見出し画像

序論1 「信じる」ということについて

天理教という宗教においては、「教祖中山みき」の存在は「神」と同格であり、神聖にして侵すべからざる対象として位置づけられている。天理教と関係ない人間にとっては、世界史の教科書に出てくるシャカやキリストがそうであるのと全く同じように、中山みきという人もまた、単なる「歴史上の一人物」であるにすぎない。

従って、同じ中山みきという人の伝記を書くにしても、天理教という宗教を信じている人間がそれを書くのと、そうでない人間がそれを書くのとでは、おのずとその内容が異なってくることになるだろう。

私自身は天理教という宗教を信じているのかというと、ハッキリ言って信じていない。このことは、最初に明らかにしておかなければならないことであると思う。

それでは「神」は信じているのかと聞かれたならば、ハッキリ言えるのは「今まで信じたことはない」ということだけだ。

大体、「天理教を信じる」とか「神を信じる」とか言った場合の「信じる」ということは、どういうことであるのだろう。このことを考えてみたとき、決まって思い出されるエピソードが私にはある。

今から20年以上昔の、私が高校生だった頃のあるお正月、大阪にあった母の実家に親戚中が集まって大宴会を繰り広げていた時に、従兄弟のアッちゃんの娘で当時4歳だったモエちゃんという女の子が、唐突に口を開いたのだった。

「あんなー、私、トトロ信じてるのに、何でトトロ見えへんのん?」

…4歳ぐらいの女の子というのは唐突に何と可愛らしいことを言い出すものなのだろうかと、満場が嘆息した。私もまた嘆息した一人だった。ところが、その微笑ましい雰囲気を切り裂くかのように、私にとっては同じく従姉妹でモエちゃんにとっては伯母さんにあたる、当時小学校の先生をしていたトモちゃんという人が、それに対してニベもなく言い放ったのである。

「そんなもんはな。信じ方が足りんのや!」

…満場は爆笑に包まれたのだったが、コドモとオトナとの間に交わされたこの短いやりとりから、17歳だった当時の私は実に多くのことを学ばされたような気がした。そして後から思い出すたびごとに、これはいかにも「天理教の家らしい会話」だったなという感想が湧きあがってくるのだった。「信じ方が足りない」。そうトモちゃんに言われてしまえば、確かにその通りだとしか言いようのない話なのである。

たとえばあなたがある日、思い詰めたような表情を浮かべた友だちから唐突に

「なあ、おまえ、犬って信じる?」

という質問をぶつけられたとしたら、どう答えるだろうか。答える以前に当惑してしまうのが、普通の反応というものではないだろうか。「犬を信じない人間」がこの世にいると言われても、簡単にそんなことを「信じる」ことなど、できるわけはない。

「おれ、犬信じてるのに、犬見えへんねん」

などと言われた日には、

「ウソをつけーっ!」

という以外にどんな返事の仕方が可能だろうか。いやまあ、その相手は本当に「犬を見たことがない人」であるかもしれないわけではある。とはいえ、少なくとも今この文章を読んでいるあなたは、「犬」というものが「何」であるかを「知って」いる人であると思う。「知って」いるということが「どういうこと」であるのかということもまた、決して素通りできない問題ではあると思うのだけど、とりあえず今は措こう。犬の何たるかを「知って」いるあなたにとって、犬というものを「信じる」とか「信じない」とかいうことは、およそ問題になり得ないことであるはずなのである。この世に犬などいないと飽くまで相手が言い張るのであれば、「カドの田中さんのとこの玄関におるから、見てきーさ」とだけ教えてあげれば、それで話は終わるはずだ。何しろあなたはそのことを「知って」いるわけであるのだから。

このように考えてみると、何々について「信じる」とか「信じない」とかいう言葉を口にしたがる人間は、その時点でその何々のことを「信じて」などいないのだ、ということが明らかになると思う。その何々のことを何も知らないから、あるいはそれを本当だと思っていないから、「信じる」とか「信じない」とかいうことが問題になってくるわけである。

ということはつまり、「私は天理教を信じている」とかいった言葉をことさらに口にしたがる人間は、その時点で「私は天理教について何も知らない」ということを告白しているのと等しいことになり、「私は神を信じている」と主張してやまない人も同じく、「私は神について何も知りません」ということをアピールしているのと変わらない、という話になる。「そんなことでは、信じ方が足りんのや」と言われても、仕方のない話であるわけなのだ。

席に順序一つの理は、生涯の理を諭す。
生涯の理を諭すには、よく聞き分け。
難しい事は一つも言わん。
どうせこうせこれは言わん、これは言えん。
言わん言えんの理を聞き分けるなら、何かの理も鮮やかという。

天理教に入信した人が、新しい人生の門出にあたって渡される「おかきさげ」と呼ばれる文書の冒頭部分には、上のような一節がある。普通、何かの宗教に入信するような人というのは、神なり仏なり超能力者なりといった自らの信仰の対象から、自分がいかに生きるべきかを教え導いてほしいといったような気持ちで、その宗教の門をくぐるものであると思う。ところが天理教の「神さん」一ーと言うより私にとっては中山みきという人が教えたところの「神さん」一ーは、そうやって自らのもとに寄り集まってきた信者志望の人たちを、

