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児童文学としての「機動戦士ガンダム」

最近、「鬼滅の刃」見て思ったんだけど、炭治郎ってめっちゃいい子よね。
親の立場から見て「理想の息子」だし、妹から見て「理想の兄」だし、組織から見ても「理想の隊員」だろう。
炭治郎みたいなタイプの子は就職活動でも絶対内定たくさん貰えると思うし、入社してからも上司に気に入られて、間違いなく出世が早いはずだ。
そんな彼の性格をまとめると、次の通り。

・明るい
・天然
・純粋
・優しい
・根性ある

こういうキャラ設定、少年ジャンプに多いと思わない?
たとえば「ワンピース」のルフィ、「ドラゴンボール」の悟空、最近では「呪術廻戦」の虎杖。
やっぱ、売れる王道作品というのは、主人公がいい奴であることが必須条件なんだろう。
分かりやすいまでの純粋な善性。
これは見てる側に感情移入をさせて、自分を主人公と同化させて物語世界にぐっと引き込む効果がある。
エンタメ路線の王道。
漫画系アニメに慣れてる我々からすると、こういうのは当たり前のセオリーともいえるんだが。

炭治郎はコミュ力が高く、気難しい相手とも打ち解けることができるのが凄い

しかし、アニメ界の権威・高畑勲氏が、それと全く逆のことを言ってたのをご存じだろうか?
観客が主人公と同化し、主観的に物語に入っていく作品を「巻き込み型」と称し、高畑さんはそういうのを一貫して批判してきたんだ。
思えば、彼はあまり漫画原作を多く手掛けなかったよね。
どっちかというと、児童文学中心。
今は「世界名作劇場」もなくなり、児童文学のアニメ化はジブリなど限定的にしかやらなくなってきてるけど、昔はそこそこ多かったんだよ。
で、意外と児童文学ってやつは、漫画と違って主人公の感情移入できないのが多いのさ。
ひとつ、例を挙げよう。

「ニルスのふしぎな旅」(1982年)

これは、あの押井守が初めて手掛けた劇場用アニメである。
あぁ、ならば主人公ニルスが
俺のゴーストが囁くんだ・・
とか言うのかと思いきや、ごく普通の児童文学アニメでしたよ。
ただ、見てて凄く違和感あったんだ。
というのも、主人公ニルスが序盤めっちゃ性格の悪い奴だったから。
嬉々として動物虐待をするし、親の言うことは全然聞かないし。
その傍若無人っぷりが妖精の怒りを買い、呪いをかけられて身長10cm程度の小人にされてしまうんだけど、これも全て彼の自業自得である。
・・そう、この物語は
性格の悪い少年ニルスが、小人になったことで様々な経験を積んで成長し、最後は真人間になったことで呪いが解ける
という話なんだ。
だから視聴者は「性格悪い少年ニルス」をずっと見ていかなくてはならず、この主人公には全然感情移入できないのよ。
でも、児童文学は漫画と違って読者側を面白がらせることが主眼じゃなく、物語から教訓を伝えることの方が主眼。
だからニルスには感情移入するのでなく、むしろ客観的に見てもらいたいんだろう。
私はこれを見て
あぁ、これが高畑さんの言ってたことの意味か・・
と思ったね。

「GHOST IN THE SHELL」
「天使のたまご」
「スカイクロラ」

「ニルス」が初監督作ということが関係してるというわけじゃないにせよ、思えば押井守って、主人公に感情移入させない系の作品が結構多いのよ。
群像劇が多く、あくまで主人公は全体の中の1パーツに限定される役割だね。
少なくとも、少年ジャンプ系の熱血主人公を描くタイプの人ではない。
あと、主人公に感情移入させないという意味では、この人もそうだ。

「ガンダム」アムロ
「Zガンダム」カミーユ

富野由悠季の描く主人公は性格が歪んでて、なかなか感情移入しにくい対象である。
どちらかというと少年ジャンプ系ではなく、児童文学の方に近い。
もともと主人公主観で物語を作っておらず、客観で全体を捉えることを視聴者に求めた群像劇スタイル。
富野さんは元「虫プロ」のアニメーターだったし、てっきり手塚信奉者だと思い込んでたんだが、実はそうでもないみたいだね。
手塚治虫先生は「漫画の神様」であり、高畑さん言うところの「巻き込み型」アニメ開祖みたいな人である。
視聴者を主人公に感情移入させ、物語に没頭させていくスタイル。
富野さんは虫プロに入社すると、すぐに「ジャングル大帝」班に配属されたそうだ。

