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結局最後には自分自身を肯定したいだけなんじゃないの

自分の書くnoteは、何かを肯定したり否定したりする感じではないけれど、時には明確にスタンスを表明したり、意見を書いたりしている。

どっちつかずな内容の文章もあるけれど、最終的には、自分自身を肯定する終わり方になっているような気がしてきた。

全ての記事を見返したわけではないし、これまでそんなこと考えてもみなかったけど、多分そう。

人は誰だって「自分の考えが正しい」と思いたいし、「自分は柔軟だから」と思っていても、そういう人ほど意外とわがままだったりする。

「何食べる?」に「何でもいいよ」と答えておきながら、いざ「じゃあ和食にしようか」と話が進むと、「んー、和食は気分じゃないかも」と答えるアレ。

とは言っても、自分で自分自身を肯定することは決して悪いことではない。

「自己肯定感」は高い方が良いと思うし、自分自身のあり方や考え方に対して常に否定的でいるのは、辛いと思う。

ただ、今の自分をずっと肯定し続けた先に成長や進歩はあるのだろうか。

万策尽きた時、今までのやり方が通用しないと感じた時、そんな壁を乗り越えるためには、今までの自分を真っ向から否定して考え方を180°変えなければならない、そんな時が人生一度や二度あるかもしれない。

むしろ、成長や変化を実現するために、殻を破ったり過去の自分との矛盾を受け入れることは避けて通れない。

そうなると、「自己肯定感」という言葉の意味を再度解釈しなければいけない。

自己肯定感って、何だろう。



今の自分を無理にでも肯定し続ける感覚ではなく、たとえ自分が変化しようとも、どんな自分でも最終的には受け容れられる、そんな感覚こそ自己肯定感なのかもしれない。

生きていると、多くの矛盾を抱えることになる。

抱えた矛盾の数だけ自分にとっての成長や変化がある、とも言えるだろう。

それでもなお、今の自分、今のありのままの自分を前向きに受け容れようとする感覚、これこそが自己肯定感なのかもしれない。


結局、「自分を肯定したいだけなんじゃないか」への答えは、「はい」になる。

けれど、いつか、そう遠くないうちに肯定できなくなる時が来ると思う。

その時はその時で、成長や変化のきっかけと思って前向きに考えたい。

だから、これからも書き続ける。

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