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言葉の使い方は、生き方そのものだった

昨日、言葉の綾に関する記事を書きながら、言葉の使い方一つで心の持ちようや価値観、ひいては生き方をも変わってしまう、と感じた。

言葉は他者との意思疎通に欠かせないツールであると同時に、自分自身との意思疎通にも欠かせないツール。

自分が日頃何気なく選ぶ言葉の一つひとつで、自分の気分は移ろい、価値観さえも形成されていく。

今の自分を形成している要素は、もちろん過去の様々な経験だけれど、掘り下げると結局は「言葉」だと思う。

出会った人と交わしてきた言葉、恩師に言われたひとこと、何より、様々な経験や出来事を「言葉」によって解釈し、それを「思い出」へ昇華させてきた。

どんな経験や出来事も、〜〜した経験、〜〜な出来事、と言葉に変換されて、それが思い出になる時もあれば、思い出とも呼びたくない過去になる時もある。

そうやって最終的には「言葉」になっていくから、生きていくうえで「言葉」は切っても切り離せない。

僕らは、言葉を使うし、言葉に使われている。

時には言葉に縛られるけれど、言葉に救われることだってある。

言葉をうまく使うことがうまく生きるということ、それほど単純ではなさそうで、自分にとって心地の良い言葉を使うことが、うまく生きるということかもしれない。

冒頭の「差」と「違い」というこれらの言葉も、どちらが自分にとって心地良いかは人それぞれだから、自分にとって心地の良い方を使えば良いと思う。


「言葉が好きだ」

あまりにも浅はかな感想しか言えないほど、ぼくはまだ言葉をうまく使えないし、選べる言葉の数々もまだまだ少ない。

けれど、言葉に対して「奥深い」とも「趣がある」とも表現しなかったのは、「言葉が好き」という表現が今の自分にとって一番心地良いからだ。

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