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「蓋世豪侠」最終回をキメる秀逸の一言

 旧正月から見てきた周星馳(チャウ・センチー)のテレビドラマ出世作「蓋世豪侠」。(以下一部ネタバレあり。予めご了承ください)

全30話の中で語られている事は決して面白おかしい事ばかりではありません。

ストーリー的には裏切り、濡れ衣、復讐、派閥争い、肉親同士の憎悪、騙し騙され、利用し利用され、皆次々に無残に殺され死んでいきます。

その中で周星馳が周りに吹っ掛けるあの適当臭い軽口のやり取りだけで笑いの要素がプラスされているだけで、実は至って真面目なドラマです。色々な伏線がホントに絶妙に功を奏して絡み合っていく樣が見事な脚本です。

ところが、29話まで一貫して(周星馳以外)シリアス展開だったのが最終回になると集大成と言わんばかりの遊び心が詰め込まれ、色んな設定もグダグダになって、これまでの悲惨な死に方をしたあのキャラやこのキャラの事もぶっ飛びます。

最終回の呉鎮宇(フランシス・ン)演じる段玉樓は邪悪な拳法「玉女神功」を身につけ完全に性格が女性化していて、ずっと拗ねたようなおちょぼ口。

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「玉女神功」に対抗できる「極楽神功」は、一撃必殺で敵も死ぬ代わりに自分も命を落とすと言う拳法でしたが、奥義が書かれた本には更に「死なない極楽神功がある事と秘密の地図が隠してあり、「極楽神功」の創始者、その名も「極楽老人」(150歳)を何とか探し出してその奥義を学びますが、段玉樓の襲撃で、周星馳演じる段飛の身体の経絡を開き、力を高めきる前に極楽老人は死んでしまいます。

150歳設定なのにめちゃめちゃ若々しい極楽老人(←鮑方)↓↓

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でもその極楽老人が最後に遺してくれたのが、極楽老人の若き日に愛用していた戦闘服。それがコレ↓↓

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このコスチュームが何を意識しているか、この色使いでピンと来る方も多いでしょう。そして周星馳のセリフでダメ押し。

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「我已經成為一個超乎常人極限的人(俺はもう常人の極限を超えた存在になったんだ)」というセリフを、わざと

「我已經成為一個乎常人極限的」赤丸をつけた二字だけハッキリと強調して言っています。「超人」つまり「スーパーマン」、「俺はもうスーパーマンになったんだ」と暗に言っています。

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そして、結局「極楽神功」を使わないまま(ストーリー上の一番メインアイテムだったのにwww)、グダグダな消耗試合で辛くも宿敵段玉樓(←フランシス・ン)を倒した段飛(←周星馳)が最後に自分の流派の改名を提案します。

「穹蒼派(コンチョンパイ)」宇宙を表す壮大な名前の流派ですが、

「穹(コン)」と貧窮の「窮(コン)」が同じ音だから、自分達はずっと貧乏なのだと言い、自分の父姓である「段」、自分の尊敬する師伯(師匠の兄弟子)古峰(呉孟達が演じた正義感の強い弟)の姓である「古」、プラス自分の母姓である「辛」を合わせて「段古母辛派」にする、と言います。

姓だけの「段・古・辛」派 ではなく「段・古・母(←)辛」派

何故かわざとらしく「母」という字が残されている事に、ここで勘のいい視聴者は気づくはずです。コレは何かの仕込みだと。

さて、時は流れ、また周星馳と呉鎮宇兄弟が出てきます。めちゃめちゃ仲良しです。

これは元の主役の二人ではなく、世代が変わった息子達二人です。

周星馳(段飛の息子として)と呉鎮宇(段玉樓の息子として)が仲良く父親段飛(周星馳二役)の尿瓶に爆竹を仕掛けるシーンが展開されます。

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この世代になって、本当にこの兄弟が仲良く楽しくやっていて、過去のダークな部分が帳消しになった感じになります。

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年寄りメイクをした周星馳達も出て来て、流派の名前を変え、色々な恨みつらみからも解放され、金回りの良さそうないい暮らしをしている事がうかがえるシーンです。

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で、一番最後に改名された「段古母辛派」の拠点である「段古母辛府」の看板が映し出されて終わります。

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でもこれはただ変な名前に改名したという事ではありません。

「段古母辛府」は「斷估冇辛苦」と音が同じ(デュングーモウサンフー)で意味は「隨意瞎猜不會辛苦」(適当に当てずっぽうでやってれば何の苦労もない)という意味で、まあ、Take it easy、気楽に行こうぜ的なニュアンスです。

これのみならず、周星馳の作品にはたくさんの香港文化を反映した言葉遊びが込められています。だから文化背景を知らずにそのセリフだけを見ても香港で生まれ育った人でなければ面白みが理解できずにスルーしてしまうものもたくさんあります。

ただ、流派名が映し出されている画面に、これだけの情報を字幕で入れるには前振りが少なすぎて匂わせる事もできず、かといって、流動的画面に入れられる文字数は限られます。

結局、もし日本で放映されるのに字幕を入れるとしたら、仮に訳者がこの言葉遊びを理解できていても、字幕は何も入れずに終わるしかないのかな~と、またマニアックな妄想をしてしまいました。

実際に使う時は「斷估估、冇辛苦」と3文字ずつでリズムよく使う事が多く、このドラマが放映された当時は流行語として社会現象にもなりました

最終回でグダグダ設定でハッピーエンドの変なダジャレで終わりかい、と思うなかれ!

最終回まで、このドラマでは主要キャラが半数以上殺し殺され、ホントにドロドロの憎悪、怨恨、野望、愛憎、等が描かれているのです。(周星馳のせいで、そんな鬱々とした暗い気分になりはしませんが)そういう人間の持つダークな負の感情も全部全て「斷估冇辛苦」。

この最終回だけが、ここに至るまでの29話と全く違う毛色で描かれている事で、この最終回一話で先の29話を全否定するかのような「らしくない」グダグダぶり。

だからこそ「もっと気楽に考えられたら、そんなに色々苦しまなくてもいいんじゃないの?」という、この一見こじつけのような一言が際立ってくるのです。

そして逆に、単なる「唔好咁認真(そんなに真面目にやらなくていい)」とか「做人軽鬆點(もっと気楽に)」とかストレートな言い方じゃなく、無理やり捻りを利かせているからこそ、メッセージとして強いインパクトを持ち社会現象にまでなったのだろうなと思います。

「斷估冇辛苦」を言いたいが為の「段古母辛府」

これぞまさに「終わりよければ全てよし」 お見事!

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