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毎日文章と向き合って、たいして考えていないことが分かった

「人は考える生き物」だから、過去の後悔から未来への不安、今日の晩御飯に至るまで、常に何かしら考えている。

実際「無」になろうとすると、そう簡単には「無」になれず、日々どれだけ雑念にとらわれているかが実感できる。おかげで、「マインドフルネス」という言葉もかなり普及した。

人は常に何かしら考えているし、そこに毎日大量のインプットがあるから、脳内を整理できていない、アウトプットが追いついていない、だから何となく、常にアウトプットもできるんじゃないか?という気がしていた。

しかし、いざ毎日文章による言語化をスタートしてみると、1ヶ月を過ぎたあたりで少し限界を感じた。

結局、今に至るまで文章を書くことは継続できているけれど、似たようなことばかり考えている、とふと思った。

何というか、思考がどこかで1周しているような感覚。

確かに、全く同じことを考えているわけではないけれど、その深さや観点が違うだけでジャンルやテーマはほとんど変わっていない。

だから、あれこれ考えたり頭を悩ませているようで、実はそれほど幅広くは考えていない。

とは言っても、何に考えを巡らせるかは、日々インプットする情報や関わる人や環境に左右されるはずなので、テーマやジャンルが寄るのは、当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。

それに、日々考えている内容のほとんどは「大したこと」ではないのかもしれない。

きっと、文章を書こうとした時に思い浮かぶような内容でない限り、大したことない気がする。

あれも書こう、これも書こうとならないのは、結局日頃大して考えていないということなのだろうか。

それならそれで、別に良いか。

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