【読んでみた】21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考

本日は、とても深く難しい本を読みました!

本日も鍛錬します。


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1.本の情報

21 Lessons
21世紀の人類のための21の思考

ジャンル:グローバル、政治・経済、リベラルアーツ(一般教養)
ページ数:428ページ

著者:ユヴァル・ノア・ハラリ
歴史学者、哲学者。1976年、イスラエル、ハイファ生まれ。
オックスフォード大学で中世史、軍事史を専攻して2002年に博士号を取得。
現在、エルサレムのヘブライ大学で歴史学を教えるかたわら、
2018年のダボス会議での基調講演など、世界中の聴衆に向けて講義や講演も行なう。
著書『サピエンス全史』『ホモ・デウス』そして『21 Lessons』は、
世界的なベストセラーとなっている。


出版社:河出書房新社 (2019年11月20日)

誰に向けて読んでほしいか: 自分とは何なのか、人とは何かと疑問に思っている方。人間らしい生き方をしたいと思う方。


2.主な内容

①IT革命がもたらす変化の大きさは、産業革命の比ではない。
テクノロジーだけでなく、社会制度や価値観も劇的に変わる可能性がある。

②21世紀において、安定性は高嶺の花だ。
これから最も重要になるのは、変化に対処し、新しいことを学び、
馴染みのない状況下でも心の安定を保つ能力である。

③人間は人生を物語のように捉えたがるが、あらゆる物語は間違っている。
もしこの世界の意味や自分自身について知りたければ、自分の苦しみに目を向け、
その正体を明らかにしたほうがいい。


3.もっと掘り下げ!


★テクノロジー面の難題

〇雇用――「一生の仕事」が時代遅れに?

これからの雇用市場がどうなるのか、完全に予測することは不可能だ。
しかし機械学習とロボット工学の発展により、ほぼすべての種類の仕事が変化するのは間違いないだろう。
そしてその変化の大きさは、かつての産業革命の比ではない。

人間の能力は身体と認知の2つに分けられる。
これまで機械は、おもに身体的な面に特化しており、認知的な能力はあくまで人間に任されていた。
ところが人工知能(AI)が、認知的な能力においても人間を上回り始めている。
もし人間の情動や欲望が生化学的なアルゴリズムにすぎないのであれば、
AIがホモ・サピエンスよりはるかにうまくやれても不思議ではない。

もちろん新しい仕事が創出されれば、伝統的な職がなくなったとしても、
ある程度の雇用は埋め合わされるだろう。
たとえばAIの支援や活用も、新しい仕事として今後増えていくはずだ。
だがこうした新しい仕事には、往々にして高度な専門技術や知識が要求されるため、
非熟練労働者の失業問題を解決するのは難しい。
しかも仮に新しい仕事を創出し、再訓練してその仕事に就かせたとしても、
その仕事が10年後も残っている保証など皆無だ。
将来的には「終身雇用」という考え方だけでなく、
「一生の仕事」という考え方さえ時代遅れになるかもしれない。

こうしたなか、新しいモデルが注目を集めている。
それは普遍的な「最低所得保障」と呼ばれている。
アルゴリズムとロボットを制御している億万長者と企業に課税し、
その税収ですべての人に一定額を定期的に支給、基本的な必要を満たしてもらうという考えだ。
普遍的な経済的セーフティネットと強力なコミュニティや有意義な営みがうまく結び付けば、
AIの発展は人類にとって恩恵となる可能性はある。

だがたとえそうなったとしても、アルゴリズムに仕事を奪われ、
自分の人生を思いどおりにできなくなるほうが、はるかに憂慮すべきなのではないか。
人間からアルゴリズムへ権限が移行するとき、自由主義の物語についに終止符が打たれ、
デジタル独裁制が台頭するかもしれない。


〇自由――デジタル独裁制の台頭

自由主義では、人間の自由が最も価値あるものとして扱われる。
そして人間の感情は「自由意志」を反映しているという前提に私たちは立っている。

だが今後、こうした「個人の自由」という考えそのものが切り崩される可能性がある。
科学的な見解からすると、私たちの感情はどんな類の「自由意志」も反映していないことが
すでに示唆されている。
むしろ感情は、生存と繁殖の確率を素早く計算するのに用いる生化学的なメカニズムといったほうが適切だ。
感情は自由ではなく、計算にもとづいている。

これまでのところ、感情に頼るのは実用的と見なされていた。
自分の感情を、自分以上によく理解できる外部システムは存在しなかったからだ。
だがバイオテクノロジーと情報テクノロジー(IT)が発展し、
人間よりもはるかにうまく人間の感情を理解できるビッグデータアルゴリズムが誕生したとき、
権限はおそらく人間からコンピューターへと移る。そしてそのとき、自由意志という幻想も崩れ去るだろう。

