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なぜ僕が「人生は壮大な旅である」と思うのか

前回の投稿も、たくさんの方に読んでいただき、ありがとうございました。「ACiD brianza」も6月25日に無事にオープンを迎えることができ、ほっとしております。コメントを書いてくださったり、いいねやスキを押して応援してくださった方、本当にありがとうございました。

普段、僕自身が考えていることを書いているnoteの今回は、旅について。6月から国外からの入国検査が緩和されてきましたし、旅が好きな僕もそろそろ海外旅行に出たいと思い始めています。もちろんコロナが終わって最初に行きたいのは、第二の故郷・イタリアです。

旅の原点は、和歌山から泉南へ幼少期の一人旅

僕にとって旅はとても大切なものです。尊敬する本田直之さんの「人生は壮大な実験である」を引用させていただいた上で、僕は「人生は壮大な旅である」と思っているほどです。

最初の旅の記憶は、生まれ育った街・和歌山市から大阪府・泉南の漁師町に住む祖母の家への旅です。

両親ともに仕事を持っていたこともあり、小学1年生の頃から電車を乗り継いでは、祖母の家に行き面倒を見てもらうことがありました。兄貴と一緒に行くこともありましたが、たいていは一人。時間にして1時間ほどですが、子どもにとっては大旅行です。

祖母の家は古い日本家屋で、上り框といって、玄関の上り口で履物を置く土間があったり、窯に薪をくべて炊事をしたり、五右衛門風呂があったりと、和歌山の市街地で暮らしていた僕にとっては、まったく違う世界の生活でした。

さらに家の前には自家菜園があって、そこで採れたトマトやキュウリ、朝近くの漁港で買ってきた魚が食卓に上る。とても質素な食事も印象に残っています。

その街で夏休みに開かれていた祭りのこともよく覚えていて、学校の友だちもいない場所で、一人でいてもあまり楽しいはずはないのに、櫓がたって盆踊りを踊る、賑やかな夏の夜のことが、今でも強く印象に残っています。

そういえば、初めての海外旅行も一人旅でした。高校3年生の9月。春から通う大学の準備で、アメリカに渡りました。和歌山からずっと一人で見送りなし。新大阪から新幹線で東京へ。そして成田から飛行機に乗ったらサンフランシスコ、ミネアポリスを乗り継いで、最後はセスナ機に乗り換えてようやくアメリカ中北部サウスダコタ州のスーフォールズという街にたどり着きました。

着いたのは夕方の6時頃で、空港の薄暗くて薄寒い空気感に強い不安を覚えたのと、到着口に「YOSHIYUKI」というカードを持って迎えに来てくれた滞在先のママの姿を発見してホッとしたことは、今も忘れることができません。

旅の目的は、カルチャーと言語を学ぶこと

それからも何度も旅をしました。スーフォールズでの大学生時代にも、アメリカでしか手に入らないHONDAのCB650を買い、休みになるとロサンゼルスやフロリダに向かうため、夜中の一本道を走ったりしていました。

真っ暗な夜道を走っていると、はるか向こうに天に上る光の柱が見えてくるんです。それは目指している街の光。この光の柱がとても美しくて感動したのを覚えています。

イタリア修業から戻ってお店を始めてから5、6年は店を長期間空けられなくて旅ができませんでしたが、店舗が増えて店をスタッフにまかせられるようになると、アジアの各国を2泊3日くらいでまわって帰ってこれるようになりました。

お店も増えスタッフも成長するとヨーロッパやアメリカにも旅に出られるようになり、コロナ禍の前には、年に1、2度、1週間から10日かけて5、6カ国を旅することもできるようになりました。

僕が海外で何をしているかというと、僕は料理人なので基本的には、興味あるレストランを中心に回っています。予約をして行ったレストラン以外でも、そのレストランの人に近くのおすすめの店を聞いたり、フラッと立ち寄ったりすることもあります。

料理の仕立てや店の作りを学ぶこともありますが、むしろその国や地域のカルチャーや言語を学びに行っているという意識が強いです。さらに、その学びは僕のためでもあると同時に、お店のため、お客様のためでもあると思っています。

というのも、世界のレストランや食を中心にした文化を、レストランで働いている僕たちよりもお客様の方が、圧倒的に知っていらっしゃることが多い。そういった方々が海外で受けたサービスと同じように、もしくはそれ以上のサービスをブリアンツァで提供して喜んでいただきたい。そのためには、旅をすることで最新のレストランのことやその国のカルチャーを学ばなければいけないと思うのです。

