★纏め★京都・新京極通で八社寺詣り/清少納言/和泉式部/藤原道長と彰子
京都烏丸、河原町に来たら行くべきところ「新町通り」は京都の食文化の場所で海外からの旅行者で賑わっているようだ。そこには良い神社仏閣が揃っているのも注目で、清少納言、和泉式部、藤原彰子と女性所縁の神社仏閣地域でもある。
▼新京極通で八社寺詣り
挑戦した人で「八社寺ぜんぶを巡ることはできませんでした!これは、時間や体力の都合だけではなく、ひっそりとしすぎていて、足を踏み入れるのを躊躇する雰囲気のお寺さんがちらほらあったからです。。。」とのこと。宋なんです。秘仏公開時の時は看板が出るので気づきやすいのですが、通常は気づかないところが多いかも。人も多いと尚更かなと。
▼私のNOTE
1. #誓願寺 :
法然上人、西山国師、立信上人と続く浄土門の聖地
石清水八幡宮(私のNOTE)の本尊である
清少納言、和泉式部、松の丸殿といった女性たちからの深い信仰を集めたため「女人往生の寺」とも称される
都の才女・清少納言は、髪を落して尼僧となり、本堂のそばの庵室で念仏して歓喜の往生をとげた
和泉式部も、娘に先立たれた悲しみのうちに無常をさとり誓願寺に詣でた
和泉式部は、四十八日間参籠して念仏三昧に入り、霊夢により女人往生の信仰を得た
落語の祖と呼ばれる「策伝上人」や謡曲「誓願寺(世阿弥作)」に謡われ、落語発祥の寺、芸道上達の寺としても広く信仰を集めている
京都御所に近いことから朝廷との交流も多く見られた
謡曲「誓願寺」は、世阿弥作と伝えられ、この寺所縁の和泉式部と一遍上人が主役となった物語り
私のNOTEは次の通り。(https://note.com/yanma_travel/n/nc3c46287b5cb)
2. #誠心院
通称「和泉式部寺」
平安時代創建で、和泉式部は円教寺に行くと石清水八幡宮に行かされる。石清水八幡宮に行くと阿弥陀如来は誓願寺に行かされる。そして、誓願寺で人生を往生するのだが、その庵はこの寺なんだそうな。
真言宗泉涌寺派の寺(私のNOTE)
1025年、和泉式部は娘を失い、その悲しみを乗り越えるために播磨国書写山圓教寺の性空上人を訪ねた
京都に戻った後、性空上人の教えをもとに誓願寺に入り、阿弥陀如来に帰依して出家
1027年、和泉式部が長年仕えた上東門院(藤原彰子)が父・藤原道長に勧め、法成寺の中の東北院の傍らに寺を建立させた(東北院誠心院)
初代住職は和泉式部で、その経緯は誓願寺(私のNOTE)参照
本堂には、藤原道長が建立した阿弥陀如来像をはじめ、和泉式部、藤原道長のそれぞれの像を安置している
境内には和泉式部の墓と伝える宝篋印塔および歌碑が建てられており、毎年3月21日には和泉式部忌の法要が営まれている
鎌倉時代に現在の小川通一条上ル誓願寺の南に移転し、御寺こと泉涌寺(私のNOTE)の末寺になる!って意外・・・
豊臣秀吉により、現在地に移転
以前は「じょうしんいん」の呼んでいたが、戦後、「せいしんいん」にした
私のNOTEは次の通り。(https://note.com/yanma_travel/n/n47a8e3cd8041)
3. #西光寺 ( #寅薬師 )
創建年代は不祥だが、一説には約900年前とも言われている
開山は誓願寺(私のNOTE)の僧なのはわかっている
1278年~1288年、宮中にあった寅薬師如来像を、後宇多天皇が当寺に下賜し薬師堂(御倉堂)として開基
寅薬師と称した薬師如来を安置
寅薬師の名前の由来は、弘法大師が一刀三礼し刻んだもので、寅の日・寅の刻に完成したため
1780年、都名所図会の中央に虎薬師、その手前に清帯寺、一言堂が描かれている
この後、天明の大火、禁門の変で焼失
直後に仮堂宇として再建
現在まで3回焼失しており、現在の建物は1913年に建てられた仮建築
西光寺前にあった清帯寺も度重なる火災にて廃寺となり、西光寺に吸収
清帯寺の本尊・腹帯地蔵もここに安置し、現在に至る
私のNOTEは次の通り。(https://note.com/yanma_travel/n/n1c6428841e60)
4. #蛸薬師堂 ( #永福寺 )
新京極商店街内を北上すると右側にある寺で「蛸薬師通り」の名に使われている
本尊は「石像薬師如来」になり、周りには十二神将などチーム薬師になっている
本尊の石仏薬師如来は8年に1度御開帳される(2016年の10/8~10/10に開帳された)
正しくは瑠璃光山林秀院永福寺
元は二条室町(現在の蛸薬師町)にあったものが天正年間に現在の場所に移転された
病気平癒の御祈祷で有名で、毎月8日10:00より14:00まで大般若会が勤修され、ガン封じや心身の病気平癒、諸願成就を祈願する人々の参拝が多い
1181年、室町の林秀が、伝教大師・空海が彫った石仏・薬師如来を安置したのが始まり
1249年~1256年、蛸薬師堂と呼ばれるようになった
蛸の名前の由来は、ここの僧が戒めに背き、病気の母親に好物のタコを買う孝行をしたことから来ているそう
1590年、豊臣秀吉によって現在地へ移転
当寺の通称からとられた「蛸薬師通」という名はここのこと
以前は隣に圓福寺というお寺があったが、明治時代に永福寺と合併
愛知・妙心寺と円福寺が寺号を交換したため、蛸薬師堂の奥には現在も阿弥陀如来を祀る妙心寺という寺がある
