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神として生きた女性

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中山みきという人の伝記を書こうとしています。
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#中山みき

「まんが おやさま」を読み直す 11/48 足達照之丞の話 後編

「まんが おやさま」を読み直す 11/48 足達照之丞の話 後編

この話を5歳の時に読んでしまった当時の私の気持ちというものを、想像してみてほしい。中山みきという人は、何とひどい人なのだろうと思った。こわい人なのだろうと思った。今までずっと、中山みきという人はやさしい人だ、何でも許してくれる人だというイメージを植えつけられてきたわけだけど、その「正体」はこんな人だったのかと、連載一年目にしていきなり手のひらを返されたような気がした。

子どもの頃の一年間というの

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「まんが おやさま」を読み直す 10/48 足達照之丞の話 前編

「まんが おやさま」を読み直す 10/48 足達照之丞の話 前編

「まんが おやさま」の10回目。当時5歳だった私に精神的外傷とも言うべき巨大なショックを植えつけた「足達照之丞」のエピソードの前編に当たっているのだが、本当に怖かったのはこの次の号に掲載された話を読んだ時のことだったので、その恐怖の内容については今回はまだ触れないことにしておく。しかしながら今になって読み返してみて、当時の私は決定的なことがまだ何も起こっていないこの号の時点においても、充分な恐怖を

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「教祖絵伝」を読み直す 3/25 「五重相伝から舅·姑の出直し、秀司·おまさ·おやすの出産まで」

「教祖絵伝」を読み直す 3/25 「五重相伝から舅·姑の出直し、秀司·おまさ·おやすの出産まで」

平田弘史さんの作画による「教祖絵伝」の読み直しも、順を追って進めて行きたい。「まんが おやさま」の中で取りあげられていなかったエピソードの中で特筆すべきは、中山みきという人が中山家に嫁いで6年目の19歳の時に、現在天理高校になっている場所の南側に位置する勾田村の善福寺という寺で、浄土宗の秘儀とされている「五重相伝」を受けた時の様子が描かれていることだと思う。このことは善福寺の記録にも残されており、

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「まんが おやさま」を読み直す 9/48 人だすけの逸話2

「まんが おやさま」を読み直す 9/48 人だすけの逸話2

「まんが おやさま」を読み直す企画の9回目。作画者のとみ新蔵さんは、この回を描く時、かなりの葛藤を抱えながらも、真摯な気持ちで原稿と向き合われたのだろうなということが、伝わってくる気がした。貧乏に苦しみながらも、必死に突っ張って生きている人間の気持ちというものを、この人は「知っている」人だ、と感じたからである。それにも関わらず、この回における「乞食のおばさん」の描かれ方は差別的であると、私には感じ

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「まんが おやさま」を読み直す 8/48 人だすけの逸話1

「まんが おやさま」を読み直す 8/48 人だすけの逸話1

1983年10月に「リトルマガジン天理少年」に掲載された、「まんが おやさま」の第8回。前回までの「おかのさん」のエピソードとも合わせ、中山みきという人は本当に「何でも許してくれる人」だったのだな、というイメージが、子どもだった私の中にも深く刻みつけられたことを覚えている。しかしながら、史実を正確に検証しようと思うなら、庄屋の役こそ務めていても「辛うじて自作農」と言える程度の家だったという当時の中

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「まんが おやさま」を読み直す 7/48 「かの」の話 後編

「まんが おやさま」を読み直す 7/48 「かの」の話 後編

「アッ!おかのがみきの食事に毒を!!」ではないだろうと思った。おかのさんがどうしてそこまでのことをしなければならなかったのか、5歳だった私には全く理解できなかった。「池の鯉が苦しそうにもがいて死んだ」という冷酷な描写が、ものすごく怖かった。「みきが死ぬことに比べたら、鯉が死ぬことなど取るに足らないこと」というのは、多分オトナの感覚なのだろう。子どもだった私には、そうは思えなかった。生き物の命がひと

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「まんが おやさま」を読み直す 6/48 「かの」の話 前編

「まんが おやさま」を読み直す 6/48 「かの」の話 前編

最初に書いておくのだけれど、今回から2回に渡って展開される「おかの」という少女をめぐるエピソードは、「何から何まで作り話」である可能性が極めて高い逸話である。初出はおそらく、中山みきという人の外孫で、彼女の死後に神道天理教会の管長に就任し、「初代真柱」と呼ばれた中山眞之亮氏が「明治31年」の日付で書き残した「教祖様御伝」と呼ばれる文書であり、その内容があまりにドラマチックであるためだろうか、渡辺霞