「ジャングル大帝」(1966年制作)

この作品、見たことある?
私、見てビックリしたんですけど。
主人公のライオン・レオは、森で肉食獣が草食動物を捕食しようとすると、「弱い者イジメはやめろ!」と言って追い払うんだ。
えっ?
この物語は、生態系バランスを否定するのか?
レオは「弱きを助け、強きをくじく」ヒーローとして、森の草食動物たちを守っていく・・。
じゃ、肉食獣であるレオ自身はどうやって食料問題を解決するのかと思ったら、「よし、みんなで畑を作ろう!」とか言い出すのよ。
というか、ライオンって農作物食べられるのか?
・・まぁ、手塚先生の狙いも分からんではないさ。
どうせ視聴者は子供だから生態系云々とか理解してないし、そういうリアルなことより、まずは主人公の高潔さを子供たちに伝えた方がいい、と。
ただし、捉えようによっては、子供をナメてるとも言えるんだけど・・。
多分富野さんは、こういう虫プロの水が合わなかったんだろうね。
ほどなくして虫プロを辞めてフリーになり、その浪人時代に東映の高畑勲と出会い、彼のことを「師匠」と慕うようになったという。

「機動戦士ガンダム」(1979年)

やがて富野さんは、サンライズで「機動戦士ガンダム」を制作。
よく考えたらこれ、虫プロと真逆のアプローチだよね。
「子供に分かりやすくかみ砕いて伝える」のではなく、とてもじゃないけど子供に伝わりそうにない難解な構造の話を「分かるだろ?」と出してしまう感じ。
しかも、それは今までの科学考証を無視した「スーパーロボット」路線ではなく、SF的な設定をきっちり揃えてきた「リアルロボット」路線。
この人、子供の理解力をどこまで過大評価してんのよ。
だけど、これが不思議と当たっちゃうんだよな~。
私は、これってある意味で高畑勲イズムの体現だったと思う。
また、この「リアルロボット」路線を別の形にして受け継いだのが押井守の「機動警察パトレイバー」だ。
やっぱりこの人も、設定をきっちり揃えてくるタイプだね。

富野由悠季と押井守


私は、このふたりが日本アニメ界で成した功績は大きいと思う。
彼らは「子供向けアニメ」の常識を根本から覆したんだ。
彼らが特別だったのは、「子供にも理解できるように分かりやすく」を優先しなかったこと。
あと、可愛げのないキャラを主人公に据えたこと。
一種の掟破りにも思えるが、実はそうでもないんだよ。
少年漫画はともかく、少なくとも児童文学では「難解な設定」や「可愛げのない主人公」は普通にあるから。
ちなみにだけど、富野さんは初めてオリジナル脚本を書くことになった際、まず本屋で「児童文学の書き方」という本を買ったそうだ。
漫画じゃなく、児童文学ってのがミソ。
そういや、最近では押井さんが久しぶりに児童文学のアニメ化脚本を書いていて、それが「火狩りの王」である。

「火狩りの王」(2023年)

これなんて、オトナが見ても理解が追い付かないほど難解なやつなんだけど、一応は児童文学というカテゴリーなんだよなぁ。
全ての作家がそうとは言わんが、少なくとも一部の先生は
児童向けだからといって、全てを易しくかみ砕く必要はない
とする厳しめのスタンスのようだ。
私は、それでいいと思う。
たとえば「ガンダム」。
あれは当時中高生などの「お兄さんたち」に人気があったんだろ?と思ってる人も多いだろうが、いやいや、ちゃんと「ガンダム」は小学生に人気ありましたよ。
あんな複雑なストーリーだけど、ちゃんと伝わってたんだと思う。
ひとつ言えることは、意外と子供もナメたもんではない、ということだ。
昔でさえそうだったんだから、ネット社会となり高度情報化の中で生きてるいまどきの子供たちは、さらに理解能力が上がっているかもしれん。
もはや、遠慮はいらん時代だと思うぞ。


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