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【年齢のうた】真島昌利●21で結婚、27で疲れて…「さよならビリー・ザ・キッド」

昨夜はBLANKEY JET CITYの解散ライヴ『LAST DANCE』がYouTubeで配信され、超ひさびさに観覧。あの時のこと、あの夏のことを、あれこれ思い出しました。


ここでもブランキーのことを書きましたね。

ちなみにこの4日前に行われたベンジーのソロのワンマンライヴで、ブランキーの楽曲では「赤いタンバリン」「DERRINGER」「ヘッドライトのわくのとれかたがいかしてる車」「SKUNK」「SALINGER」の5曲が演奏されています。

今回のプロジェクトが、彼らのとんでもなさを若い世代に伝えるものになることを期待します。


青木は日々、インタビューしに出かけたり、原稿を書いたり、家事をやったりと、いつも通りなんですが。

そんな中、アニメの『グレンダイザーU』にはちょっと衝撃を受けました。

これは往年のロボットアニメ『グレンダイザー』のリブートで、令和チックになっているわけですが。今回の制作の裏側には、なんとアラブの石油王の意向があったという話には驚きました。

なので、今作のストーリーの舞台は、サウジアラビアの首都のリヤドなんです。あからさまなスポンサー忖度ながら、これはこれで面白い。
マジンガーZが出てくるところも仕掛け満載。まあオリジナルでも兜甲児は大活躍でしたが。

かなりのお金がかかっているだけに、たとえばキャラクターデザインが貞本義行、主題歌はGLAYというスタッフだったりします(そう、GLAYがこのアニメの主題歌を唄うことは去年から知っていました)。

ちなみに何年か前には、円谷プロ制作の『アイゼンボーグ』も似たようなことがあったとか。こちらもバックにオイルマネーあり。


こんなふうにクリエイティヴにデカいお金が絡むと本筋(アーティストの本意)だけの制作ではありえなかったものが表現されたりするのですが、それもまた大衆文化。音楽のタイアップ曲にしても、こうしてあらゆるものを呑み込むことで起こる化学反応もあると思います。ただ、それでショボくなったり、見当外れの結果になることだけはもちろん勘弁ですが。

さてさて、『昭和40年男』の最新号vol.86が発売されます。

vol.86!

青木はこの中で3つの原稿を書いてまして、ひとつがTHE BLUE HEARTSについての記事。THE STARBEMSのヒダカトオルさんに話を聞きつつです。

ヒダカさんとはひさびさでした


2本目は怒髪天の増子直純インタビュー! 彼の話は最高です。

増子兄ィ!

怒髪天については、先日ここでも書きましたね。

3本目はアクションヒーロー(特撮)特集で、整体師でありスーツアクターでも、また造形師でもあるという菊地延寿先生に話を聞きに行きました。

ガチの肉体派の方です

『昭和40年男』最新号、ぜひ読んでください~。

そして今回の【年齢のうた】は、先述のTHE BLUE HEARTSのメンバーであり、現在はザ・クロマニヨンズで活躍するマーシーこと真島昌利を取り上げます。
彼のソロ・アルバムの中の曲についてです。

マーシー初のソロ・アルバム『夏のぬけがら』の叙情性


当【年齢のうた】内のTHE BLUE HEARTS関連としては、過去にザ・ハイロウズの楽曲「十四才」を取り上げている。甲本ヒロトが書いた、初期衝動についての歌である。

今回はヒロトの相棒であるマーシーこと真島昌利が、年齢についての描写を残した曲「さよならビリー・ザ・キッド」のことを書く。

同曲は、ソロ・アルバム『夏のぬけがら』に収録されている。

もっともブルハ同様、現在のところ、この作品もサブスクなどで配信はされていない。

『夏のぬけがら』は彼にとって初のソロ作で、1989年11月のリリース。
当時THE BLUE HEARTSはすでにお茶の間レベルの大人気バンドになっていて、アルバムとしては初期の三部作を出したあと。その後の4作目『BUST WASTE HIP』までの間の時期であり、バンドがどう進んでいくかを探っていく段階にあったように記憶している。

アルバム『夏のぬけがら』は、パンク、そしてロックンロールを鳴らすバンド、THE BLUE HEARTSのギタリストであるマーシーのイメージを思うと、スローな曲が中心で、かなり繊細だ。彼のフォーキーな資質を感じるし、これが非常に魅力的なのである。

