メンターは、探すものではなく、その存在に気づくこと
前回の投稿も、たくさんの方に読んでいただきありがとうございました。noteでは、イタリアンレストランのオーナーシェフである僕が、普段、考えていることをお店のスタッフに語りかけるつもりで書いています。
指導者や恩師といった意味のある「メンター(Mentor)」がいることの大切さについてです。
メンターと上司の違いは、双方の対話
優れた指導者や助言者、恩師、信頼のおける相談相手といった意味のあるメンターは、ギリシア神話の英雄オデュッセウスが、戦地に向かう前に子どものテレマコスを託した賢人のメントール(Mentōr)が語源といわれています。
企業ではここ数年メンター制度が導入されていて、経験豊かな先輩社員(メンター)が、後輩社員(メンティ)の課題の解決や悩みの解消を助けて、個人の成長を支援しています。
いわゆる「上司」と何が違うのかというと、上司は、職務・業務の指示・命令を行う立場で、組織としての目標の達成を目指しています。
一方、メンター制度では、たとえば定期的にメンターとメンティとが面談を繰り返し、信頼関係を育んでいくのが特徴です。メンターはメンティの相談に乗りながら、最終的には、メンティ自身が課題や悩みの解決に対して意思決定して、行動できるように支援することを目指しているので、「双方向の対話」が行われる点が上司と異なる点です。
少し前の時代では、上司が部下の相談相手になって、成長を促す役目も担うなど、自然とメンター化していました(僕の時代もそう)。しかし最近は、働き方の変化や、職場に対する帰属意識、人間関係が変化したことなどもあって、上司が若手を育成する余裕がなくなってきています。
そのため、その課題を仕組みとして解決しようとするメンター制度が注目されているようです。
思い返してみれば、僕自身にもさまざまな場面で、人生の決断を助けてもらったり、自分ではわかりえなかった気づきをもらったりして、新しい扉の開ける手伝いをしてくれた恩師や友人がたくさんいます。
和歌山の住む高校生に開かれたアメリカへの扉
僕にとっての初めてのメンターは誰かを考えて思い浮かぶのは、高校2年の時の担任の玉井先生です。
当時の僕は、決められたルールの中で生きることに興味がなく、自分らしく生きたいと思う、いかにも17歳らしい男の子でした。卒業したら家を出て働きたいと考えていて、進路相談でもそのことを玉井先生に話したのです。
英語もできて、成績も良い方でしたので(自慢ではないですよ)、たいていの人は「大学に行った方がいい」と勧めてくれるのですが、杉本先生はちょっと違って、僕の想いをポジティブに励ましてくれながら、僕自身の考えを尊重してくださって「アメリカに留学してみたらどう?」といってくださいました。
進学を希望していた両親もアメリカなら行ってもいいといってくれ、それまでまったく将来の選択肢になかった「アメリカ」が急浮上してきます。
今思えば、「英語もできるし楽しそう」という浅はかな理由で、計画性もないのですが、玉井先生の言葉がきっかけでアメリカへの扉が開かれ、その年の秋にはアメリカ中北部サウスダコタ州のスーフォールズという街に飛び、大学に通う準備をはじめることになったのです。
僕が最初に修業したイタリア・リグーリア州のレストラン「サン・ジョルジョ(San Giorgio)」(一つ星)の師匠は、とうぜんオーナーシェフのカテリーナ(Caterina Lanteri Cravet)さんです。
カテリーナさんの元で働いていたので、上司でもあり、同時に息子のようにかわいがってもくれました。
ですのでメンターといえば、メンターなのかもしれませんが、イタリア料理の真髄を学び、レストランで仕事をするということのすべてを教えてくれた、尊敬する特別な存在すぎてちょっと違うかなと思っています。。
そもそも、ほかのスタッフたちがカテリーナさんのことを、「Mamma(マンマ)」や「Cate(カテ)」「Caterina」と親しみを込めて呼んでいても、僕は最初から最後まで、もちろんいまでも「Signora(シニョーラ:奥様)」と尊敬の気持ちを込めて呼んでいるほどです。
むしろメンターという点では、シニョーラの息子であるアレックス(Alessandro Barla)との関係がそれに近いかもしれません。同じレストランでキッチンとホールで働く同僚ではあるのですが、それを飛び越えて友人として、一人の人間として接してくれました。
イタリアで働いた経験のある日本人の料理人のなかには、丁稚奉公の小僧のように扱われたり、差別を受けたという話を聞くこともあります。20年以上も前の話なので、今も時代が違うということもありますが、サン・ジョルジョでは、みんな僕のことを日本人とか、アジア人とか国籍ではなく、一人の人間として見てくていたのは、アレックスのおかげです。
