源義経と新羅王子「鏡神社/真照寺」【滋賀湖東シリーズ】【湖東シリーズ】【竜王シリーズ】
中仙道の「鏡宿」。鎌倉中期には篠原宿が廃れ、鏡宿が要衝となったとされている。鞍馬から奥州に向かう源義経が滞宿し当地で元服。源頼朝や足利尊氏も宿陣したそうな。「鏡の地」は鞍馬から奥州に向かう牛若丸が元服し「義経」を名乗った土地であるのだ。
変更履歴
2024/03/24 『鎌倉時代を再現 牛若丸が源義経になった地にちなみ滋賀・竜王町で「元服式」大人の証し烏帽子を授かる』の動画追加
2023/11/12 初版
▼HP、アクセス、祭神・本尊と脇時
※後述「▼見どころ」参照
▼見どころ
道の駅「竜王かがみの里」から徒歩で行きました。1174年、牛若丸は京都鞍馬から奥州への旅路、この「鏡の宿」に泊まり境内宮山の岩清水を盥に汲み自ら烏帽子をつけ元服した。鏡神社へ参拝した十六歳の若者は「吾こそは源九郎義経なり」と名乗りをあげて、源氏再興と武運長久を祈願した武将元服の地である。以後岩清水は源義経元服池と称し現在も清水を湛えている。
鏡神社の手前の竹藪にに「お地蔵さん」が。。
▽鏡神社:滋賀県蒲生郡竜王町鏡1289
創立は諸説あるが、垂仁天皇の時代に帰化した新羅国王子・アメノヒホコがこの地に没したのを祀ったことに始まるともいわれている古社。アメノヒホコ(アメノヒボコ)の本宮は出石神社ですね。
御祭神は「天日槍尊」、配祀神は「天津彦根命」と「天目一箇神」。南北朝時代の建築で『日本書紀』にも記されている新羅から来た「天日槍(アメノヒボコ)」を祀る。
→源義経「烏帽子掛けの松」
→拝殿、本殿@重文
本殿に向かう拝殿左には「祓戸神」を祀ります。穢れを落とします。
祭神は新羅王子「天日槍命(アメノヒホコ)」でこの地域の神社のアチコチで出てくる神様。本宮は兵庫県出石の出石神社ですね。また、スサノオとアマテラスの誓約で生まれた「天津彦根命」、「天目一箇神」も祀る。
祭神・アメノヒボコは金工、製陶技術を教えたと伝えられており、アメノヒボコの子・神功皇后と繋がる息長氏(おきながうじ)の地域でもある。 この地に製陶業を興し、村の発展に努めたので祖神として祀られたようだ。湖東は渡来系の氏族が多い気がするな。さて、本殿@重文は室町中期のもので三間社流造です。
天津彦根命は国造りの大神で、産業開発や農耕商業繁栄の祖神。天目一箇神は天津彦根命の御子で、金属加工や鍛冶などの神。
本殿左右に2社ある。
本団左には、本殿側からオオクニヌシを祀る「守山神社」、大海津見命と金比羅大権現を祀る「大島神社」となっている。
本殿右には、本殿側から天津日高日子邇邇芸命を祀る「若王子神社」、
罔象女命お龍王宮近江貴船大神と天満宮別霊菅原道真公を祀る「雨宮神社」となっている。
→湯立ての神事
→八幡神社
八幡神社は応神天皇と源義経を祀る。八幡神=源氏ということですよね。
鏡山の山頂にタカオカミを祀る「龍王宮(貴船神社)」が鎮座する。推古天皇の御代に雨の神・八大龍王を祀ったことに始まりで、 598年に聖徳太子によって建立されたと伝えられる箱石雲冠寺の鎮守であったとされる。そして、大正時代にこの霊山で訓練をした歴史がある。
→とがらい祭
→鎌倉時代の成人式
▽真照寺
鏡神社の神官・鏡王の娘が額田王や鏡王女で、鏡王は壬申の乱で大海人皇子側で戦死したので、この真照寺に葬られたそう。
▼旅行記
▼セットで行くところ
▼仏像展
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