一つの寺院が二つの寺号を有する特殊な形である
12月31日の大晦日では、恒例の大根炊きが行われ、1年のうちで最も賑わう日
私のNOTEは次の通り。(https://note.com/yanma_travel/n/n8ab514001ac4)
5. #安養寺 ( #倒蓮華寺 )
浄土宗西山禅林寺派の寺
1018年、恵心僧都が奈良県當麻に建てた蓮台院が起源
その後、恵心の妹・安養尼が居住し、安養寺と改名
1110年頃、京都に移す
1580年頃、豊臣秀吉によって現在の地に移転
本尊は阿弥陀如来立像で、特徴的なのは八枚の蓮華を逆さの台座
伝説によると、本尊を作る際に蓮座が壊れてしまい、蓮華を逆さにしたところ無事完成したとか
特に女性の信仰が深いとされ、心の蓮華は逆さまになっていて極楽往生できないので、蓮華を逆さにしたとも
私のNOTEは次の通り。(https://note.com/yanma_travel/n/nb160eb9e99be)
6. #善長寺
忍想上人により綾小路室町善長寺町に創建
1591年、豊臣秀吉により現在地に移転
徳川家康上洛の折りの定宿だった
地蔵堂には秘仏・地蔵菩薩はが安置され「立江地蔵」とも呼ばれている
立江地蔵は「枕反地蔵」とも呼ばれ、徳島・立江寺に安置されている地蔵菩薩を模して彫ったと伝えられてる
子供の「痘瘡平癒」のご利益があることから、「くさがみさん」として親しまれている(って、どういうこと??)
「瘡神」として知られる大原大明神(2025年に公開予定の私のNOTE)の直作であることから、この名前がついたと推測されている
私のNOTEは次の通り。(https://note.com/yanma_travel/n/n85c445f467f6)
7. #錦天満宮
創建は、学問の神様・菅原道真ではなく、父・菅原是善の旧邸・菅原院と深く関わっている
903年、大宰府へ左遷された道真が死去
道真の死後、邸宅・菅原院は「歓喜寺」という寺名に改称
1003年、歓喜寺は、嵯峨天皇の皇子で源氏物語のモデル・源融の旧邸・六条河原院へ移転
六条河原院にある塩竈宮に天満大自在天神(菅原道真)が祀られる
1299年、六条河原院跡に京都八幡「善導寺」に寄進、元々あった歓喜寺を合併して六条道場「歓喜光寺」と名称を改めた
同時に、後伏見天皇より「天満宮」の神号を授与された
錦天満宮は歓喜寺(菅原院)に由来しており、後に「菅公聖蹟二十五拝」の第二番に位置づけられた
1587年、豊臣秀吉の都市計画によって、時宗六条道場と称された「歓喜光寺」は錦小路の時宗四条道場「金蓮寺」の敷地に移転
天満宮は以後「錦天満宮」と称され同地に鎮座する
1872年、神仏分離令によって神社が独立し、「歓喜光寺」は東山五条へ移るが神社は残った
私のNOTEは次の通り。(https://note.com/yanma_travel/n/n71cd26a8ac31)
8. #染殿院
808年、弘法大師・空海により創建された
文徳天皇の女御・藤原明子こと「染殿皇后」は、天皇の寵愛を受けながらもなかなか子宝に恵まれなかった
「四条の寺院にご利益のある地蔵菩薩が安置されている」という噂を聞きつけ、17日間願掛けをおこなった。
最終日に懐妊の兆候があり、その後、のちの清和天皇を出産
このことから、寺院を「染殿院」にし、地蔵菩薩を「染殿地蔵」と名が知れ渡る
私のNOTEは次の通り。(https://note.com/yanma_travel/n/nf9171b0bd468)
▼セットで行くところ
通常非公開の場所は抜きます。
#御金神社 :京都府京都市中京区押西洞院町614
もともとは個人の屋敷の敷地内に建てられた「邸内社」だった
外部から参拝に訪れる人が多かったようだ
神社の隣には平安時代から鋳物職人が集まる「釜座通」があり、近くには江戸時代に徳川家康によって設けられた貨幣の鋳造所である「金座」や「銀座」もあった
「金座」「銀座」の廃止後は「お金」を取り扱う両替商も多かった
ということから祭神は鉄系の神様「金山毘古命(カネヤマヒコ)」
カネヤマヒコは吉野山などに祀られているのだが、ビルやマンションが建ち並ぶ京都の中心地に鎮座している
1883年、現在の社殿が建てられた
そんな歴史的背景から「京都の金運アップ」にご利益がある神社となる
金の鳥居は、1711年創業の金箔会社によって作られたもの
手水舎にはザルが用意され、お金も清めることができる
社殿裏の御神木・イチョウは、樹齢200年以上ある
この御神木は、数量限定の「金箔御朱印」のデザインになっており、金箔は伝統職人の手作業のもの
人気授与アイテム「福財布」は売り切れる日があるよう
私のNOTEは次の通り。(https://note.com/yanma_travel/n/n341eb6994d86)
#八坂神社
私のNOTEは次の通り。(https://note.com/yanma_travel/n/n8aca913b4711)
▼旅行記
▽京都10月!通常非公開の社寺公開の月★京都東山⑭中京⑨右京⑯伏見山科⑦下京③
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