借り物の時間の中で

人間というは身は借りもの。 心ひとつが我がのもの。

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「教祖絵伝」を読み直す 6/25 「立教」再考その2

天理教という宗教は、「中山秀司という人の足痛」から始まったということが伝えられている。この「秀司の足痛」を治すために行われた「寄加持」をきっかけに、その母親の中山みきという人に「神憑り」が起こり、「元の神·実の神」と名乗る「神」が「世界いちれつをたすけるため」に「みきを神のやしろに貰い受けたい」という要求を発したのに対し、彼女の夫の善兵衛という人がこれを受諾したことから、天理教の歴史は始まったのだという。このことは天理教の人々の間では「常識」となっている話であり、「天理教教典

    • 「教祖絵伝」を読み直す 5/25 「立教」再考その1

      天理教という宗教の「立教」にまつわる物語として現在に至るまで語り伝えられている一連のストーリーは、その中で中山みきという人の口を通じて伝えられた「神の言葉」とされている様々な文言まで含め、大部分が中山秀司という人によって「作られた話」であり、そこに真実の要素はほとんど含まれていないというのが自分の見解である。ということを前回の記事で私は書いた。 けれども「立教」、すなわち天保9年の旧暦10月に「中山みきという人が神として生きることを人々の前で宣言した出来事」は、まぎれもなく

      • 「まんが おやさま」を読み直す 15/48 「立教」その4

        …ああ、話の展開が早すぎる。「立教」という出来事にはいつの間にか「決着」がついてしまい、「内倉でナムテンリオウノミコト」の話から「貧に落ち切れ」の話まで、ものすごい勢いで物語が動き始めている。私は中山みきという人は「ナムテンリオウノミコト」という言葉は絶対に使っていなかったはずだと思っているし、「貧に落ち切れ」というのは「状況を受け入れるための言葉」として口にしてはいたかもしれないが、彼女が自ら積極的に「貧に落ち切るための行動」をとった事実はなかったはずだと思っている。けれど

        • 「まんが おやさま」を読み直す 14/48 「立教」その3

          「われは元の神 実の神である」と、「顔のなくなったみきさん」が「神の言葉」を語り始めるシーン、子どもの頃に読んだ時は、とにかくひたすら怖かった。人間に「神」が入り込むと顔がなくなる、という絵画表現の手法は、誰が考えたのか知らないけれど、異様な説得力があると今でも感じる。1970年代から現在に至るまでずっと続いている「ガラスの仮面」という演劇マンガがあって、私はこれが大好きなのだけど、このマンガでは登場人物の演技やそれに向けた努力が神がかってくると「白目」になるという演出が繰り

        「教祖絵伝」を読み直す 6/25 「立教」再考その2

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        • 神として生きた女性
          26本

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          「まんが おやさま」を読み直す 13/48 「立教」その2

          「このあと、いったい何が起こるのか!?」という欄外のアオリの文字に、読んだ当時幼稚園児だった私がどれだけ心臓をドキドキさせたかは遠い記憶の彼方の出来事なのだが、オトナになった今の私は、そもそもこの「寄加持」というのは「本当にあったこと」なのだろうかということから、検証し直してみなければならない必要を感じている。 それというのも、前回「石上明神の洗い場の石を踏んだタタリ」云々というセリフが出てきた時点で言及しておくべき話だったのだが、実際に長滝村で聞き取り調査を行なったところ

          「まんが おやさま」を読み直す 13/48 「立教」その2

          「まんが おやさま」を読み直す 12/48 「立教」その1

          中山みきという人の伝記を書くにあたって最も謎に包まれた部分である「立教」と呼ばれる出来事が「何」であったのかを考察する作業に、今回からは入って行くことになる。本当ならば「検証」と書きたいところなのだが、「検証」をやれるほどの材料、すなわち何が史実であったかを客観的に証明できるような資料が余りにも不足しているため、今の私にやれることは「考察」がせいぜいであることを、あらかじめお断りしておきたい。もっと正直なところを書かせてもらうなら、私自身はこの問題について、いまだ「自分の答え

          「まんが おやさま」を読み直す 12/48 「立教」その1

          「教祖絵伝」を読み直す 4/25 足達照之丞の話 再考

          前回では、中山みきという人にまつわる伝承の中で最も理不尽だと私が感じてきた「足達照之丞」のエピソードについて、幼い頃から溜め込んできた疑念を全部吐き出させてもらったわけなのだが、いまだに釈然としないのは、どうしてこのような「誰も幸せにしない作り話」が、天理教の信者さんたちには長年にわたって大切にされ続けてきたのか、もっと言うなら、愛され続けてきたのか、ということである。この逸話は平田弘史さんの「教祖絵伝」においても、一回分を丸々使って取りあげられているわけだが、この回に向けて

          「教祖絵伝」を読み直す 4/25 足達照之丞の話 再考

          「まんが おやさま」を読み直す 11/48 足達照之丞の話 後編

          この話を5歳の時に読んでしまった当時の私の気持ちというものを、想像してみてほしい。中山みきという人は、何とひどい人なのだろうと思った。こわい人なのだろうと思った。今までずっと、中山みきという人はやさしい人だ、何でも許してくれる人だというイメージを植えつけられてきたわけだけど、その「正体」はこんな人だったのかと、連載一年目にしていきなり手のひらを返されたような気がした。 子どもの頃の一年間というのは、長かったのである。この連載が始まった当初の「天理少年」編集部と、作画者のとみ

