁ」そう笑って私たちは芝生の上を駆け抜ける。
眩い春の光、始まったばかりのキャンパスライフ。
緑あふれる構内には、溢れんばかりの生命力がどこもかしこも覆いつくしている。
ビタミンを摂らなくてはと野菜だらけの夕食を食べた後、加入したばかりのサークルに向かう。

春が初夏になりかけたあの日、目の端で追うようになっていた先輩と、部室で一緒になった。
横でおしゃべりをしていた別の先輩は、次の時間の授業があるらしい。
颯爽と去っていく姿を見送ると、残されたのは目で追っていた先輩と私だけだった。

翌日、夜の20時半。
昨日ひとしきり話したあの後、授業に向かおうとして立ち眩みを起こした私は、うっかり先輩の腕に触れてしまった。
お決まりの「ちゃんと食べてる?」を投げかけられて、「ちゃんと食べてますよ」と力なく笑う私を見て、投げられた一言は「明日うちにおいでよ」だった。
バイト終わりの先輩と、裏門の近くで待ち合わせをする。
男の人と待ち合わせをするなんて初めてで、どんな顔をして会えばいいかわからなかった。

「お疲れ、昨日大丈夫だった?」
自転車に跨るやさしそうな横顔を、見つめながらこくりと頷く。
大学を出てから5分程、これまで行ったことのない方角に進んだところに、先輩の家はあった。
一人暮らしの人の家にあがるのなんて、初めてだった。

「ちょっと待っててね」と、先輩が言う。
物珍しい部屋の中をきょろきょろと見渡して、何か手伝いますと言っていいものか迷って立ち上がったら、困っている姿を見てるの面白いなんて言って笑われてしまった。
仕方なく大人しく背筋を伸ばしながら座っていると、お待たせと言いながらパスタを運ぶ先輩が来た。
「うわぁ、すごい、、」そう声をあげてしまう私を横に、小さい頃からつくらされること多かったから、と涼しげな顔していただきますのポーズをとる。
慌てて一緒にいただきますをして、パスタをそっと口に運ぶ。

しばらく食べていなかった、久しぶりな味。
それでいて初めて食べるような、安心と鮮やかさの入り混じった味。
「久しぶりにこんな美味しいもの食べました」と素直に口にしてしまったら、大袈裟だなぁと困り顔をしながら「いつでも食べにおいでよ」と言って微笑む。
あぁご飯を食べることってこんなに素敵なことだったんだ、そう思った梅雨入り前、6月の出来事。

ねぇ、先輩。
あれから、何度一緒にご飯を食べたっけ。
私たち、一瞬でも同じ気持ちでいられた日があったのかな。
そんな時がちょっとでもあったらよかったな、なんてね。

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