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宮崎駿から、細田守へのメッセージ「崖の上のポニョ」

そういや宮崎駿は、「崖の上のポニョ」の公開前から「これが最後の長編」という事実上の引退宣言してたんだったよね。
今となっては、懐かしい話である。
じゃ、「風立ちぬ」と「君たちはどう生きるか」をどう解釈すべきかというところだが、これらは「P.S.」「追伸」の範疇と捉えるべきだろう。
思えば、彼は「もののけ姫」の後にも、「千と千尋」の後にも、やはり引退宣言をしていた。
もう、そのあたりから正直ギリギリだったんじゃないかと。
で、「ポニョ」で本当に

「もう無理!」


と限界を迎えたのかと。
仮に「風立ちぬ」「君たちはどう生きるか」が「P.S.」だというならば、「本文」の締めくくりはやはり「ポニョ」ということになるんだろう。

「崖の上のポニョ」(2008年)

宮崎駿は「風の谷のナウシカ」以降、一貫して
文明(人類)vs自然(地球)
の対立構造を描いてきた。
厳密には「ナウシカ」以前、「未来少年コナン」からしてそうだったかな。
コナン、ナウシカ、サンなどは明らかに自然陣営側に立った主人公で、彼らと敵対する陣営は必ずテクノロジーをもって主人公側を圧迫してくるんだ。
もののけ姫」などは、最も分かりやすいアングルだったと思う。
ただ、それに続く「千と千尋の神隠し」では、主人公が陣営のおぼつかない子供であり、その次の「ハウルの動く城」になると、もはや陣営そのものが主眼ではなくなり、むしろ陣営から逃避するスタンスを明らかにとってきている。
で、そういう流れを踏まえた上での「ポニョ」である。
「これが最後の長編」と前置きした上で、じゃ巨匠はどういう結論を出そうとしていたのか?
これが驚いたことに

人類(そうすけ)と自然(ポニョ)の融合


だったのよ。
はぁ~、そうくるか~、と思ったね。
闘うのではなく、かといって現実逃避して逃げるのでもなく、ちゃんと話し合ってお互いに分かり合おう、という実に穏便な落としどころじゃないか。
実際、この作品では誰も対立せず、そうすけの母とポニョの母が話し合いをしている。

話し合いを終えた、ふたりの母

ただちょっと薄気味悪いのは、このふたりの母の会話内容を一切描写しなかった点。
これは、「どんな会話をしたのか、皆さんで一度考えてみて下さい」という仕掛けだね。
ママ友のダイエット談義ではあるまい。
まぁ、人によっては「母が夫を取り戻す為に息子を売った」という嫌らしい解釈をしてるようだが、私はそういうの、正直好きじゃない。
この話し合いの結論は、その後の顛末を見ればお分かりのように、「当人の判断に任せましょう」というものである。
その「判断」というのは他でもない、そうすけ⇔ポニョの婚姻。
5歳児に一生の決断を強いるのはあまりにも酷な話だが、しかし宮崎駿は「耳をすませば」の脚本の中でも、中学生のふたりに将来の結婚を誓わせている。
案外、そういう考え方なんだろう。

ポニョの一族

そしてポニョの一族は上の画を見てお分かりのように、どうやらメスだけで構成されてるっぽい。
つまり、異種交配が前提の種族である。
確か「ゴブリンスレイヤー」のゴブリンはオスだけの種族ゆえ、村で人間の女をさらってきて「子供製造機」としてずっと輪姦する、という残酷な設定だったっけ・・。
でも「ポニョ」の場合は、さすがにそこまで殺伐とした話でもあるまい。
一部で、巨匠が明かした「ポニョの母=チョウチンアンコウ」という裏設定を根拠に、チョウチンアンコウの生殖形態を嬉々として語る人もいるけど、そんなのはほぼ無意味である。
だって、チョウチンアンコウは異種交配なんてしないし、メスしか産まないということもないんだから。
ポニョはアンコウとは全く別種のものであり(そんなの見りゃ分かるか)、私が思うに、地球の原始生命体にも近い存在なんじゃないかと。
だってさ、ポニョたちは人類のみならず、他の種とも交配できそうじゃん?
つまり、
ポニョの祖先×太古のサル(?)⇒人類の祖先
という可能性だってあるんだよ。
サルが知能ある人類に進化できたのは、知能の高いポニョDNAの恩恵、とかね。

