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おおのゆうや
2022年12月1日 17:38
一日が終わる気配のしはじめてシャワー浴びつつ「なにを読もうか」こどもべやの壁紙まるまるカットしてそのままペーストしたら秋空手さぐりで耳、目、鼻をつかまえて指でつまんでいびきを止めるフレズノに来て三ヶ月 今日もまたBOOKOFFからメールがとどく〈食べやすいまろやかな酸味〉の輪ゴムのような珍味をむさぼりて夜青空が自信なさげにしぼんでく白くてごつごつしたやつらが来て捨てられる寸
じょーじ
2022年11月1日 11:52
仕事編しゃーないと 笑い飛ばせる 優しさが三十路間近の 目に沁みてくる何気ない 一言にふと 傷ついた缶コーヒーを 手渡してみるパソコンの 画面からふと 目を上げてこれが誰かの 助けになれば、と朝、電車に詰め込まれる人たち心が少し ギュッとちぢんだたくさんの プロジェクトとかの ことじゃなく思い出すのは あの無駄な話短パンと 裸足で通勤 したかったスティーブ・ジョ
2022年10月5日 03:53
華氏100度水よりあがれば秋の風ぬばたまの夜わたる月をながむれば月しづむ夜に語りしを思ふ初めての二人暮らしのアパートの窓から見えた月を見ている今日もまたなにもなしとげなかったと囁く声がカフェインとなり一日のパンさえあれば十分と家なきわが主の祈りはうたう好きな歌ばかりをノートに書きつけて明日を生きる餌にしている初めての二人暮らしのアパートの窓から見えた月が見えない剣も盾も
2021年9月12日 15:09
「祈り」を考える主の前に静まることそれは主を「知る」ため。そのためには「祈り」が必要なのだ。それでは、何を祈りと言えるのか、を考えたい「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい」「主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ(思う)」僕は、祈りとは、「神を思う時のこと」と定義したい。それはもちろん、「天の神様〜」という言葉にする祈りも
2021年8月14日 10:11
「静まること」の大事さを考えたい。教わるではなく、勉強するではなく、「静まる」クリスチャン、つまりイエスを自分の主と告白する者にとって、聖霊が共にいるというイメージはとても大事だと思う。共にいるをもっと具体的にイメージすると、「内側に住まわれる」だ。内側に住まわれる聖霊が、個々人にどう働かれるのかをより具体的にイメージする。それは「助言者」だ。神の御心、意志、これは方向