見出し画像

「いじめはあったか、なかったか」って、いったい誰が知りたいの?

 今朝、いつも通りlivedoorニュースを眺めていると、こんな記事を見つけた。

生徒自殺、なぜ学校や教育委員会は「いじめ」を認めたがらない? 仙台の事件を考察
ざっくり言うと
・学校や教育委員会が「いじめ」を認めたがらない理由を弁護士が解説している
・現場の意見を「そのまま受け入れてしまっているのではないか」と指摘
・教育委員会の多くが元教員であり、馴れ合いが起きているかもしれないとした

 今だから、平静なまま思い返せる。十三歳から十五歳にかけて、私は五度、「死のう」と考えた。……「死にたい」ではなく。

 一度目。風邪薬をひと瓶一気に服用しても、実は人間って、それくらいじゃ死なない。
 二度目。田舎とはいえ車通りの多い国道にかかる歩道橋から上半身を乗り出した。偶然通りがかった二十歳くらいのお兄さんがぎょっとしたのを見て、我に返った。
 三度目。数学で使うコンパスの針を手首に刺した。結局、とくとくと脈を打つ、いっとう柔らかいそこには刺せなかった。
 四度目。ネットを通じて怪しげなおじさんに会った。ちょっと悪戯をされて、ご褒美をもらっただけだった。
 五度目。ゴミ焼却場の近くを流れる川に膝まで入ってみた。対岸には、白鳥がいた。おかしなことに、「死ぬほど冷たい!」って思って、すぐ陸に戻った。

 自分を終わりにするためにはどんな方法がいいのか、子どもなりにくまなく探したつもりだった。ああ、確かにあの頃、私は「死のう」と思った。けれど毎朝、「生きてる」とも思った。よくも悪くも。

 かつての同級生とは、未だに会う機会がある。毎度、同窓会には声をかけてくれるのだ。誕生日にはメッセージをくれ、「ふと会いたくなって」と連絡を寄こしてもくれる。そして、当時のことを振り返り、「大変だったよね」と互いに労う。

 けれど、みんなは気づいていないだけなのだ。一番燃えた家と、その前後左右で火の粉をかぶった家とが、外から見ればそう変わらないのと同じように。結論として、「このあたりで大火事があった」と、まとめて記憶されてしまうのと同じように。その実、どちらも大変ではあったのだけど。

 「誰も私のことなんて分かってくれないんだ」なんて、馬鹿馬鹿しいことは言いたくない。けれど確かに、あの頃の私が感じた、鉛のような絶望、切れ味の悪い包丁で心臓を撫でられるような痛み、朝にも夜にもまったく等しく感じた何かは、きっと本当に、私にしか分からない。

 そういうもの、なのだと思う。「分かるよ」なんて言ってほしくない。当時も今も、これは私だけの苦しみだ。

 誤解を解いておきたい。私は、たぶん、 “いじめ” られてはいなかった。
 私の記憶によると、クラスの女ボスに目をつけられ、クラス全員からハブられて、ものを隠され、捨てられ。トイレの個室に入れば、扉の向こうから私に聞こえるように罵られ、帰り道すら油断できなかったけれど。自転車の列に、押し倒されたりもしたけれど。私自身、当時のあれが果たして、いじめだったのか、本当に分からないのだ。

 でも、苦しかった。

 辛かった。

 怖かった。

 悔しいくらい、悲しかった。

 そして、冒頭に戻る。今朝、私が読んだその記事の焦点は、「 “いじめ” があったかなかったか論争の背景」だ。(「弁護士ドットコム」発の記事なので、その切り口は妥当だ。私は、この記事が悪いと言いたいのではない)

 あったかなかったか。うん、大事なことだ。けれど、何よりも重要なことは、 “嫌な思いをしている子どもがいる” という事実だ。どちらが正しいとか、誤っているとかではなく。正義と悪の話ではなく。

 至極単純に、嫌な思いをしている子どもがいるんだ。今も。たぶん、これからも。ずっとだ。悲しいことに。権威ある学者の研究でも、「生き物が集団になると必ずいじめが生まれる」と明らかにされた。嫌な思いをしている子どもがいるという、紛れもない事実を受け止めることが最優先だ。

 間違っちゃあいけない。いじめがあったかなかったかだなんて、当人が一番どうでもよかったりもする。いったい、誰のための白黒なんだろう。ねえ、それ、私が「死のう」と思ったことと関係あるの?

 今、僕が、私が、苦しんでいることに気づいて、何も言わずに匿ってほしいだけ。「分かるよ」なんて、どうか言わないで。どうでもいいんだよ、分かっても分からなくても。今、苦しい。この事実だけが、視界の、心の、すべてなんだ。

 自論だが、自分の苦しみは自分だけのものだから、他人と分かち合うなんてできないのだ。できるとすれば、それは “同情” と呼ばれるもので。本当の意味での理解なんて、できっこない。だから、愛のある同情は誰かを救うこともあるんだ、……って。

 「分かる」なんて、言わないで。でも、「分かりたい」って顔をして。
 これが、あの頃の私が、本当に言いたかったことなのかもしれない。ようやく、すこし分かってあげられた。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?