しわがれたマーシーの声からは、彼自身の中にある反骨心のような強さも、そしてひとりの人間としての内省的なところも伝わってくる。

本アルバム中では、先行シングル「アンダルシアに憧れて」が知られている。この歌は近藤真彦への提供曲としてもヒットを記録している。

こちらは同曲を山崎まさよしがカバーしたバージョン。


また、アルバムに参加している顔ぶれでは、フォークシンガーの友部正人や、篠原太郎、山森正之、ディープ&バイツといった名前が目を引く。彼らはマーシーがブルーハーツ結成の前に活動していたTHE BREAKERSの頃からの仲間たちだ。「アンダルシアに憧れて」は、このバンドですでに唄われていた曲である。
この仲間たちのうち、山森正之は当時はザ・シャムキャッツの人で、現在は自身のオレンジズではフロントを張り、ザ・コレクターズではベースを弾いている。
そしてディープ&バイツの山川のりをは現・ギターパンダ。彼は初期ブルハのサポートメンバーでもあった。

友とのホロ苦い惜別を唄った「さよならビリー・ザ・キッド」


さて、今回クローズアップする「さよならビリー・ザ・キッド」は、このアルバムの3曲目。

21で結婚して、27でもう疲れて……という唄い出しの曲である。
そう、ド頭に年齢の描写が出てくるのだ。

曲調としては、これ以前に彼が書いた「青空」(ブルハの3rdアルバム『TRAIN-TRAIN』収録)に通じるものがある。叙情が香る、フォーク的なメロディだ。それもハスキーなマーシーの歌声によってそこまでセンチにはならないが……それでもそのスキ間から、ホロ苦さがこぼれ落ちてくる。

その苦さとは何か。
これは青春をともに過ごした友達……おそらくは盟友、いや、親友と言ってもいいかもしれないぐらいの相棒に向けた歌である。彼との惜別を唄っているのだ。

夢を、理想を、一緒に追いかけ、苦楽を共にした仲間との、苦みある別れ。彼は、若い時分はムチャをしたり、反逆者であろうとしたり、自分をビリー・ザ・キッドになぞらえたりした。

その彼が、結婚し、疲れを見せ、ぬけがらのようになっている(アルバムタイトルはこれとも掛けられているのだろう/夏ゆえに、セミとも?)。歳をとり、情熱が冷め、落ち着いた人生を送ろうとしている友は、今の自分とは共に歩んでいけそうにない。そうした歌だ。
それはふたりの青春の終わりを見るようであり、と同時に、お互いの人生の分岐点に立っているとも言える。
彼は、変わってしまったのだ。
ただ、それはムリのないことだし、その気持ちもわかる。誰もかれもが理想を追うような人生なんて送れないのだから。

そして「さよならビリー・ザ・キッド」に強いリアル感を覚えるのは、さっき書いた年齢の描写が関係している。
このアルバムを出した頃のマーシーは、27歳。つまりここで唄われている友人が同い年だとしたら、その彼が疲れていて、お互いが別れようとしているのは、まさにその時点だったと考えられるのだ。

この歌がどのぐらい本当のことを唄っているのかは、わからない。ただ、聴くほどに、ここで綴られている心情は本物だろうと感じてしまう。それにはこの曲、そしてアルバムのトーンがフォーク的な味わいであることも大いに関係しているのだが。
それにマーシーが、こうした気持ちを創作で、想像で唄うようには、あまり思えないのである。

この頃のマーシーは、ブルーハーツを続けていくのに、もしかしたら多少の困難さは感じていたかもしれない。3枚のアルバムを出して、バンドの音楽性や方向性は当初より広がり、4人は行く道を模索していく過程に入っていたようにも思う。
と言っても全国には自分たちを待っているファンがたくさんいる状況だし、CDも売れている。ちょっとしんどいところもあるけど、まだまだこれから! もっともっとやって行くぜ! そのぐらいの気概はあったのではないだろうか。
ただ、その一方で自分の身近なところを振り返ると、かつての友と距離が生まれていた。そんなところではないかと思うのだ。

せつない。
でも、これも人生のリアルだと思う。

ちょっと付け加えると、マーシーはこの後にブルハで「年をとろう」という曲を書いたりと、若い時期はどことなく年齢に、加齢に対しての意識があったようにも感じる。

僕は、マーシーには何度かインタビューしているが、話はおおむねクロマニヨンズの新作をきっかけにしながら、彼の心の原風景や思い出などのエピソードから広がることが多い。内面にさまざまな景色を、そのそれぞれの感情を抱えている人だと思う。

ただ、コロナ以降はマーシーにも、それにヒロトにも取材できていない。そういえばクロマニヨンズも観れていない。
またインタビューできたらいいなと思っている。


前回ここで触れた早稲田のメルシーと
ローソンとのコラボのカップラーメンが
発売されていたんですね。
味はあの店の庶民的な感じが出ている。
ような気がします



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