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心にワクワクを届けたい。奈良県東吉野村在住 エックスモバイルの代理店やってます。 「お…

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心にワクワクを届けたい。奈良県東吉野村在住 エックスモバイルの代理店やってます。 「おもしろきこともなき世をおもしろく  住みなすものは心なりけり」 自伐型林業とシェアハウス、サウナ小屋作りに興味あり。毎日note継続中

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東吉野村民やってます。Ⅲ[この村でやりたいこと]

東吉野村に移住して、もう少しで1年半になる。 何かを始めようと思い、まず、ケータイ屋をやることにした。 エックスモバイルの代理店である。 これは物価高と言われる現在に於いて、生活費を下げるには通信費の見直しが1番だと以前から思っていた。 その中で特に携帯代の見直しは、あまり知られていない様に思う。 山間部はドコモの電波が圧倒的に強いので、ドコモ回線を用いたMVNOのエックスモバイル社の代理店契約を取得した。 ケータイを売っている様に思われる事が多いが、回線を販売して

    • ランバージャック(全8話 7,744文字)

      ⅰ.プロローグ 徳島県の山奥に大歩危(おおぼけ)、小歩危(こぼけ)という渓谷があり、その渓谷からさらに山深い村に住んでいた頃の話を書こうと思う。 ラフティングのツアーガイドという仕事をするため、この山奥に住み始めたのだが、週末の2日間しかお客さんが来ない日々が続いていた。 それでも最初の頃は、先輩とラフティングのトレーニングとしてボートで川を下ったり、カヤックの練習をして、スキルアップに努めていた。 しかし、客を乗せない事にはお金にならないので、山菜を採ったり、畑

      • 愛犬キャットの話Ⅱ[親父の威厳]

        キャットという名の大型犬の物語である。 オカンが怪我をしてから、親父がキャットを散歩へ連れて行くことになった。 自転車の前カゴに、野球のバットとボールを入れ、大型犬のリードを持ちながら、自転車を走らせる。どう見ても危なっかしい格好の散歩であった。 オカンが怪我をしたので、危険だから代わったはずの散歩は、さらに危ない形で親父に引き継がれていた。 キャットが我が家に来て3年で、僕は高校を卒業し、家を出た。さらに4年が経ち、弟も 「神戸の大学に行く」 と家から居なくなっ

        • 僕らの中2病(全5話 4,184文字)

          1.万引きなんてしねーよ 時代が、昭和から平成に入って、間もない頃、徳島県の田舎町に、ある中学校のありふれた日常を、綴った物語である。 この中学は、3つの小学校を卒業した生徒に分かれていた。僕らはその中でも過半数を占める最大派の小学校グループだったが、少数派の生徒から受けた影響は計り知れない。 それは中学生になるまでは、授業中に寝るとか、先生の話を聞かずにマンガを読むなど、あり得ないと思っていた。 ましてや先生から、注意を受けているにも関わらず、その生徒が、 「う

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        東吉野村民やってます。Ⅲ[この村でやりたいこと]

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        • 完成品
          15本
        • 創作大賞2023応募作品
          9本
        • 山師の仕事
          8本

        記事

          愛犬キャットの話 Ⅰ[オカンの仇]

          キャットという名の大型犬とお婆さんの物語を書きたいと思う。 我が家が引っ越しをして、間もない頃に、生まれたばかりの子犬がやってきた。真っ黒で小さくて、何かに怯えているのか、ずっと震えている様に見えた。 「さぁ、ご飯だよ〜」 とドッグフードを与えても食べようとせず、何故かキャットフードを好んで食べる。 キャットフードばかり食べていたので名前がキャット。 名付けたのは親父で、これからどんどん大きくなる犬にとって、とても迷惑な名前だが、家族全員が「キャット」と呼んで可愛がっ

          愛犬キャットの話 Ⅰ[オカンの仇]

          アイロンパーマのヒーロー Ⅲ[中卒社長]

          キャリアウーマンの話を書いていたのだが、阪神淡路大震災の話題が出たので、ついでに、上山という中学3年のクラスメイトの話を書こうと思う。 上山の家は、とにかく貧乏で、母親が唯一の稼ぎ頭なのに、あまり働けないといった状況であった。また彼には2人の弟がいて、まだ小学3〜4年生である。 こんな彼の状況を見兼ねたのか、担任の先生は、上山がまだ中学生なのに、働くことを黙認していたのだ。 あれは中学3年の夏頃だったと思う。彼は毎日、4時間目の終わり頃になるとガラガラ〜っと教室のドアを

          アイロンパーマのヒーロー Ⅲ[中卒社長]

          アイロンパーマのヒーローⅡ[新聞配達]

          我が家のガンバリウーマンである姉貴が新聞配達を始めた話を書こうと思う。 人に頼まれると断われないのが、うちのオカンである。真冬の新聞配達など成り手がいない。おまけに購読率90%を誇る徳島新聞であればまだましだ。 残り10%の新聞配達なんて、このバブル絶頂の時代に、誰もやろうとはしなかった。そんな仕事を、オカンの知り合いの知り合いという、新聞屋さんが泣きついてきた。 恐らくだが、全ての知り合いに、断わられ続け、 「誰でもいいから紹介してくれ」 と粘った結果、オカンに指

          アイロンパーマのヒーローⅡ[新聞配達]

          アイロンパーマのヒーロー Ⅰ[想像を絶する大都会]

