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主の前に静まる①

「静まること」の大事さを考えたい。
教わるではなく、勉強するではなく、「静まる」

クリスチャン、つまりイエスを自分の主と告白する者にとって、
聖霊が共にいるというイメージはとても大事だと思う。

共にいるをもっと具体的にイメージすると、
「内側に住まわれる」だ。

内側に住まわれる聖霊が、個々人にどう働かれるのかを
より具体的にイメージする。

それは「助言者」だ。

神の御心、意志、これは方向性(Direction)とも解釈できる。
詩篇1篇の主のおきてはDirectionとも訳せるらしい。

その方向性に私たちを導いてくれるガイドのイメージ。

そのガイドの声を聞くことがクリスチャンの歩みには重要だ。
そしてそれは、基本的には自分の内から湧き出てくるものだ。
だから「静まること」なのだ。

人生には意味がある。
すべての目の前に与えられたものに神の意図がある。
それならば、その助言者と共に考えたい。

イザヤ9:6
「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。
ひとりの男の子が私たちに与えられる。
主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。」


<キリスト教短歌>
静まって、自分の信仰を短歌で詠んでみた。めっちゃ楽しい。
みんなも考えてみない?笑
コメントにでも書いてください。

・小さな声 心の井戸の 水を汲む 主のみこころは 我が内にあり
・学生の へりくだる問いに 紡ぐ言葉 良い地に蒔けり 種であれよと
・主の前に 何も隠さず あけひろげ 負けを認める ものでありたい
・自由とは 嘘の自分を 手放して 世界の良さを 知って待つこと
・支配下に おけぬ心の 波の中 愛とはこれと 湧いて微笑む

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