ひとりひとりと向き合える教師でありたい【神様のカルテ】

おはようございます。今日は雨ですね〜
気持ちがあまり晴れない中、大好きな小説を読み返して、ほっこりしまくっているやうたです。僕の人生のバイブルと言ってもいい小説があります。「神様のカルテ」という小説をみなさんはご存知でしょうか?映画化もされていますし、シリーズ化もされているので結構有名なのではと思います。
※ネタバレを含んでいます。ご注意ください。

この小説がもう大好きで、大好きでかれこれ10回は読み返しています。ちょっと異常ですよね(笑)

なんでこんなに好きなのかというと、やっぱり主人公が人間らしくていいんです。主人公こと“栗原一止”は20代の医師で、こよなく夏目漱石を愛する文学オタク医師です。24時間対応の病院、それも入院患者のほとんどが高齢者の病院で勤めています。本を読んでもらったらわかるのですが、なんせ「過酷」。休日は緊急の電話一本で吹き飛び、当直がある日は48時間労働もある。そんな過酷な理不尽な医療現場のあり方がありありと綴られています。ちょっと教育現場と通じるところがありますね。

そんな中でも懸命に働く一止の姿に共感してしまうんです。職業柄、教師と医師は似ているなと感じ、自分と重ね合わせて読んでしまいます。

特に、シリーズ1では高齢の胆嚢がんの患者に応対するシーンが思いやりに溢れていて好きです。
大学病院でも手術は不可能。あとは余生を楽しんで過ごせと言われたおばあちゃんが、一止の元に訪れます。そこで一止は、考えますが、友人の医師に何を考えるんだと、治療法なんてないだろうと問われます。その時にいった一言が、

「治療法を考えるのではない。」

「本人にどう話すのかを考えるんだ」

と。
あ〜大事なことだな〜と毎回思います。
つい僕たち教員はなんの悪気もなく、子どもや保護者に心ない言葉をぶつけてしまう時があります。いま思い出しても何度もその時の自分を恥じることが多々あります。もっとこう言っておけばよかったなと。
きっと大事なのは「何を伝えるのか」ではなく、「どうやって伝えるか」なんでしょうね。

このおばあちゃんは結局助からないんです。でも、一止は最後までできることをし続けます。カステラが思い出の味だと知ればそれを買ってきて食べてもらったり、動かすのすら危険な状態でも山を見たいという要望があれば、ヘリポートに連れて行って山を見せてあげたりします。

いよいよという時、一止は迷います。延命措置をするか否かで。現代医療の怖い点はここにあります。すべての技術を駆使すれば、少しの間は延命することができます。でも、それは植物状態になる危険もあり、もし延命できたとしてもチューブに繋がれたままになります。それが「幸せな生き方」なのかと迷うのです。一止は延命をせず、そのまま看取ることを決めました。

看取ったあとも、一止は苦悩し続けます。
消化器系のがん患者にカステラを食べさせたことが、
無理やりヘリポートまで動かしたことが、
最後に延命治療をしなかったことが、

正しいことだったのか

と。これらの判断は自分のエゴだったのではないかと悩みます。一止はひとりひとりと向き合うことを大事にする医者です。病気が治る、治らないということだけ、つまり病気とだけ向き合っているのではないのです。一つ、一つ立ち止まって、何が正しいのかを考えます。(まさしく“一止”ですよね。)

僕も勉強ができる、できないではなくて、ひとりひとりの「人間」として、子どもと接していきたいなと、エゴかも知れないけど、子どもたちの幸せは何かを考え続ける教師になりたいとこの本を読んでは、決意を新たにします。

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