イタリアンのオーナーシェフの学び多きnoteを全部読んでまとめてみた。〜僕の京都の割烹料理アルバイトでの大喧嘩エピソード付き〜
普段の僕の生活では接点がまずないであろう、奥野オーナーシェフのnoteが面白すぎて読み漁っていました。今回は、その中でも特に僕が気に入った言葉を忘れないように、みんなにも紹介したいという思いでこのnoteを作成しています。
本当に自分はマメな性格だと感じることが最近は多いです。みんなからしたら「なんでこんなチマチマした作業がやってられるのか?」という感覚らしいのですが、自分的には、まとめる作業がそもそも好きで、これをしていると気分がよくなるんです。さらにそれをやることで、みんなにこの「自分のお気に入り」を共有できることの喜びも感じられて、一石二鳥です。ということで早速内容へ!👇
記事の抜粋集
丸くなるとは?
大人になると「丸くなる」とか「角がとれた」とよくいう。それって、角が増えに増えた結果「丸く見えてる」だけでは?その増えた角というのが「経験」。若い頃は、経験をしていないだけ。何かあったときにどう動いていいか、逃げ道もわからないからすぐパニックになる。
信じて任せる重要性
「職人気質で乗り越えろ」と教えられてきた世代。店を始めた頃は、すべてを自分でやってしまう料理人だった。グループ3店目オープンとなると、スタッフも増えて、一人では見切れなくなってきた。総務や人事、経理まで全部1人でやるのは無理がある。
1人で全てを見ていくのは無理な話。今はバックオフィスの機能に専門家に入ってもらったり、PRやブランドデザインなども外部の方にお願いしてチームを作って進めるように。昔は「全部自分で」なんて考えていた「料理バカ」なのに、人は変わるもの。信じて任せることが大事。
外部の人たちといっしょに仕事をしてみて気づいたのは、PRやデザインを専門的にやっている人の仕事の質はとても高いということ。当たり前だが、レストランの人間では考えられないようなクリエイションが生まれる。仕事はプロに任せるべき。
旅の学びと本質
僕が海外で何をしているかというと、僕は料理人なので基本的には、興味あるレストランを中心に回っています。予約をして行ったレストラン以外でも、そのレストランの人に近くのおすすめの店を聞いたり、フラッと立ち寄ったりすることもあります。
世界のレストランや食を中心にした文化を、レストランで働いている僕たちよりもお客様の方が詳しいことも。そういった方々が海外で受けたサービスと同じように、もしくはそれ以上のサービスを提供して喜んでいただきたい。そのために旅で最新のレストランのこと、文化を学ぶ。
旅の本質はコンフォートゾーン(安心な場所)から出ることなんだということです。それは、こういった安全か危険かというようなことだけでなく、普段使っている日本語以外でコミュニケーションをとることや、食べなれない食事をすることなど、不自由さを実感することでもある。
失敗したり躓いたりすることも自分への投資。人生は永遠に続いていく経験の連続です。自分に対して経験という投資をしていくことで、本人の能力や人間力のようなものが上がってく。
人材は宝
「人を喜ばせるのは人」だから人材は宝。「あこがれられる職場になる」というのは、とても重要で、それは「働きやすそう」でも「かっこいいから」でもいいと思う。「働きたいという憧れ」は、リクルーティング、人材の確保にもつながる。
人生は「締め」の連続
僕の場合は、1日の小刻みなリセットはコーヒー。営業中に飲むことはありませんが、仕事が始まる前の朝と、ランチが終わった休憩時間、営業後などにコーヒーを飲んでリセットしています。コーヒーを飲むと心が落ち着いて、次の仕事に向かう気持ちが湧いてくる。
人生は諦めの連続。日々の判断をしていくなかで、例えば右に曲がって進んでいく判断をしたとして、それが成功であったかどうかは、曲がってすぐにはわからない。いつ答えがすぐにわからないことを、あーだこーだ考え続けるよりも、すぱっと諦めて次に向かった方がいい。
言葉の持つ役割
日本語ですらしっかり話したり読んだりできないのに、他国語を学ぶことに時間を費やして、中途半端なことをしているなぁ、と。日本語をしっかり学んで、文学作品を残す作家さんや、人の考えを理解して言葉にするライターさんは語学に長けている。
「文は人なり:The style is the man」という言葉があります。18世紀フランスの博物学者ビュフォン氏が残したもので、文章は筆者の思想や人柄があらわれているので、それを見れば筆者の人となりが判断できる、ということを意味しています。
一つ星オーナーシェフに「支店を出さないの?」「良い場所に移転しないの?」と聞いた。「変わらずここにいてあげたい」 「お客様が帰ってくるならいつもそこにいて、同じものを作り続けてあげたい」、言葉の端々にやさしさや母性が感じられる。
人間が一人きりで生きていくなら、言葉は必要ありません。集団で生きていくことを選んだときに、人間は言葉を使い始めました。つまり言葉とは、相手とコミュニケーションをとるためのもの、ツールとして生まれたものです。
名刺交換文化の違い
日本では、会ってすぐに名刺交換。欧米では、最初に名刺交換はせず名前程度の自己紹介をしたら会話を始める。話が盛り上がってから「あ、ビジネスカード持ってる?」といって、初めて名刺を交換する。つまり「もう一度会いたい」と思った時に渡すのが彼らのカルチャー
メンターとは?
