見出し画像

セカイ系の出発点「うる星やつらビューティフルドリーマー」

今回は、「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」について書いてみたい。
これは、1984年制作の劇場映画である。
もはや名作といっていいだろう。
子供の頃にこれを見て育った人が成人して作家になると、ついつい作品に「ビューティフルドリーマー」の影響が出ちゃうんだよね。
たとえば、「涼宮ハルヒの憂鬱」などがいい例だ。
有名な「エンドレスエイト」、無限にループする夏休み最後の日。
これなどは、学園祭前日が無限にループする「ビューティフルドリーマー」そのまんまである。
というより、「ビューティフルドリーマー」はヒロインが無意識に創造した夢の世界の物語であるのに対し、「涼宮ハルヒ」はヒロインが無意識に創造した現実世界の物語。
つまり、ラム≒ハルヒということさ。
そもそも、ラムが女子高生兼「宇宙人」という設定からして、谷川流先生が「うる星やつら」の影響下にあるのは間違いないよね。

ちなみに数年前のことだが、「踊る大捜査線」の監督で有名な本広克行が「ビューティフルドリーマー」という同名の実写映画を作っている。
ただし、これは「ビューティフルドリーマー」実写版というわけじゃなく、それの実写化に挑む、とある大学の映研サークルの奮闘を描いた青春ドラマである。
もちろん、こういうのって元ネタを知らない人には「??」というクソ映画なんだろうけど、逆に元ネタが大好きな私にとっては結構面白かったよ。
本広監督なりに、懐かしい名場面の数々を忠実に再現しようとしてる。
これを見てると、久しぶりに「ビューティフルドリーマー」が見たくなり、私は実際に見ちゃったクチなんだけどさ。

映画冒頭のシーンの再現
さくら先生役は秋元才加
風鈴のシーンも再現

こういう再現の数々に触れると、改めて「ビューティフルドリーマー」は「古典的名作」なんだと思い知らされるね。
さて、本題に入ろう。
なぜ、この作品が80年代アニメの中でも特別視されているのか?
それは、この作品が元祖「オタク」コンテンツだからさ。
ぶっちゃけ、めっちゃリピーターの多い作品である。
という理由のひとつが、作中に複数の映画パロディを盛り込んでるらしいのね。
このへんは、映画マニアの押井守ならではの趣向である。
ただし、さっと1回見ただけじゃ、どこがどうパロディなのかも全然分からないのよ。
私なんて、いまだ分かってないし。
だけど、やがてこういう細かいところを研究する人たちが出てきちゃったんだなぁ・・。
そう、それが「オタク」の始まりである。
80年代は家庭用ビデオが普及したこともあり、70年代までの楽しみ方と違って「映像作品を何度も見て研究する人種」=オタクを生んだわけだ。
そのキッカケのひとつが、私は「ビューティフルドリーマー」だったんだと思うよ。
たとえば、この作品のオチを「無事、夢の世界から現実の世界に帰還できてめでたしめでたしのハッピーエンド」と誤解してる人っているでしょ?
さっと1回見ただけでは、そう思ってもしようがない。
ただし複数回見てるオタクは、ほぼ全員がこれを「バッドエンド」と捉えてるのよ。
理由は、これさ↓↓

「ビューティフルドリーマー」のエンディング映像

スタッフロールの間は少しずつ画面がズームアウトしていき、やがて校舎の全景が映る。
そこで、校舎が「2階建て」であることに観客が気付く仕掛けなんだね。
それ見て我々が「あっ!」と思った瞬間、キンコン、キンコン、と不穏なチャイムの音が鳴り、物語は締めくくられる・・。
ここで、作中のさくら先生の言葉を思い出すことが必須。

「校舎をよく見てみい。
築60年、木造モルタル3階建ての時計塔校舎、いつから4階建てになったんかの?」

そう、この校舎は本来3階建てなのよ。
なのに、エンディングで映った校舎の全景は、明らかに2階建て。
これは何を意味してるかというと、つまりこの世界もまだ「夢の中」ということ。
ようするに脱出できなかったことを意味しており、なのに諸星は脱出できたと思い込んでるんだから、一層タチが悪い。
多分、彼らはこの後も延々とループ世界に囚われ続けていくんだろう・・。
という構造に気付いたからこそ、高橋留美子先生は押井守にキレたんだろうね。
「うる星やつら」の世界観でバッドエンドは絶対にあり得ん、と。

