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ミックステープをつくるように。
いったい何本のテープをつくったことだろう。
学生のころ、毎週のようにミックステープをつくっていた。いまのことばで言えば「プレイリスト」なのだろう。90分とか120分とかのカセットテープに、自分が好きな曲を好きな順番で入れたテープだ。往復で2時間近い通学のあいだ、ずっと自作のミックステープを聴いていた。思えばあのときの経験が、ぼくに「編集」や「構成」というものの基本を教えてくれたのかもしれない。A
こんなことを考えながら書いている。
ああ、どっちの話を書こうかな。
前提としてきょうは、あまり時間がない。それもあって今日は、いま書き進めている「ライターの教科書」についての、自分なりに定めた「書いていくうえでのルール」を備忘を兼ねてメモしておこうかと思っていた。けれども昨日、ほぼ日の学校・万葉集講座(永田和宏先生の回)で「歌仙」というものに触れて、がんがんばんばん、わんこそばのように歌を詠んで、「ああ、おれは自分のことを、詩を書
速筆だったぼくが、遅筆になった理由。
筆が遅いさまを「遅筆」という。そして遅筆の対義語を「速筆」という。
たぶんぼくは、いま生まれてはじめて「速筆」という文字をタイピングしたはずだ。そして本日よりこの先、速筆について語ることもなければその文字をタイピングすることもないだろう。だってぼくは遅筆家なのだから。筆が進まないよお、と嘆く機会は何度となくあるだろうけど、その逆を語る機会など訪れようがない。
じつをいうとむかし、ぼくは速筆家だ
文章をなるべく「シンプル」にするということ
「なぜか伝わらない」
そんな悩みをお持ちの方は「シンプルな文章」を目指してみるといいかもしれません。
「シンプルな文章」とは、余計な「ぜい肉」がなく、スッキリとしていて、きちっと「骨格」のある文章です。
もちろん「シンプル」でなくても、魅力的な文章はたくさんあります。「骨格」などなくても、空気の伝わってくる素敵な文章も多くあります。「シンプルでないほうが文章として魅力がある」と思われる方
おれは僕に私を書かせる
ライター講座で受講生たちに作文してもらう。すると、「お見事!」とまではいえなくとも、好感のもてる文章を書いてくるひとはたくさんいる。そしてその大半が女性陣だ。肩に余計な力を入れず、するっとした筆致の、読み手を疲れさせない文章を、書いてくる。
いっぽう、男性陣の文章はたいてい窮屈で、まわりくどく、つまらない装飾でからだを重くし、読み手をへとへとにさせる。きっと若いライターさんでも、その傾向はあると
クリエイティブにとっての最大の敵。
先日、会社の田中さんから妙な感心のされかたで言われた。
「古賀さんは〇〇〇の原稿をやっていたときも、毎日 note を書いてたんですよね」。これだけ聞くと、どんなに忙しくとも実直に更新を続けるまじめなひとのように映るかもしれないけれど、感心のポイントはやや異なる。彼女が言わんとしていたことを年長者への礼を排したことばに置き換えると、「お前はあの原稿が大幅に遅れ、あの最恐におそろしい編集者さんから
ぼくが読みたい文章。
沼、という表現があるのを知ったのは、一昨年のことだった。
広辞苑が「湖の小さくて浅いもの。ふつう、水深5メートル以下で、泥土が多く、フサモ・クロモなどの沈水植物が繁茂する」と解説するところの沼については、もちろん知っていた。そうではなく、趣味や芸事の深みにはまり込んでいくさまを「沼」と呼ぶのだと、ぼくは一昨年に知った。たしか、伝聞のことばとして聞いた「海外ドラマは沼」なる台詞が、その最初だった。
どうしても消したかった「おれ」。
ライターになってからの数年間、「おれ」が邪魔だった。
なにを書いても原稿から「おれ」の匂いがする。どうにも田舎っぽい、いかにも手づくり感の漂う、つまりは素人くささの抜けない、洗練とはほど遠い原稿ばかりを書いていた。署名記事でもなく、「おれ」を読みたがっている読者など皆無であるゆえ、「おれ」の匂いがただただ邪魔だった。まわりの人がどんなに褒めてくれても、自分にはわかる「おれ」の匂いだ。
経験を重
それでも書いていく、の心。
こいつ、なんにも考えてねえだろ。
誰かの書いた文章を読んで、たまにそう思うことがある。どこかに掲載されている記事、送られてきたメール、もっともらしい文言の並んだ企画書、あるいは商品として販売されている本。ちゃんと考えることをしないまま書かれた文章は——たとえ書いた本人がそれと気づいていなくても——かなり瞬時に見抜くことができる。きみ、ここのところ、なんにも考えないまま書いたよね、と。
ぼくは