優れた指導者や助言者、恩師、信頼出来る相談相手といった意味のあるメンター。ギリシア神話の英雄オデュッセウスが、戦地に向かう前に子どものテレマコスを託した賢人のメントールが語源。課題や悩みの解決のための意思決定・行動に繋がる「双方向の対話」を行う。
出会ったすべての人がメンター。年齢の上下も関係なく、ときには19の息子からも学ぶことも。先日息子が「僕がおばあちゃんのイメージでスカーフを選びました」といって、何でもない日にプレゼント渡していた。「やるな」と思った。自然とまわりを喜ばせる術をもっている。真似してみようと思った。
メンターと出会うための考え方
僕自身は、出会ったすべての人から影響を受けて、新しい価値観を受け取っている。出会ったすべての人がメンターだと思っている。たとえば映画や小説、マンガなどのメディアからも指南を受けているともいえます。メンターは、必ずしも人である必要もない。
メンターの存在に気付くためには、「素直であること」が大事。それは「だまされやすい人」でもある。人に怪しい壺を勧められたら、買っていいのか、いけないのか周りに聞いたうえで、買うかどうかの最終決定は自分が行う。います。壺を買わずに失敗しないか、買って失敗するか。どちらも一つの経験。
疑問を持つことの価値
教わったことに対して「なんでこうしているんだろう?」「こういう場合どうしたらいいんだろう?」と疑問に思って考えることが大事。その疑問に対して、「教える」ということは難しく、そのことを深く理解しないといけない。「俺は」「昔は」ではなくて、「今」の答えを。
「いいサービスってなんですか?」と若いスタッフに聞かれました。答えがない、もはや禅問答のような問いでもありますが、僕は迷わずに「今日来たお客様を、すぐに帰ってこさせることができるサービス」と即答しました。つまり良いサービスとは、リピーターのお客様を生むサービスということです。
「僕って、キッチンに入って料理できますかね? そのためにできることは何でもしたいのです」と別のスタッフに聞かれました。自分が怖いと思うことをはっきり口にして、学びたいということも、社長である僕に臆さず直接言ってくれた時点で、この人は成長するだろうなと思ったし、教えたくなった。
フラットな関係性。水になりたい。
気を付けているのは、僕自身がみんなをコントロールするとか、みんなに上手に動いてもらうようにするというよりは、どちらかというと問題があったら、その間にすっと入れるようにしたいということです。
例えば、コンクリートを固めるときには砂と砂利があっても、水がないと固まりません。それは、水がどこにでも入っていける自由な流動体であるから。
僕は、そんな水のような存在になれればいいなと思っています。そうしたら、固くて丈夫なコンクリートの建物もできますから。怒るのでもなく、決めるのでもなく、会社のなかにふわっとしている存在がいい。
もちろん、みんなが合意形成を結ぶために、いろいろな会議をしてくれたものを、最後に僕が一本化させて会社の決定事項にしていきますので、最終決定者は僕ですが、みんなが決めてくれたことを僕が水になって固めていく、そんな役割でありたいと思っています。
「育てる」のおこがましさ
若い人を「育てる」というのも、おこがましいのではないか?20年以上生きてきて、親御さんや学校の先生方の手で大切に育ってられてきているのだから、人間形成はしっかりできているはず。それなら職場としては、その人の良いポテンシャルを発揮できる場所を提供すればいい思う。
緊張は敬意から来る
緊張は、相手への敬意から生まれる。緊張は、未経験のことに対する恐れや畏怖からくるもの。経験によって緊張は和らぐ。
緊張しないということは、ある意味で相手を軽んじているともいえますし、もしくは事前に勉強したり情報収集したことで、少しだけ怖さがなくなっているということなのかもしれません。
初対面でもしっかりコミュニケーションをとって、お互いの性格や本心を理解しあうためにも緊張を解いてから本題に入ることが大事。
社長も緊張する:相手への敬意
新卒や中途採用の面接に僕は出席するんですが、その時もやはり皆さんは、僕が社長ということもあって、緊張していることがすごく伝わってきます。僕自身も組織に入ってもらいたいと思って面接に臨むので「よいコミュニケーションができるか」と、毎回緊張しています。
みんなで良くする組織
料理でもサービスでもこのレストランで働くうえでの基準は、僕じゃない。もちろん僕の会社ではあるのですが、ルールは僕じゃない。ルールを作るのは、会社で働くみんな。ルールができてきたら、整備していくのが僕や会社のやることだと思っています。