          「まんが おやさま」を読み直す 11/48 足達照之丞の話 後編

          「まんが おやさま」を読み直す 10/48 足達照之丞の話 前編

          「まんが おやさま」の10回目。当時5歳だった私に精神的外傷とも言うべき巨大なショックを植えつけた「足達照之丞」のエピソードの前編に当たっているのだが、本当に怖かったのはこの次の号に掲載された話を読んだ時のことだったので、その恐怖の内容については今回はまだ触れないことにしておく。しかしながら今になって読み返してみて、当時の私は決定的なことがまだ何も起こっていないこの号の時点においても、充分な恐怖を味あわされていたという記憶がまざまざと蘇ってくるのを感じた。 何しろ、当時5歳

          「まんが おやさま」を読み直す 10/48 足達照之丞の話 前編

          「教祖絵伝」を読み直す 3/25 「五重相伝から舅·姑の出直し、秀司·おまさ·おやすの出産まで」

          平田弘史さんの作画による「教祖絵伝」の読み直しも、順を追って進めて行きたい。「まんが おやさま」の中で取りあげられていなかったエピソードの中で特筆すべきは、中山みきという人が中山家に嫁いで6年目の19歳の時に、現在天理高校になっている場所の南側に位置する勾田村の善福寺という寺で、浄土宗の秘儀とされている「五重相伝」を受けた時の様子が描かれていることだと思う。このことは善福寺の記録にも残されており、彼女が人生の早い時期から強い宗教心を持った人だったことを窺い知ることのできる、数

          「教祖絵伝」を読み直す 3/25 「五重相伝から舅·姑の出直し、秀司·おまさ·おやすの出産まで」

          「まんが おやさま」を読み直す 9/48 人だすけの逸話2

          「まんが おやさま」を読み直す企画の9回目。作画者のとみ新蔵さんは、この回を描く時、かなりの葛藤を抱えながらも、真摯な気持ちで原稿と向き合われたのだろうなということが、伝わってくる気がした。貧乏に苦しみながらも、必死に突っ張って生きている人間の気持ちというものを、この人は「知っている」人だ、と感じたからである。それにも関わらず、この回における「乞食のおばさん」の描かれ方は差別的であると、私には感じられてならなかった。このことは結局、「乞食」と呼ばれている人たちに対するリトルマ

          「まんが おやさま」を読み直す 9/48 人だすけの逸話2

          「まんが おやさま」を読み直す 8/48 人だすけの逸話1

          1983年10月に「リトルマガジン天理少年」に掲載された、「まんが おやさま」の第8回。前回までの「おかのさん」のエピソードとも合わせ、中山みきという人は本当に「何でも許してくれる人」だったのだな、というイメージが、子どもだった私の中にも深く刻みつけられたことを覚えている。しかしながら、史実を正確に検証しようと思うなら、庄屋の役こそ務めていても「辛うじて自作農」と言える程度の家だったという当時の中山家には、使用人や小作人の存在はもとより、盗みに入るべき「米蔵」さえ本当に存在し

          「まんが おやさま」を読み直す 8/48 人だすけの逸話1

          「まんが おやさま」を読み直す 7/48 「かの」の話 後編

          「アッ!おかのがみきの食事に毒を!!」ではないだろうと思った。おかのさんがどうしてそこまでのことをしなければならなかったのか、5歳だった私には全く理解できなかった。「池の鯉が苦しそうにもがいて死んだ」という冷酷な描写が、ものすごく怖かった。「みきが死ぬことに比べたら、鯉が死ぬことなど取るに足らないこと」というのは、多分オトナの感覚なのだろう。子どもだった私には、そうは思えなかった。生き物の命がひとつ奪われてしまったことで、おかのさんという人は越えてはならない一線を越えてしまっ

          「まんが おやさま」を読み直す 7/48 「かの」の話 後編

          「まんが おやさま」を読み直す 6/48 「かの」の話 前編

          最初に書いておくのだけれど、今回から2回に渡って展開される「おかの」という少女をめぐるエピソードは、「何から何まで作り話」である可能性が極めて高い逸話である。初出はおそらく、中山みきという人の外孫で、彼女の死後に神道天理教会の管長に就任し、「初代真柱」と呼ばれた中山眞之亮氏が「明治31年」の日付で書き残した「教祖様御伝」と呼ばれる文書であり、その内容があまりにドラマチックであるためだろうか、渡辺霞亭、村松梢風、武者小路実篤といった当時の文人たちによって様々に脚色された形で巷間

          「まんが おやさま」を読み直す 6/48 「かの」の話 前編

          「まんが おやさま」を読み直す 5/48 「はたらく=傍楽」の逸話など

          「まんが おやさま」の第5回。後に世のため人のために無償で「ひのきしん」にいそしむ信者さんたちの姿に触れて、「天理教はスゴい」と感銘を受けた松下幸之助という人が、自分の言葉のように折に触れて引用していた「働くとは傍々の人を楽にさせること」という有名な言葉が、この回では早くも登場している。もっとも、「経営の神様」と呼ばれていた松下氏のような人の視点からするならば、「周りの人が幸せになってくれるなら給料は要らない」と言って無償労働を引き受けてくれる天理教の信者さんのような人たちほ

          「まんが おやさま」を読み直す 5/48 「はたらく=傍楽」の逸話など

          「教祖絵伝」を読み直す 2/25 「御入嫁から三十振袖まで」

          とみ新蔵さん作画の「まんが おやさま」と歩調を合わせて、平田弘史さん作画の「教祖絵伝」を読み直す企画も着実に進めて行きたい。実は本日2024年4月9日までの期限つきで、平田弘史さんの代表作「薩摩義士伝」の第一巻を無料で読めるキャンペーンが某サイトで実施されており、先ほどまで読みふけっていたのだったが、本当に迫力のある絵を描かれる方だったということに、改めて圧倒されている。中山みきという人の伝記を書きたいという決意を私がもう5年早く形にすることができていたなら、生前の平田さんに

          「教祖絵伝」を読み直す 2/25 「御入嫁から三十振袖まで」