どうしろとかこうしろとかは言わない、そして言えない。

という言葉でいきなり突き放すのである。この点、他の宗教が教えるところの「神さん」とはずいぶん違った「神さん」であるということを昔から感じているのだけれど、この「言わん言えんの理を聞き分けるなら、何かの理も鮮やかという」という言葉が、上段で述べたような

信じるという言葉を言葉として口にしたら、その時点でそれは信じていないのと同じことになってしまう

といった類の事象をも踏まえた上で語られている言葉なのだとしたら、相当に深く考えられたメッセージであるということに、私などは感服せずにいられない気持ちになるのである。もっとも、そのあたりのことを考察の対象にするのは、私がこれから始めて行こうとしている中山みきという人の伝記を書きあげるための作業の工程においては、まだまだ先のことになると思う。今はとりあえず、聞き流しておいてもらいたい。

それで私が先ほど紹介したモエちゃんとトモちゃんの信じる信じないにまつわるエピソードをなぜこの場で取りあげさせてもらったのかという話に戻ると、その時いらい私の中には、

中山みきという人は、我々が犬を信じているのと同じような意味で、「神」というものを信じることができていた人だったのだろうな

というイメージが深々と刻みつけられることになった、ということを今この最初の段階で、読者の皆さんに明らかにしておきたいという気持ちがあるからなのである。このテーマには、これから繰り返し立ち戻ってくることになるだろうと考えている。

ところでそんな風に、「信じる」という言葉を口に出して言うことは、その対象について自分が全く無知であることを自己表白するのと変わらない行為であるという事実を踏まえた上で、それでもやっぱり「信じる」という言葉が「必要」になってしまう場面というものも、人間には往々にして存在する。もうひとつ別のエピソードを紹介させてもらおう。

奈良市で学習塾を経営している私の少年時代からの友人が、ある日の夕方、道の向こう側から、二人の小学生が何やら非常に熱心に語り合いつつ、歩いてくるのとスレ違ったのだという。横を通った時に友人の耳に飛び込んできたのは、こんな言葉だったそうである。

おれ、もういっぺんだけドラえもん信じてみるわ!

…いやもう、前後の会話の流れが知りたくて知りたくてな、と友人は述懐していた。私も、心からそれを知りたいと今でも思う。文脈が分からないので確かなことは言えないわけであるのだけれど、「ドラえもんを信じる」と言い切っているこの小学生に、「そんなんわざわざ口にするということは、おまえがドラえもんのことを本当やと思てへんてことを白状してるのと同じことやぞ」などと「説教」を試みても、この場合まったく無意味であることは明らかだと思う。そんなことはこの小学生にだって、人に言われなくても自分でちゃんと分かっているのである。ドラえもんというものが果たしてこの世にいるものなのか、彼氏にも本当には分からない。あんな夢もこんな夢もみんな叶えてくれるというのは本当なのか、彼氏だって実際には知らない。「それでも自分は本当だと思いたい」という「決意」を、このばあい彼氏は明らかにしているわけなのである。世界に向かってだ。

それを、誰に笑えるだろうか。いやまあ笑う人間もいるのかもしれないが、少なくとも私はそれを笑っていいことだと思わない。相手の真剣さに見合った姿勢で真剣にその叫びと向き合うことが、同じ人間としての正しい態度というものであると思う。

つまるところ、人間にとって「信じる」ということは、

本当であるかどうか分からないことを本当であると思いたいという、ひとつの賭け

に等しい「行為」のことを言うのだと、私は理解している。もとよりそれは、「危なっかしい行為」である。けれどもこの「信じる」ということがなければ、どんな夢も初めから叶いはしないし、パチンコだって当たらないことだろう。世界のすべては神がつくったものであり、その世界で何が起こるかということもすべては神によってあらかじめ決められている、というのは、キリスト教で言うところの「予定調和」という考え方であるわけだが、もしもその「神によってこれから起こると決められていること」が人間にも初めからすべて「分かって」しまっているものだとしたら、人間には「生きるよろこび」と言えるようなことなど、何もなくなってしまうのではないだろうか。

人生のすべてに絶望してしまった人が、「私にはもう何を信じていいのか分からなくなってしまった」という言葉を口にするのを、我々はしばしば耳にする。世の中は人間にとって、そもそも「分からないことだらけ」なのである。そんなことは、何も知らずに生きてきた子どもの頃から、誰にだって「分かって」いる。それにも関わらず「何か」を「本当である」と「信じる」ことに「賭けて」しか、人間というものは生きて行くことができないように作られている生き物であるのだと思う。何も「信じる」ことができなくなってしまった人間に待っているものは「絶望」だけなのであり、それに取りつかれてしまったが最後、人間にとって「生きる」ということはそれ自体、「苦痛」以外の何ものでもなくなってしまうものなのである。