それは、もちろんシニョーラが僕のことをかわいがってくれていたということも大きくあったと思いますが、それとともに多様性を尊重しようとするアレックス個人の資質もあったと思います。
出会ったすべての人がメンター
年齢の上下も関係なく、ときには息子からも学ぶことがあります。
先日は、19歳の息子が「僕がおばあちゃんのイメージでスカーフを選びました」といって、何でもない日にプレゼント渡していたことを姉から聞いて、息子ながらに「やるな」と思ってしまいました。自然とまわりを喜ばせる術をもっていることにも驚きましたし、僕も真似してみようと思ったくらいです。
もちろんブリアンツァのスタッフからも気づきをもらうこともあります。とくに新卒など若いスタッフのひと言が、長く飲食人として働いている僕たちをハッとさせることもあるし、そのことがブリアンツァ全体を突き上げてくれるきっかけになることもあります。
たとえば、ブリアンツァ本店のホールスタッフの新卒の一人が「私は、お客様と話をしたいので、デシャップをやりたくない。なぜ、ホールがデシャップをやるんですか?」という意見があったんです。
「dish up」が語源のデシャップは、キッチンで出来あがった料理を、ホールスタッフに渡す場所のことです。ブリアンツァでは、ここにホールスタッフが立って、お客様のお食事の様子をキッチンに伝えたり、料理を出すタイミングを指示したりします。
海外では、シェフがデシャップをやるレストランが多いですし、それがうまくいってもいます。
当たり前のようにホールがデシャップをやると考えていたのですが、その意見を聞いて、たしかにキッチンがデシャップに立つことで、お客様の様子につねに気を配るようになれば、キッチンやホールという役割を越えて、店全体でお客様主体のサービスができるのではないかという気付くことになったのです。
さらに、スタッフ全体のコミュニケーションも、もっと良くなっていくのではないかと考えられるようになりました。
僕自身は、出会ったすべての人から影響を受けて、新しい価値観を受け取っています。そういった意味では、出会ったすべての人がメンターだと思っていますし、たとえば映画や小説、マンガなどのメディアからも指南を受けているともいえます。メンターは、必ずしも人(ひと)である必要はないとも思っています。
それは、「なぜ僕が『人生は壮大な旅である』と思うのか」でも書いた「コンフォートゾーンから出ること」に通じることで、もしかしたら旅や旅先での経験自体もメンター的な影響はあるように思います。
決断するのは自分で、その結果を得るのも自分
自分にもメンターと呼べる人が欲しいと思う人もいるかもしれません。しかしメンターは、探したり、なってもらったりするものではなく、その存在に気づくことではないかと思います。
人はたいてい、悩みがいくつもあるというよりは、一つに集中していることが多いと思います。つねに何かに悩んでれば、その解決策もつねに探しているものです。その悩みの出口になる扉を一つ出たら、また次の扉があるものです。
メンターは、その扉を開ける手伝いをしてくれる人。山のように重い扉を開けるのに深くかかわってくださった人のことはとてもよく覚えているものです。もちろん小さい軽いドアもあって、そうした扉は、息子や家族といった近い存在から力を得て開くこともあります。
そして、メンターの存在に気付くためには、「素直であること」も大事だと思います。
それは、ある意味で「だまされやすい人」でもあると思うのですが、たとえば僕が、人に怪しい壺を勧められたら、買っていいのか、いけないのかまわりに聞いたうえで、買うかどうかの最終決定は自分が行います。
極端な話ですが、僕は、壺を買わずに失敗しないか、買って失敗する人がいたら、僕は後者でありたい。それも一つの経験ですから、買うという選択もするかもしれません。
結局、決断するのは自分で、その結果を得るのも自分です。そして決断をして得た結果を予見した人が、メンターとして心に残る存在になるのだとすれば、メンターにの存在に気付けるかどうかも、結局は自分次第といえます。
それなら、出会ったすべての人をメンターだと思いながら、その方たちの存在のおかげで今があると思える未来にいよう。そう思いながら日々を過ごすことが、じつは大事なことなのではないかと思っています。
ブリアンツァ
奥野義幸
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