色々な人が入ってきて、様々な問題も起きて、その度にルールを作っていって、だんだん会社って良くなっていく。失敗を恐れて緊張するのではなく、一つひとつをポジティブに経験として積み重ねていく。今がこの22年間の間で一番いいと思っていますし、これからもっと良くなっていくと信じています。
感想
人へのリスペクト
読んでいて感じたのは、どの道でも極めている方の考え方には共通項があって、それらはどれも本質的だということ。今回は、「人へのリスペクト」というものが核にあるように思えた。オーナーシェフ目線で、お客様をリスペクトするのは想像に難くないが、それと同じくらいの思い・敬意が従業員(仲間)に対しても払われている点が本当に素晴らしいと思う。上から目線みたいに見えてしまう文章になっているのが自分でも鼻につくが、どう書いたら良いかわからない。
まあ、そんなことは良いとして、ここからは、「奥野オーナーシェフみたいな考え方の人ばっかりだったらいいのに」と思っていたら、思い出した自分の5年前のバイトでの経験について少し書きます。
割烹料理屋でのアルバイト経験
京都の割烹料理屋でアルバイトをしていた時期があった。どこの店とは言わないが、店長の人格はあまり尊敬できるものではなかった。弟子に思いやりにかける暴言とも取れるような指導をすることも合ったし、アルバイトである自分に対しても、「1人の人間に対してのリスペクト」があまり感じられなかった。
普段は優しくて面白い人で、料理にかける思いも熱く、素敵な方なのだが、自分に余裕がなくなった時に、周りに焦りや怒りといった感情を向けるようなタイプの人だった。店長の機嫌が悪い時に、普段から考えるとびっくりするほどキツイ言い方で、理不尽な内容で注意を受けていた。(※あくまでも笠井康弘目線)それがもう、無理すぎた。
店長との大喧嘩
ある日、僕は皿洗いが遅いと注意を受けた。それも、かなり乱暴な言い方でだった。自分は何事もゆっくり丁寧派ではあるのだが、前にも注意されたことがあったから、その時もスピードは意識していた。だが、それ以上に「お客様がお皿に触れた時に皿がヌルヌルしていて不愉快になるということは絶対に避けたい」という店長の思いを自分の中では大事にしていた。アルバイトを始めてすぐに教わった、恐らく店長の価値観の核となる部分だと思っていたからだ。
だから、まず「すいません」と言って、急いでそのタイミングで洗っていたお皿を綺麗にした。少ししてから「さっきはすいません。魚料理の油汚れなかなか取れず、もう一度洗っていたんです。自分の中では出来る限り早くやるように努力はしているんですが、なかなか難しくて。どうしたらいいですかね」みたいなことを言った。そうすると、返ってきたのは「つべこべ言わないでテキパキ洗え、見てて遅いからイライラする」みたいな内容だった。
確かに自分は可愛くない言い訳をしていたかもしれないけれど、あまりにも酷い言い方だったので、僕(当時18歳)は「じゃあ、お客様に油汚れのないお皿で気持ちよく食事をしてもらうことと、皿を洗うスピードはどっちが大事なのか、みたいな話になってきますよね。どっちが大事なんですか?」みたいなことをいった。当然大喧嘩になって、その日は「もういい、帰れ」と言われた。こっちだって「もうわけわかんねえ、なんなん?」と思っていたのですぐ帰ってやった。
その次のシフトでも、大人らしからぬ前回のやり取りを引きずるかのような、冷たい態度を取られた。(自分目線では少なくともそう感じた)。店長の店なのだから、合わない、もしくは店長から見て気に食わない自分が出ていくのが筋だと思った。だから、迷いなくすぐに辞めた。
今振り返ると
今振り返ると自分のコミュニケーションの取り方が下手だったから、店長の気分を害していた部分もあるだろうと思う。自分が本当にトロかったのも、店長自身、余裕がない状況だとイライラして当然だろうなぁとも思う。だが、自分は出来る限りの努力をしていたし、そこが全くリスペクトされていなかったのは、おかしいと思う。
まあこんなインパクトのある経験があるから、飲食店オーナーの印象は良くなかった。独善的で短気な人が多そうだという思い込みが非常に強かった。だが、奥野オーナーシェフの記事を読んで、良い意味でイメージが塗り替えられた。
最後に
気付けば6000文字近い記事になってしまいましたが、自分の中でも今日の朝読んでいた内容を忘れたくないので、「永久保存版」みたいな気持ちで書いていました。ふとしたタイミングでまた自分のnoteを読み返したいです。noteって便利ですよね、リンクを付けておけば、どの記事を読んでどんな言葉が気に入ったか簡単に振り替えれるので。人間って歴史的にもずっと本に残してきたり、記録をたくさんしてきた生き物だから、本能的に記録する喜びを感じるようにデザインされているのではないか?なんて最近は思ってしまいます。
最後まで読んでくださってありがとうございます!また次回のnoteでお会いできるのを楽しみにしています👋