どうやら巨匠は、「ポニョ」が「ハウル」を興行収入で上回ると読んでいたらしい。
結果その読みは外れて、本人は大ショックを受けて引退宣言撤回に至るんだけど・・。
じゃ、なぜ巨匠は「ポニョ」に自信があったのか?
それは、かわいい成分の含有率として
「ポニョ」>「ハウル」
だったからだよ。
巨匠は、「かわいければイケる!」と思ってたようだ。
おいおい、そう信じてるアンタが一番かわいいよ・・。

しかし、確かにポニョはかわいい。

宮崎作品の中でも、屈指なのは間違いない。
というか、宮崎駿の描く子供はどれもホントかわいい。
かわいくない「ハウル」でも、マルセルだけはマジかわいかった。
「ポニョ」の主人公は5歳のそうすけだが、これと似たようなところで4歳のくんちゃんを主人公にした、「未来のミライ」という細田守の監督作品がある。
これもまた名作にせよ、でもこのくんちゃん、あまりかわいくないのよ。

「未来のミライ」くんちゃん

いや、おそらく子供の生態をリアルに描いたという点では、「ポニョ」よりむしろ「ミライ」の方が上である。
しかし、リアルだからこそ、くんちゃんは全然かわいくない。
というか、ひたすらムカつく。
多分、これは宮崎駿と細田守の子供の接し方の違いだろう。
思うに、細田さんはちゃんと育児に協力する旦那だったと思うのよ。
だからこそ、子供のかわいさだけでなく、ムカつくところまできっちり描写できた。
だけど宮崎さんは、これはあくまで想像だが、育児協力はせず、全部奥さん任せだったんじゃないだろうか。
多分、彼は吾郎氏のオシメを替えたことなどなく、むしろ遠く離れたところから奥さんがオシメ替えてるところをスケッチしてるイメージ・・(笑)。
いや、だからこそ、逆に子供をあんなにかわいく描けるんだと思うよ。
常に、子供の漏らすウンコが匂わない位置にいるからね。
宮崎駿の視点は、vs息子、vs娘ではなく、やはりvs孫。
だからどうしたって、かわいくなっちゃうのよ。

あの傍若無人な「トトロ」メイですら、やっぱりかわいかった

そういや、以前に巨匠は、細田さんのことをディスったことがある。
細田さんが「ハウル」を降板した時、彼はこう言ったんだ。

心情をもって恋愛を描ける人間がやらなければいけないから、監督は若い人がいいと、僕は最初にそう思ったんです。
ところが、そうじゃない人がやったから話がややこしくなったんですね。

なんか、わけのわかんない映画になってしまうから、こりゃいかんと」

結構、酷い言い方だと思う。
しかし、これをもって細田さんが発奮し、恋愛を描いた「時をかける少女」(2006年)できっちりブレイクしたんだから、結果オーライとしようか。
元々「ハウル」は、鈴木さんが「こういう恋愛劇に宮崎さんではキツイ」と思ったらしく、その流れでわざわざ細田さんに依頼したはず。
巨匠自身は、「俺なら恋愛もイケる!」と思ってたかもしれんが・・。

もののけ姫】
オオカミに育てれらた少女×人間の少年

【千と千尋の神隠し】
龍(兄)×人間の少女(妹)

【ハウルの動く城】
ババアに見える娘×美青年に見えるジジイ

こうして見ると、宮崎さんは常にノーマルじゃない形態の恋愛ばかり描いてきてるのよ。
そして、その集大成としようとしてたのが

【崖の上のポニョ】
半魚人の幼児×人間の幼児

おそらく、この半魚人×人間の恋で細田守「時をかける少女」との格の違いを見せつけ、

「どや!愛は、種族をも超えるんやで!」


と言いたかったんだと思う。
ちなみに、このメッセージはちゃんと細田さんに伝わったようだ

「おおかみこどもの雨と雪」(2012年)
「バケモノの子」(2015年)
「竜とそばかすの姫」(2021年)

こうして見ると、実は細田守こそ、宮崎駿の愛弟子かもしれないね。

実は細田さんがジブリ入社試験を受けた際、落としたのは他でもない、巨匠だと言われている。
ただし、落とされた後、宮崎駿直筆の手紙が細田さんに届けられ、そこにはこう書いてあったそうだ。

「君のような人間を入れるとかえって君の才能を削ぐと考えて、入れるのをやめた」


巨匠、どんだけツンデレやねん・・。
そう、宮崎さんは基本、ツンデレなんだよ。
そう考えて初めて、「ハウル」の時の巨匠のミもフタもない言い方にも納得ができるんだ。


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