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「まんが おやさま」を読み直す 7/48
「アッ!おかのがみきの食事に毒を!!」ではないだろうと思った。おかのさんがどうしてそこまでのことをしなければならなかったのか、5歳だった私には全く理解できなかった。「池の鯉が苦しそうにもがいて死んだ」という冷酷な描写が、ものすごく怖かった。「みきが死ぬことに比べたら、鯉が死ぬことなど取るに足らないこと」というのは、多分オトナの感覚なのだろう。子どもだった私には、そうは思えなかった。生き物の命がひと
もっとみる「教祖絵伝」を読み直す 2/25
とみ新蔵さん作画の「まんが おやさま」と歩調を合わせて、平田弘史さん作画の「教祖絵伝」を読み直す企画も着実に進めて行きたい。実は本日2024年4月9日までの期限つきで、平田弘史さんの代表作「薩摩義士伝」の第一巻を無料で読めるキャンペーンが某サイトで実施されており、先ほどまで読みふけっていたのだったが、本当に迫力のある絵を描かれる方だったということに、改めて圧倒されている。中山みきという人の伝記を書
もっとみる序論1 「信じる」ということについて
天理教という宗教においては、「教祖中山みき」の存在は「神」と同格であり、神聖にして侵すべからざる対象として位置づけられている。天理教と関係ない人間にとっては、世界史の教科書に出てくるシャカやキリストがそうであるのと全く同じように、中山みきという人もまた、単なる「歴史上の一人物」であるにすぎない。
従って、同じ中山みきという人の伝記を書くにしても、天理教という宗教を信じている人間がそれを書くのと、
神として生きた女性 はしがき
中山みきという人の伝記を、私は書こうとしている。
「神として生きた女性」の伝記である。
神の気持ちというものは神にしか分からないものであるだろうし、女性の気持ちというものもまた、女性にしか分からないものであるだろう。私は神でもなければ女性でもない。人間の男として今日まで生きてきたのが私である。
人間で、かつ男性。文字にしてみただけで罪深い印象が漂ってくる自己紹介だと思うし、事実いままでの人生
よふきゆさんがみたいゆへから
戦争が始まって、何も書く気になれなくなった。
それで、本を読んでいた。
声を出して読んでいた。
天理教の歴史の本だった。
宗教に逃げるつもりはない。
けれども、「人間は倒し合うためにでなく助け合うために生まれてきたのだ」という「当たり前のこと」を「当たり前のこと」として私に教えてくれたのが誰だったのかといえば、結局は私につながる人々が「おやさま」と呼んできた、中山みきという人だった、という