フォローしませんか?
シェア
TakuForestry
2024年5月11日 11:54
ⅰ.想像を絶する大都会オカンの姉にあたる伯母さんの話を、まずは書こうと思う。彼女は相模原市に住んでいる。僕が高校を卒業して、川崎市にいた頃、何度も泊まらせてもらい、大変お世話になった。オカンが緊急入院した時、真っ先に連絡したのが、神奈川の伯母さんである。僕が小学6年の頃、姉貴と2人で徳島から夜行バスに乗り、初めて東京へ旅行をした。翌朝、品川駅に着いた僕らを、迎えに来てくれたのが彼女
2024年5月7日 18:44
ⅰ.古道づくり奈良県東吉野村に移住して1年半が経とうとしている。移住して3ヶ月間は家の周りの山を歩いていた。そして道を作ることを始めた。東吉野村の小川という地区には、いくつかの集落があり、上出垣内(カミデカイト)というのが自分の住む在所である。家は村道に面しており、お隣さんは30メートルほど離れて建っている。自分の家から上は、山肌にへばり付くように、家が4軒ほど点在しているが、人は
2024年5月5日 18:12
Ⅰ.プロローグ都会に出て挫折を味わい、田舎に引きこもっていた人間が、また都会へ出るに至るまでの話を、まずは書こうと思う。徳島県の山奥で、4年ほどキコリの仕事をしていた。その関係で県の外郭団体の臨時職員として半年間の森林調査員に採用される。その6ヶ月間は徳島市の実家から県庁まで通っていた。(祖谷の山奥からだと車で2時間以上かかる)して、半年が過ぎ去り、「さて、また山奥に戻るか」とか
2024年4月28日 14:43
ⅰ.プロローグ徳島県の山奥に大歩危(おおぼけ)、小歩危(こぼけ)という渓谷があり、その渓谷からさらに山深い村に住んでいた頃の話を書こうと思う。ラフティングのツアーガイドという仕事をするため、この山奥に住み始めたのだが、週末の2日間しかお客さんが来ない日々が続いていた。それでも最初の頃は、先輩とラフティングのトレーニングとしてボートで川を下ったり、カヤックの練習をして、スキルアップに
2024年4月27日 20:25
1.万引きなんてしねーよ時代が、昭和から平成に入って、間もない頃、徳島県の田舎町に、ある中学校のありふれた日常を、綴った物語である。この中学は、3つの小学校を卒業した生徒に分かれていた。僕らはその中でも過半数を占める最大派の小学校グループだったが、少数派の生徒から受けた影響は計り知れない。それは中学生になるまでは、授業中に寝るとか、先生の話を聞かずにマンガを読むなど、あり得ないと思っ
2024年4月23日 18:50
人生の大きな転機となった中学の部活について書こうと思う。中学校に入学してサッカー部にするか、はたまた陸上部に入るかで長らく悩んでいた。少年サッカーの友達は、ほぼ全員がサッカー部へ入部し、自分だけが、まだどこに入るか決めきれずにいた。1993年。Jリーグ元年であるこの春は、ボールを蹴ったことがない者までが、サッカー部へ入るという人気ぶりであった。さらにサッカー部には、良く知っている仲
2024年4月23日 00:34
今から30年程前のである。平成の太上天皇が徳島県南部に位置する日和佐町へ行幸に来られた。当時の日和佐町では町をあげてのお祭り騒ぎの状況であった。(現在徳島県日和佐町は合併して美波町)「こんな漁師町の片田舎に天皇陛下が来てくださる」と誰もが胸を躍らせ、一生の思い出にひと目お会いしたいと大浜海岸へ集まった。この海岸にはウミガメが産卵にやって来ることが有名で「ウミガメの町」をアピールして
2024年4月9日 13:45
1.プロローグかつて田舎の工業高校卒業生は「金の卵」と呼ばれていた。しかし、僕らはバブル崩壊後の入学で、これから深刻な就職氷河期が始まろうとしていた。進学する生徒が就職する者を上回ったのも自分達の代からである。しかし、自分は就職組に入っていた。高校2年になると、大体めぼしい会社が決まっており、授業はろくに受けなくてよかった。ただ部活だけは真剣に取り組んだ。陸上競技の名門校でその全員
2024年4月3日 17:39
1.プロローグ「明日から廃部になります」と突然上司に告げられた。川崎市の某社会人陸上部に所属していた僕は唖然となった。しかし、会社は早期退職制度なるものを用意し、まだ3年目の僕に、退職金200万円を提示してきた。さらに辞めてから1年間は、会社の寮に残ってもいいという。まだ20歳だった僕は、迷わずその条件に飛びついた。世間知らずの田舎者で、当時は、あまりお金を使うことがなく、
2024年3月22日 19:30
1.伝説の新聞勧誘員高校の同級生である福田のことを書こうと思う。それは21世紀を目前に控えた1998年、上京して、たまたま近くに2人は暮らしていた。彼は高校を卒業し、品川区の荏原中延にある独身寮に住んでいた。僕も近くの川崎市に居たので徳島の田舎者同士でよくつるんでいた。僕らは別々の会社に勤めていたが、常にお金がなく、蒲田駅のボロくて安い居酒屋で飲むことが多かった。そんな中、福田は給
2024年3月19日 10:34
1.レッスンコーチとメッセンジャーシドニーオリンピックが終了し、北京五輪が3年後に迫っていた。僕は社会人ランナーとして勤めていた会社を辞め、トライアスロンに挑戦するという暴挙にでた。3年勤めた会社を退職したのだが、しばらくは、辞めた会社の社員寮で暮らしていた。そこは、「退職しても1年間は残っていい」という親心のような緩い規則があった。今から思えば、会社を辞めた人間が、その社員
2024年3月12日 12:04
1.さらばゴールドコーストトライアスロンのプロになるとオーストラリアまで来たものの、すでに気持ちが折れ、限界を感じていた。クイーンズランド州ゴールドコーストにある、トライアスロンのクラブチームに通い出して、もう半年近く経とうとしていた。「自分じゃ、無理かも、、駄目だな、、、」と自己不信に陥り、半ば腐っていた。そんな中、雄一くんとの出会いによって、引退を意識し始める。僕はこっちのト
2024年3月2日 13:58
1.プロローグ夫婦喧嘩は犬も食わないと言うが、親父が癇癪を起こし、一方的に怒りつけ、それをオカンは「ハイ、ハイ」と聞き流す。そんな喧嘩というか、かなり激しめの癇癪は、日課のように起こっていた。瞬間湯沸かし器のごとく、癇癪を繰り返す親父は、ご近所の名物でもあった。子供の教育はビンタが基本。悪い事をしたら、怒るよりも先に、平手が顔や頭に飛んできた。しかし小学生の頃は、「当たり
2024年2月17日 19:59
1.オカンの仇キャットという名の大型犬とお婆さんの物語を書きたいと思う。引っ越して間もない頃、我が家に生まれたばかりの子犬がやってきた。真っ黒で小さくて、何かに怯えているのか、ずっと震えている様に見えた。「さぁ、ご飯だよ〜」とドッグフードを与えても食べようとせず、何故かキャットフードを好んで食べる。キャットフードばかり食べていたので名前がキャット。名付けたのは親父で、これか