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「まんが おやさま」を読み直す 5/48 「はたらく=傍楽」の逸話など

「まんが おやさま」を読み直す 5/48 「はたらく=傍楽」の逸話など

「まんが おやさま」の第5回。後に世のため人のために無償で「ひのきしん」にいそしむ信者さんたちの姿に触れて、「天理教はスゴい」と感銘を受けた松下幸之助という人が、自分の言葉のように折に触れて引用していた「働くとは傍々の人を楽にさせること」という有名な言葉が、この回では早くも登場している。もっとも、「経営の神様」と呼ばれていた松下氏のような人の視点からするならば、「周りの人が幸せになってくれるなら給

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「教祖絵伝」を読み直す 2/25 「御入嫁から三十振袖まで」

「教祖絵伝」を読み直す 2/25 「御入嫁から三十振袖まで」

とみ新蔵さん作画の「まんが おやさま」と歩調を合わせて、平田弘史さん作画の「教祖絵伝」を読み直す企画も着実に進めて行きたい。実は本日2024年4月9日までの期限つきで、平田弘史さんの代表作「薩摩義士伝」の第一巻を無料で読めるキャンペーンが某サイトで実施されており、先ほどまで読みふけっていたのだったが、本当に迫力のある絵を描かれる方だったということに、改めて圧倒されている。中山みきという人の伝記を書

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「まんが おやさま」を読み直す 4/48 中山家のこと

「まんが おやさま」を読み直す 4/48 中山家のこと

1983年6月発行の「天理少年7月号」に掲載された「まんが おやさま」第4回では、前川家から中山家に嫁いだ当初の中山みきという人の姿が描かれている。(ただし史実としては、文化3年のこの時の時点では両家とも苗字を名乗ることを正式には許されていないので、「前川家」「中山家」は便宜的な表記となる)。「稿本教祖伝」ではこの頃のことが

…といった風に、ひたすら「教祖中山みき」へのお追従のような言葉でのみ語

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「教祖絵伝」を読み返す 1/25 「御誕生から御入嫁まで」

「教祖絵伝」を読み返す 1/25 「御誕生から御入嫁まで」

NHKの連ドラで「おしん」が始まり、千葉では東京ディズニーランドが開業した1983年、当時4歳だった私は、母親の実家に毎月訪れる天理教の教会の会長さんが持ってきてくれた「天理少年」という雑誌を通じて、中山みきという人と初めて出会った。という話をこのシリーズの冒頭ではさせてもらったわけだが、会長さんが持ってきてくれる天理教関係の印刷物は、他にもいろいろあった。「天理時報」という新聞に、中高生向けの「

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「まんが おやさま」を読み返す 3/48 嫁入り

「まんが おやさま」を読み返す 3/48 嫁入り

1983年3月に「自分と同じ年頃の女の子」として私の前に現れた中山みきという人が、2ヶ月後の5月にはもう「お嫁入り」である。読んでいた私は4歳のままだったわけだが、当時の自分に流れていた時間は、オトナになった今とは比べ物にならないぐらい、ゆっくりしていた。マンガの中の「みきちゃん」が物凄い勢いで年をとっていくことにも、特に違和感は感じていなかったように思う。母の実家にいた私のイトコの姉ちゃんが、そ

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「まんが おやさま」を読み返す 2/48 「慈悲の少女」

「まんが おやさま」を読み返す 2/48 「慈悲の少女」

「リトルマガジン 天理少年」1983年5月号に掲載された、とみ新蔵さん作画の「まんが おやさま」の2回目。ちょうどNHKの連続テレビ小説で「おしん」が始まり、東京ディズニーランド開園のニュースが賑やかだった頃に私はこれを読んでいたのだな、ということを、Wikipediaの「1983年の日本」の項目を読んで、今さらのように再確認させられている。「天理少年」が手元に届く時にはいつも実際の日付より1ヶ月

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「まんが おやさま」を読み直す 1/48 誕生

「まんが おやさま」を読み直す 1/48 誕生

前回の記事で予告した通り、今回からは1983年春から1987年の初旬にかけて、天理教少年会の機関誌「リトルマガジン 天理少年」に連載されていた、とみ新蔵さん作画の「まんが おやさま」を読み返すことを通して、中山みきという人が通った「道すがら」を再検証してゆく作業に入って行くことにしたい。

今回紹介させて頂いた第1回が「天理少年」に掲載されたのは私が4歳だった時のことで、これを読んだ時のことは、割

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