あの夏も暑かった

画像1 駐在員だった頃、帰国はお盆と正月だけ。でも10日余りほどの帰国の半分は神戸本社、二日間は移動、富山の実家に帰れるのは3~4日間。年間でも一週間ちょっと。
画像2 結婚と同時に父の病の再発を知って会社を辞めた。もう少し父の為に使える時間がたくさんあると思っていたのに、父はあっという間に遠くに行ってしまった。
画像3 それから年に三回、一回一ヶ月ほどの長期帰国をするようになった。夏の帰省は、ほぼ毎年8月頭に近所の河原で行われる戦死者たちの鎮魂の花火大会が見られる時期に。
画像4 徒歩で片道40分の道のりを歩き、河原にビニールシートを敷いて観る花火。
画像5 おやつと手弁当と屋台で食料を調達して、ちっちゃいビニールシート一枚の面積に、母と二人並んで横たわり眺める花火。
画像6 ドーン、ドーン、と花火の打ちあがる音が地面からお腹に伝わってくる度に
画像7 私は、とてもかけがえのないその瞬間にいつも涙が出そうになった。
画像8 母と分かち合ったあの美しい一瞬、一瞬は、もう二度と帰ってこない。
画像9 眼前に広がる向日葵畑も
画像10 一緒に食べに行った鉢蕎麦も
画像11 一緒に甥っ子と姪っ子のお守をさせられたあの日々。
画像12 「孫は目に入れても痛くないなんて全然そんな風には思えないけど、ただ家で預かってやれば、あの子たち(妹夫婦)もちょっとは息抜きできるやろ」そう言って母は妹の為に孫を預かり、私は母の為に車を運転し金を払う。
画像13 母と過ごせる毎日は何気ない近所の風景も全てが特別に思えた。
画像14 もう誰も迎えてくれる人がいない実家だけど、そんな空の実家に私が帰れるのはいつだろう。今日は母までもが遠くへ行ってしまった日。

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ハザカイユウ
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