          オカンの姉になる、伯母さんの話をまずは書こうと思う。彼女は相模原市に住んでいる。僕が高校を卒業して、川崎市にいた頃、何度も泊まらせてもらい、大変お世話になった。 オカンが緊急入院した時、真っ先に連絡したのが、神奈川の伯母さんである。僕が小学6年の頃、姉貴と2人で夜行バスに乗り、初めて東京へ旅行をした。

翌朝、品川駅に着いた僕らを、迎えに来てくれたのが彼女であったと、薄覚えながら書いている。 「想像を絶する大都会」 徳島の田舎から、都会に出てきた姉弟にとって、もの凄い衝

          アイロンパーマのヒーロー Ⅰ[想像を絶する大都会]

          パンチの不祥事(2,201文字)

          人生の大きな転機となった中学の部活について書こうと思う。 中学校に入学してサッカー部にするか、はたまた陸上部に入るかで長らく悩んでいた。 少年サッカーの友達は、ほぼ全員がサッカー部へ入部し、自分だけが、まだどこに入るか決めきれずにいた。 1993年。Jリーグ元年であるこの春は、ボールを蹴ったことがない者までが、サッカー部へ入るという人気ぶりであった。 さらにサッカー部には、良く知っている仲のいい先輩がたくさんいた。それらに比べて、陸上部は知らない3年生が4人のみ、2年

          パンチの不祥事(2,201文字)

          日和佐町長 の話

          今から30年程前のである。平成の太上天皇が徳島県南部に位置する日和佐町へ行幸に来られた。 当時の日和佐町では町をあげてのお祭り騒ぎの状況であった。(現在徳島県日和佐町は合併して美波町) 「こんな漁師町の片田舎に天皇陛下が来てくださる」 と誰もが胸を躍らせ、一生の思い出にひと目お会いしたいと大浜海岸へ集まった。 この海岸にはウミガメが産卵にやって来ることが有名で「ウミガメの町」をアピールしている。 また、大浜海岸の式典では日和佐の町長が、 「こちらが今朝、産卵を終え

          日和佐町長 の話

          東吉野村民やってます。Ⅶ[峠の水]

          東吉野村に移住して1年半が過ぎようとしている。 今日は雨が止んだので、久々に家から三尾の田中酒店まで山道を走った。59分43秒、コースレコードの更新である。 生ビールを頂きながら、酒店の大将との会話が興味深く感じたので少し書きたい。酒屋の大将は、 「佐倉峠の水は何処に流れるか、知っちょるか?」 と聞いてきた。佐倉峠とは東吉野村の入口である。国道166号線でほとんどの人はここを通って行き来している。 この佐倉峠だが、南向きは鷲家川を伝って高見川、吉野川そして紀ノ川が紀

          東吉野村民やってます。Ⅶ[峠の水]

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          東吉野村民やってます。Ⅵ[日裏]

          東吉野村に移住して1年半が過ぎようとしている。今回は去年5月に妻と子供を連れて、日裏という集落に行った話を書こうと思う。 東吉野村は鷲家口から丹生川上神社がメインの通りで小学校、役場、こども園などがある。神社から上は高見川と四郷川の二手に分かれ、その川沿いを県道が走っている。 一般的に知られているのはそこまでだ。キャンプ場とつくばね発電所があるので、もしかしたら、日裏川の下流域までは訪れた人がいるかもしれない。 つくばね発電所から5キロ以上、日裏川沿いにその道は続く。途

          東吉野村民やってます。Ⅵ[日裏]

          東吉野村民やってます。Ⅴ[天誅組 後編]

          東吉野村に引越して1年半が経とうとしている。 前回は歴史小説みたいになってしまい、不評かと思いきや、以外と好評だったので、今回も天誅組の第2弾を書きたいと思う。 ここ東吉野村には、天誅組が最後に殺された場所であり、そのお墓やその時の状況は見かけるが、天誅組の彼らがどのように戦い、どんな思想を持っていたのかというところが、あまり知られていないと思っている。 偉そうな文体に見えて、大変恐縮なのだが、僕の書いている情報元は、ほとんどが司馬遼太郎の「おお、大砲」という短編小説から

          東吉野村民やってます。Ⅴ[天誅組 後編]

          東吉野村民やってます。Ⅳ[天誅組の変 前編]

          東吉野村にはニホンオオカミが最後に捕獲された場所として観光地化しようとしたが、インパクトの弱さというか...渋谷駅の忠犬ハチ公のような像が山間部の何もない県道沿いにポツンとある。 1905年に捕獲され、その剥製はロンドンの大英博物館に現存するらしい。 日本最後のオオカミが捕獲された日から42年時代はさかのぼる。幕末に天誅組の変という事件が起こる。 その幕末の志士が討ち取られた場所として、この天誅組を村は観光の柱にしようとしているが、インパクトのほどは如何なものか。 1

          東吉野村民やってます。Ⅳ[天誅組の変 前編]

          東吉野村民やってます。Ⅱ [続古道作り]

          奈良県東吉野村に引越して4ヶ月ほどで、古道作りは順調に進み、障害物はだいぶ少なくなった。ある日、 「車と競走したら勝てるのでは?」 と思えてきた。車でわらび園まで妻と一緒に来て、帰り道を競走する事にした。僕は、 「役場の駐車場まで勝負や」 と彼女に言い残し、地下足袋を履いて走った。約4キロを18分そこそこで走しきり、地下足袋の勝利。30秒くらい遅れて妻の運転する軽四が役場の駐車場まで戻ってきた。まあ、妻の運転は未熟であるが、車の道は倍以上の距離があるので、この結果にな

          東吉野村民やってます。Ⅱ [続古道作り]