そしてもう一つ、旅の目的に「言葉」をあげましたが、これはただ単に完璧な文法を学びたいとか、難しい単語を使いたいという意味ではなくて、さまざまなシーンでどんな単語を海外の人たちは使うのか、話し方やニュアンスも含めて、言葉を使ったコミュニケーションをどうとっているのかということを学んでいます。

それによって、考え方や国籍といったいろいろな壁が取り払われ、言語を超えたコミュニケーションも生まれます。そういった経験が日本に帰ったときに、さまざまなお客様とお話をしていても、その場面に適した言葉遣いや振る舞いができると思っています。

コンフォートゾーンから出ることで
得られる鮮烈な体験

イタリアで修業に渡る前に、ミラノを訪れたことがあります。その時すでに、何度か海外旅行をしていたので、多少慣れてきた頃だったのですが、ドゥオーモ(ミラノ大聖堂)の前でスリに遭ってしまったんです。

海外でスリに遭うのは初めて。アメリカでもそんなことはありませんでした。これがすごくショックで、「海外では注意しないといけない」とわかっていながら気を許し、自分がカモにされたのが情けなくてたまらなかったんです。

海外の危険さをあらためて実感して、それから現金を持ち歩くのをやめたり、危険といわれるエリアを歩かないようにしたり、用心に用心をするようになりました。

このことで実感させられるのは、旅の本質はコンフォートゾーン(安心な場所)から出ることなんだということです。それは、こういった安全か危険かというようなことだけでなく、普段使っている日本語以外でコミュニケーションをとることや、食べなれない食事をすることなど、不自由さを実感することでもあると思います。

もちろんコンフォートゾーンのなかで生活を続けることもいいと思うのですが、僕自身が国外を旅することが好きで、コンフォートゾーンの外で生活や仕事をしてきて思うのは、そうした外の世界で見た景色や人、食べたものは、どんなに時がたっても忘れないし、強烈に記憶に残るということです。

実際、いまだに小学校の時に祖母の家にいた時の夏祭りの光景や、スーフォールズ空港に降り立った薄暗く薄寒い空気の感触、修業先のリグーリアの湖がキラキラ光る景色を(もちろんミラノの苦い思い出も)、今でも鮮明に覚えています。

そういった経験をたくさん持っていた方が僕はいいと思いますし、とくにレストランをするなら、異国での経験をたくさん積んだ方がいいと思います。世の中にいろいろな投資がありますが、旅をすることは自分への投資であって、しかも絶対に失敗しない投資でもあると思うからです。

失敗したり躓いたりすることも自分への投資

人生は永遠に続いていく経験の連続です。自分に対して経験という投資をしていくことで、本人の能力や人間力のようなものが上がってくと思います。

なかでも旅は、その投資として有効で効率のよいものだと思います。コンフォートゾーンから一歩外にでれば簡単に経験が積めますから。

失敗したり躓いたりすることもあるかもしれませんが、それもまた経験であり投資です。「人生は壮大な旅である」と思うのは、その旅を繰り返すことで人は成長していくからだと思います。そしてそれは、旅をした距離ではなくて、経験した回数だとも思います。

ですのでブリアンツァのスタッフにも、海外に行けるチャンスがあれば行ってほしいし、遠くに行くことだけでなくても、たとえば食べ歩きをすることも「コンフォートゾーンの外に出る」という意味で旅の一つだと思います。できるだけいろいろなレストランに食べにいくようにしたらいいよ、とスタッフに伝えています。

コロナ禍では、海外に行けないこともあって日本国内をまわる機会が多くありました。人の動きが制限されたことで、地元のお祭りや儀礼なども中止になったものも多いと聞きます。

そういった話を聞くにつれて、たくさんの人たちが長い時間をかけて紡いできたカルチャーを守っていきたいという思いが、僕のなかでも強くなってきています。

今、食を中心にした文化を守っていこうと、小山薫堂さん、農耕機械大手のヤンマーさんといっしょに「お米と旅」をテーマにしたレストランを、今年の12月に開こうと準備を進めています。

47都道府県で栽培されているお米を切り口に、その地のお米にまつわる文化や祭礼といったカルチャーのほか、郷土料理や食材などを使ったレストランです。もちろん僕自身が、各地の農家さんのもとを訪れて、実際に体験したことをベースに料理を作っていきます。

旅が好きな僕にぴったりなテーマで、楽しみでありますし、その取り組みを通じて、高価なもの希少なものが価値があるのではなく、存続可能なものこそこれからの価値であることをお伝えしたい。そして、日本におけるお米の文化を価値あるものとして残していけたらと思っています。

ラ・ブリアンツァ」オーナーシェフ
奥野義幸

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