高橋先生が怒った気持ちも分からんではないが、じゃ、なぜ押井守はこんなオチにしたのか?
おそらく、彼の言い分はこうだろう。

「うる星やつらは、もともとループ世界じゃないですか。
だって登場人物はみんな、何年経っても高校を卒業しないんだから」

そう、確かに「うる星やつら」は「サザエさん」や「ドラえもん」と同様、ループ世界である。
でも、そこは触れちゃいけないタブー、それが暗黙の了解じゃなかったの?
なのに、「ビューティフルドリーマー」で遂にその禁断の領域へ踏み込んでしまった。
結果、押井守は「うる星やつら」降板・・。
ただ、ここで「ループ世界」を提示したことによって、この作品は後の時代に一世を風靡することになる、「セカイ系」の基礎を作ったとされている。
というより、「ビューティフルドリーマー」に感化された世代が、後の世で「セカイ系」を作ったというべきか。
まぁなんにせよ、これが日本サブカル史のターニングポイントになった作品なのは間違いないだろう。

メガネ

そして、「ビューティフルドリーマー」において欠かせないキャラのひとりがメガネである。
もともとの「うる星やつら」はあまりモノローグがないんだが、この作品においてだけは約3分半にも及ぶ、長い長いモノローグがあるんだ。
しかも、その語り手は主人公の諸星でもラムでもなく、メガネである。

「私の名はメガネ。
かつては友引高校に通う平凡なイチ高校生であり、退屈な日常と闘い続ける下駄ばきの生活者であった。
(中略、この語りが3分ほど続く)
ああ、選ばれし者の恍惚と不安、共に我にあり。
人類の未来がひとえに我々の双肩にかかってることを認識する時、眩暈に
も似た感動を禁じ得ない。
メガネ著 友引全史第一巻 終末を越えて 序説第三章より抜粋」

めっちゃカッコいいモノローグだけど、こいつ、ちゃんとした名前すらないモブだからね(笑)。
原作ではモブなのに、なぜか押井版では諸星、面堂に次ぐ男子キャラ3番手のポジションを確固たるものにしている。
これはひとえに、声優・千葉繁という強烈な個性の下剋上なんだけどね。
彼はアドリブの天才であり、毎回ブッ込んでくるアドリブがあまりに面白くて共演者が笑いを堪えるのに苦労した、と証言している。
監督も「面白いからあいつのセリフを増やそう」となり、気が付けばメガネは男子3番手ポジションまで出世していたという。
こういうところも、高橋先生は気に入らなかったかも・・。

ちなみに現在放送中の令和版「うる星やつら」では、メガネがサトシと名を変え、かなり目立たないポジションに甘んじている。
今回は高橋先生を怒らせないよう、原作準拠のようだ。
個人的には、ちょっと寂しい・・。
一説には、メガネ=押井守の学生時代の投影ともいわれている。
押井さんの学生時代はというと、どうやら学生運動に傾倒していたらしい。
なるほど、確かにメガネってそれっぽいね。
作中でも、時代錯誤に
「万死に値する!連行しろ!
戻り次第、人民法廷を開いて処罰を決する!」
とか言ってるキャラだし。
今の70~80代の人たちって、押井さんだけじゃなく宮崎駿や富野由悠季もそうなんだが、みんなそういう道を通ってきたんだろうね。
よって、妙なところで「反権力」を発揮するのよ。
もちろん高橋留美子先生は女性なので、そのへんの感性を理解できまい。
いや、「うる星やつら」にそんなもん持ち込もうとする方が間違ってるんだけどさ・・。

まぁとにかく、この「ビューティフルドリーマー」という問題作、令和の今になって見ても面白かったわ。
皆さんも、改めて見てほしい。
令和版と見比べてみるのもいいね。
できれば、本広監督の「ビューティフルドリーマー」と2本立てでの視聴をお薦めします。


この記事が参加している募集

コンテンツ会議

アニメ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?