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なりたかった自分に、なれているだろうか

なりたかった自分に、なれているだろうか
なりたくなかった自分に、なってはいないだろうか

なりたかった自分に「なれていない」と分かった時の悔しさや悲しさよりも、なりたくないと思っていた自分に「なっている」と気づいた時の絶望感の方が大きい。

「毎日疲れた顔して、満員電車に揺られるなんてごめんだ」

ジョッキを片手に吐いたいつかの言葉を、皮肉にも、満員電車の窓に映る自分を見て思い出すんだよな。

「あれ、私ってこんな顔つきだったっけ」
「あれ、俺ってこんなに小さかったっけ」

目の前に映る自分は、本当に自分なのだろうか。

そう思えているうちは、まだ僕らはやれるのだろう。

目の前に映る自分が、“なれなかった自分に、慣れている自分”だった時が、一つの区切りなのかもしれない。

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あの時、「なりたい」と願ったうちの幾つが実現できたのだろう。

いつしか、「なりたい」と願うことさえ減ってしまった。

「なりたかった自分になれたかどうか」なんて、きっとそれほど重要じゃない。

これから先どんな人生が待っていても、たとえ今が苦しくても、「なりたい」、「ありたい」と願うことや意思を持ち続けることの方が、よっぽど大事な気がする。

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人生、「大事なこと」があまりにも多すぎる。

大事なことが多すぎて、何も大事にできていない時はどうすればいいのだろうか。

大事なことに気づけるのは、いつも何かを失った時や後になってからなのは「仕方ない」と納得するしかないのだろうか。


「卑屈」に侵食されつつある自分自身に改めて問う。

「なりたかった自分に、なれているだろうか」

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