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大阪泉佐野「蟻通神社」紀貫之&清少納言&世阿弥&泉佐野六社【大阪泉州シリーズ】

大阪南部から和歌山に集中している「蟻通神社(ありとうじんじゃ)」の祭神は、オオクニヌシと蟻通明神としている。泉佐野の蟻通神社は泉州の古社の一つ。平安時代の歌人・紀貫之の故事伝承や「枕草子」記載の蟻通社名伝説など、数々のエピソードを持つ。世阿弥作、謡曲「蟻通」のゆかりの神社。

 ということで、かつらぎ町の「蟻通神社」を紹介しますが、主祭神は八意思金命(ヤゴコロオモイカネノミコト)、脇社にコトシロヌシ・スクナヒコ・イツキシマ・オオクニヌシとなっており、主祭神が違う。。ただ、そのほかは、泉佐野の「蟻通神社」と祭神は同じですね。

変更履歴

▼HP

▼アクセス

大阪府泉佐野市長滝814

▼祭神・本尊と脇時

オオクニヌシ、蟻通明神

▼見どころ

 大阪南部から和歌山に集中している「蟻通神社(ありとうじんじゃ)」の祭神は、オオクニヌシと蟻通明神としている。紀貫之が奉能した和歌『貫之集』に「ありとほしをば」とあり、「有と星」と「蟻(有)通」を掛けていいる歌があり、そこから来ているようだ。また、能『蟻通』などもここから来ているよう。

  • 158年ごろの創建

  • 祭神はオオナムチ、蟻通大明神で、春日神社のほか7社の末社を有している

  • かつては長滝北辺松屋にあり、熊野街道にそって鎮座していた

  • 1289年、『和泉神名帳』には和泉国五佰参拾肆社(534社)が記され、「有通社」の名がある

  • 1316年、『日根野村絵図』に「穴通社」とある

  • かつて熊野街道の近くにあり、貴族の熊野詣の様子が蟻の行列に見えたことから「蟻通」になったとか!?

  • 1577年、織田信長の雑賀攻めの戦火で、建物や宝物を焼失

  • 1603年、豊臣秀頼が再建

  • 1659年、岸和田藩初代藩主により、神宮寺宗福院が建立され、神職と社僧が祭祀する南泉州地域有数の神社となる

  • 1942年、飛行場建設のため現在地に遷座

  • 本殿は一間社春日造

  • 慶長12年と刻まれた石灯籠や岡部侯献納の絵馬、三十六歌仙の額、舞殿などがある

  • 紀貴之ゆかりの冠の淵や謡曲『蟻通』、棄老(きろう)にまつわる蟻通伝説でも知られている

→紀貫之ゆかりの「冠の渕」

 平安時代、紀貫之が和歌山から引き揚げる道中、うっかりと蟻通明神の神域に騎馬のまま乗り込んだため、急に馬が倒れてしまう。神の怒りを悟った紀貫之はとっさに「有と星」と「蟻(有)通」を掛けた歌を詠み、神は心を和らげて馬を復活させたという。補足すると神社に行くと「下馬」というのを無視したんですね。

→足神神社・天照大神社、仏足石

 この仏足石は禅興寺にあったもので、この神社の神宮寺とも伝えられている。1500年代に廃絶したようだ。

→弁才天社

→表門

 元々神宮寺があった神社なので、この門は寺の物なのかもしれない。

→能舞台

 能楽・世阿弥が、謡曲「蟻通」を作り、紀貫之の説話を能に取り上げることで「蟻通」の名は広まったそうな。

→拝殿・本殿

→摂社・末社:頭痛癒しの石など石の祠

→摂社・末社「智恵神社」「愛宕神社」「多賀神社「住吉神社」「和泉五社」

 「智恵神社」はオモイカネです。かつらぎ町の「蟻通神社」の主祭神はこちらですね。ただ、蟻通大明神分霊という記載が気になるな。
 主祭神は蟻通神社で蟻通大明神が主祭神で、時代とともに「オモイカネ」「オオクニヌシ」など分かれたのかな。

 「愛宕神社」はシンプルにカグツチですね。この神社の説明は本社がどこか書いているので勉強になります。

 「多賀神社」はイザナギとイザナミです。

 「住吉神社」は住吉三神と神功皇后ですね。

 「和泉五社」はなんなんですかね・・?また行くところが増えたな。。

▼旅行記


▼セットで行くところ


▼仏像展


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