しかもそうした変化は、政治システムにも影響を及ぼしかねない。
20世紀後半、民主国家は独裁国家に勝っていた。それは民主国家のほうが、
データ処理に長けていたからだ。20世紀のテクノロジーでは、
多くの情報と権力を一箇所に集中させるのは効率が悪かった。
だがAIのおかげで膨大な情報を中央で処理できるようになったら、
むしろ独裁政権のほうが効率的になる可能性もある。
しかもアルゴリズムが人間のことを人間以上に理解できるようになれば、
それに抵抗すること自体ままならなくなってしまうかもしれない。デジタル独裁制の台頭だ。

そうならないためにも、今後はAIの向上に投入するのと同じだけの資金や時間を、
人間の意識の向上に使うべきだ。現代人は自分の持つ身体感覚にますます注意を払わなくなっているし、
人間の意識に関する研究開発もほとんど進んでいない。
このままではダウングレードされた人間がアップグレードされたコンピューターを誤用し、
大惨事をもたらしてしまう危険性がある。そうならないためにも意識の解明を急がなければならない。


★政治面の難題

〇ナショナリズム――グローバル化をどう考えるか

今日に見られる国民国家は、人間にもともと備わっていたものではない。
たしかに人間は社会的動物であり、集団への忠誠心は遺伝子レベルで刻み込まれている。
とはいえ人間は何百年もの間、大きな国民国家ではなく、小さくて親密なコミュニティで暮らしてきた。

人間が国民国家のような大きな共同体をわざわざつくりだしたのは、
小さな部族では対処できない難題に直面したからだ。
もちろん複数の部族や氏族をまとめるのはけっして簡単ではないし、弊害も多い。
それでも国民国家には相応のメリットがある。たとえば私たちが民主的な選挙の結果を受け入れるのは、
当事者全員が同じ国家への忠誠心を共有しているときだ。
ナショナリズムなしでは、部族社会特有の混乱状態に陥る可能性のほうが高い。

では昨今のグローバル化を全面的に否定し、
それぞれの国民国家がなるべく干渉しない世界を目指せばいいのかというと、
そう話はうまくいかない。
まずグローバルな交易ネットワークから完全に切り離されれば、
既存の国家経済はすべて破綻してしまうし、規則を定める何らかのグローバルな秩序がなければ、
グローバルな交易ネットワークは存在さえできない。
そしてさらに重要なことに、核戦争や生態系の崩壊、技術的破壊といった共通の難題は、
グローバルな協力を通してでしか解決できない。

生態系と科学の進歩を非グローバル化するのは実質的に不可能であり、
経済を非グローバル化する代償も非常に大きいことを考えると、
現実的な解決策は政治のグローバル化だけだ。ナショナリズムと同様、
グローバリズムも非常に大切であり、それらは矛盾するものではないことを私たちは理解するべきだ。
愛国心とは外国人を憎むことではなく、同国人の面倒を見ることなのである。

〇移民――「文化差別主義」の隆盛

グローバル化によって、世界中の文化の差が大幅に縮小すると同時に、
外国人と文化摩擦を起こす機会もずっと多くなった。

移民はとりわけヨーロッパにおいて喫緊の課題だ。
難民や移民に対するヨーロッパ人の反応は複雑であり、
ヨーロッパのアイデンティティと将来に関して、激しい議論が起きている。
論点を整理すると、次の4つに分けられる。
(1)受け入れ国が移民を入国させるのは義務なのか恩恵なのか、
(2)入国を認められた移民は、その国の文化にどの程度同化する義務があるのか、
(3)移民がその社会で正規の成員と扱われるまでに、どれだけの時間経過が必要なのか、
そして(4)そもそも当事者の双方が、それぞれきちんと義務を果たしているのか。

こうした議論の裏には、さらに根本的な疑問がある。それは人間の文化をどう考えるかだ。
従来の人種差別が下火になってきた一方で、「文化差別主義者」が世界中で数を増やしている。
彼らは「他の人々」が自分たちの文化を採用さえすれば、
対等な人間として受け入れるという姿勢を取っている。たしかに文化は遺伝子よりも順応性があるし、
従来の人種差別主義と違い、文化差別主義者の主張は理にかなっているところもある。
しかしその主張をすべて受け入れるべきかといえば疑問だ。