その「絶望」を出発点にしつつ、それでも人生というのは生きるに値するものなのか、本当に「信じる」に値する何ものかは果たして世界に存在しているものなのか、といったようなことをいろいろに考察することが、キルケゴールに始まってニーチェやハイデガーに至る一連の「実存主義」の哲学のテーマとなっている。といったようなことを聞いている。私もあまり真面目に読んだことはないのだが、そもそもそういった方面のことには、昔から大して興味がない。「宗教みたいだ」と感じるからである。

親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひとの仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土に生るるたねにてやはんべるらん、また 地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもつて存知せざるなり。たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ。

「歎異抄」第二条

浄土真宗という宗教の教祖として位置づけられている親鸞という人は、そんな言葉を残している。

すべてのものは、救われる。私はそのことを、自分の師匠だった法然上人から教わった。法然上人は、「いい人」だった。だから私もそのことを、ひたすらに信じ続けているだけである。仏を念ずることで本当に極楽に往生できるのか、それとも地獄に落ちることになるのか、そんなことは知ったことではない。もし自分が法然上人にだまされていて、念仏した結果、地獄に落ちるようなことになったとしても、それならそれで私には何の後悔もないのだ。

ということを言っているわけである。「信じる」ということは、実にこういうことでなければならないだろうと私は思う。何もかもが「ウソ」であるかもしれない世界に生まれ落ちてしまったそのことの上で、それでも何かを「信じる」ことでしか生きて行けないようにできている人間という生き物は、その意味では実に「不自由」な存在だ。けれどもその人間が「何を」信じて生きて行くのかということだけは、その人が「自由」に決めていいことなのである。

人間の「自由」というものは、究極的にはそこにしか存在しないものだと私は思っている。

中山みきという人の伝記を書きあげるという、先の全く見えない作業の冒頭で、天理教という宗教を自分は信じないということを私がまず書いたのは、そういう意味においてである。「信じていない」と言うよりは、「信じる気が起こらない」のだ。天理教という宗教が「今のような宗教」である限り、少なくとも私は、信じたいとは思わない。と言うよりむしろそれが「宗教」の形をとっている限り、私としては信じる気になれないというのが、現時点における一番正直な気持ちだと言っておきたい。

「神」については、「今までに信じたことがない」としかやはり言えない。若い頃の私は、「そんなもん誰が信じるかい」といったようなことを、聞かれもしないのにウソぶいて回っていたものだった。けれども素直な心で考えるなら、「神」という存在を積極的に否定したいと思うほどの理由も根拠も、私の中には別にない。かと言って「信じる」と言うには、そうしたいと思えるだけの材料があまりにも不足している。つまるところ「神」というものが「いた/あった」として、それが一体「何」であるかということが、今の私には「分からない」のである。だからこの問題は私の中では、ずっと「保留」になっている。

けれども、今から200年近く前の奈良県に、中山みきという女性がいたこと。差別や戦争は人間の本性に根ざしたものではないとその人が教え、その通りに行動し、そのことを通して数えきれないほどの人々を、苦しみから救いあげたこと。そして彼女が差別や戦争を自らの利害とする人間たちの手によってその命を絶たれた後にも、彼女が身をもって示した生き方を自らの「ひながた」とし、自分たちもまた「人だすけ」のために進んでその人生を投げ打とうと決意した無数の人々が、続々と生み出されていったということ。その中には私につながる人々が何人もいて、その人たちが積み重ねてきた営為の上に、今の私はあるのだということ。その事実だけは、私には疑うことができない。

だから私は、中山みきという人を信じている。信用している。心の支えにしている。人間同士がダマし合ったり殺し合ったり、出し抜いたり蹴落としたりするのが「当たり前」であるとされてきた有史以来の世界にあって、そんな世界を「終わらせる」ためにあれほどのことをやってみせた女性が、ほんの2世紀前の私の故郷には、いたわけなのである。彼女の貫いた生きざまを前にして、それを裏切るようなことだけは、私には絶対にできないと思っている。

できることなら「信じる」などという頼りない言葉ではなく、この伝記を書き終える頃には中山みきという人のことを「知っている」と言える人間になっていたいものだと、思わずにはいられない。しかしいくら思ってもそれだけは、叶わない願いであることだろう。「教祖存命の理」ということが天理教という宗教の内側ではいくら言われていたとしても、中山みきという人は私とは違う時代に生きていた人であり、今ではハッキリと、この世にいない人なのである。

だとしたら、中山みきという人がその言葉と行ないを通して、後の時代に生きる我々に本当に伝えたかったことは何だったのだろうか。信じるに値するものが何もないと思えても仕方ないようなこの世界において、何を「信じて」生きることを、中山みきという人は人々に教えようとしていたのだろうか。それを正しく「知る」ことができなければ、結局私たちは中山みきという人のことを何ひとつ「知らない」まま、「信じる」という言葉でそれを居直って生きるような、情けない人生しか送れないことになってしまうことだろう。

私がこれから書こうとしているのは、そのことを改めて明らかにするための、「神として生きた女性ひと」であるところの、「中山みきという人の伝記」である。

読者の皆さんには、まずそのことを了解しておいてもらいたいと思っている。

サポートしてくださいやなんて、そら自分からは言いにくいです。