移民に関する民主主義の結論がどのようなものになろうと、
以下のことは心に留めておくべきだ。まず地元の人々が不賛成なら、
死を免れるために隣国から逃げてくる難民を除いて、大規模な移民の受け入れを強制するべきではない。
その一方で、国民は移民に反対する権利があるとはいえ、
外国人に対する義務を負っていることにも気づく必要がある。
はるか遠くに住んでいるというだけで、彼らに対する倫理的責任を無視するべきではない。
好むと好まざるにかかわらず、グローバルな繋がりを抜きにして、私たちの生活は成り立たないのだから。

★レジリエンス

〇教育――変化だけが唯一不変

昔ながらの物語が終わったのに、いまの時代のための新しい物語はまだ現れていない。
そんななか、私たちはどう生きていけばいいのか? 未来の予想はかつてないほど難しくなっている。
テクノロジーが進歩し、私たちの体と心を作り変えられるようになったら、
もはや確かなものはなにひとつ残らなくなるだろう。

いまの学校は、情報を詰め込むのに重点を置いているところが多い。
かつてはそれも合理的だった。だが21世紀のいま、私たちはあらゆる情報に囲まれており、
とても適切に情報を処理できているとはいえない。
それにもかかわらず、さらに情報を与えるなんて無益なことではないか。
私たちに必要なのは情報そのものではない。
情報の意味を解釈したり、重要なものとそうでないものを見分けたり、
大量の情報の断片を結びつけて、世の中の状況を幅広く捉えたりする能力である。
生徒に情報だけを与え、「自分で考えるように」と促すだけでは不十分なのだ。

今後最も重要になるのは、変化に対処し、新しいことを学び、
馴染みのない状況下でも心の安定を保つ能力である。
21世紀において、安定性は高嶺の花だ。安定したアイデンティティや仕事、
生活にしがみつこうとすれば、世界から振り落とされかねない。

意味――人生は物語ではない
人生の意味について問われるとき、ほぼ例外なく人は物語を想像する。
というのも私たちホモ・サピエンスは物を語る動物であり、この世界そのものも、
物語のように展開すると信じているからだ。

実際のところ、あらゆる物語はどれも不完全であり、世界が物語のように動くことはない。
それでも物語は実用的なアイデンティティを構築し、人生に意味を与えるうえでとても役に立つ。
物語を信じるうえで、完璧な筋書きは必要ではない。(1)自分に何らかの役割を与えてくれること、
(2)自分の想像の埒外(らちがい)ある一定の範囲の外側 であること、という2つの条件を満たせば、
その物語を信じるに足りる。
なぜなら役割が与えられると、自分よりも大きいものの一部になったように感じられるし、
あらゆる経験や選択に意味が与えられるからだ。しかも人間は自分の理解を超える概念に弱い。
そういったものに直面すると、私たちの想像力は驚くほど簡単に尽き果ててしまう。
その結果、物語の外のものに対する思考力が奪われる。

さらに物語には、儀式を通してより強固になるという性質がある。
とりわけ生贄や制約などの「犠牲」は効果的に働く。なぜなら犠牲に伴う苦しみには、
たしかな現実味が感じられるからである。もし人々に何かしらの虚構を信じさせたければ、
その虚構のために犠牲を払ってもらうとよい。人はいったん物語のために苦しめば、
たいていその物語が現実のものだと確信する。

実際には、あらゆる物語が間違えている。
だからもしこの世界の意味や自分自身のアイデンティティについての真実を知りたければ、
自分の苦しみに目を向け、その正体を明らかにするべきだ。少なくとも、その答えは物語にはない。

4.学びや気づき/一読のすすめ

『サピエンス全史』で人類の「これまで」を、『ホモ・デウス』で人類の「これから」を描いたユヴァル・ノア・ハラリ氏。

第3作目となる本書『21 Lessons』では、ついに人類の「いま」が主題となる。
大まかな全体の流れとしては、まずテクノロジーの発展が私たちの社会制度やイデオロギーに与える影響についての考察があり、
それを踏まえたうえで、今後私たちはどうあるべきなのかが検討される。

本書に登場する21の論点は、「自由」や「平等」のような政治思想から、「雇用」や「ポスト・トゥルース」といった社会問題、
「謙虚さ」や「意味」などの哲学的議論まで、じつにさまざまだ。

私たちホモ・サピエンスという生き物は、物語(=虚構)を生み出すところに最大の特徴がある。
その能力はこれまでさまざまな希望を生み出すとともに、多くの絶望を撒き散らしてきた。
なにが虚構を「真実」のごとく映し出し、私たちを惑わせるのか。
そして虚構に飲み込まれないようにするためにはどうするべきなのか。

どの物語も信じられなくなったとき、それでもなお立ち返るべき場所があることを、本書は私たちに思い出させてくれる。
21世紀のいまだからこそ読むべき名作である。


是非一度この本を読んでみることをおススメします。


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