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神として生きた女性

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中山みきという人の伝記を書こうとしています。
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「教祖絵伝」を読み直す 5/25 「立教」再考その1

「教祖絵伝」を読み直す 5/25 「立教」再考その1

天理教という宗教の「立教」にまつわる物語として現在に至るまで語り伝えられている一連のストーリーは、その中で中山みきという人の口を通じて伝えられた「神の言葉」とされている様々な文言まで含め、大部分が中山秀司という人によって「作られた話」であり、そこに真実の要素はほとんど含まれていないというのが自分の見解である。ということを前回の記事で私は書いた。

けれども「立教」、すなわち天保9年の旧暦10月に「

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「まんが おやさま」を読み直す 15/48 「立教」その4

「まんが おやさま」を読み直す 15/48 「立教」その4

…ああ、話の展開が早すぎる。「立教」という出来事にはいつの間にか「決着」がついてしまい、「内倉でナムテンリオウノミコト」の話から「貧に落ち切れ」の話まで、ものすごい勢いで物語が動き始めている。私は中山みきという人は「ナムテンリオウノミコト」という言葉は絶対に使っていなかったはずだと思っているし、「貧に落ち切れ」というのは「状況を受け入れるための言葉」として口にしてはいたかもしれないが、彼女が自ら積

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「まんが おやさま」を読み直す 14/48 「立教」その3

「まんが おやさま」を読み直す 14/48 「立教」その3

「われは元の神 実の神である」と、「顔のなくなったみきさん」が「神の言葉」を語り始めるシーン、子どもの頃に読んだ時は、とにかくひたすら怖かった。人間に「神」が入り込むと顔がなくなる、という絵画表現の手法は、誰が考えたのか知らないけれど、異様な説得力があると今でも感じる。1970年代から現在に至るまでずっと続いている「ガラスの仮面」という演劇マンガがあって、私はこれが大好きなのだけど、このマンガでは

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「まんが おやさま」を読み直す 13/48 「立教」その2

「まんが おやさま」を読み直す 13/48 「立教」その2

「このあと、いったい何が起こるのか!?」という欄外のアオリの文字に、読んだ当時幼稚園児だった私がどれだけ心臓をドキドキさせたかは遠い記憶の彼方の出来事なのだが、オトナになった今の私は、そもそもこの「寄加持」というのは「本当にあったこと」なのだろうかということから、検証し直してみなければならない必要を感じている。

それというのも、前回「石上明神の洗い場の石を踏んだタタリ」云々というセリフが出てきた

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「まんが おやさま」を読み直す 12/48 「立教」その1

「まんが おやさま」を読み直す 12/48 「立教」その1

中山みきという人の伝記を書くにあたって最も謎に包まれた部分である「立教」と呼ばれる出来事が「何」であったのかを考察する作業に、今回からは入って行くことになる。本当ならば「検証」と書きたいところなのだが、「検証」をやれるほどの材料、すなわち何が史実であったかを客観的に証明できるような資料が余りにも不足しているため、今の私にやれることは「考察」がせいぜいであることを、あらかじめお断りしておきたい。もっ

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「教祖絵伝」を読み直す 4/25 足達照之丞の話 再考

「教祖絵伝」を読み直す 4/25 足達照之丞の話 再考

前回では、中山みきという人にまつわる伝承の中で最も理不尽だと私が感じてきた「足達照之丞」のエピソードについて、幼い頃から溜め込んできた疑念を全部吐き出させてもらったわけなのだが、いまだに釈然としないのは、どうしてこのような「誰も幸せにしない作り話」が、天理教の信者さんたちには長年にわたって大切にされ続けてきたのか、もっと言うなら、愛され続けてきたのか、ということである。この逸話は平田弘史さんの「教

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「まんが おやさま」を読み直す 11/48 足達照之丞の話 後編

「まんが おやさま」を読み直す 11/48 足達照之丞の話 後編

この話を5歳の時に読んでしまった当時の私の気持ちというものを、想像してみてほしい。中山みきという人は、何とひどい人なのだろうと思った。こわい人なのだろうと思った。今までずっと、中山みきという人はやさしい人だ、何でも許してくれる人だというイメージを植えつけられてきたわけだけど、その「正体」はこんな人だったのかと、連載一年目にしていきなり手のひらを返されたような気がした。

子どもの頃の一年間というの

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「まんが おやさま」を読み直す 10/48 足達照之丞の話 前編

「まんが おやさま」を読み直す 10/48 足達照之丞の話 前編

「まんが おやさま」の10回目。当時5歳だった私に精神的外傷とも言うべき巨大なショックを植えつけた「足達照之丞」のエピソードの前編に当たっているのだが、本当に怖かったのはこの次の号に掲載された話を読んだ時のことだったので、その恐怖の内容については今回はまだ触れないことにしておく。しかしながら今になって読み返してみて、当時の私は決定的なことがまだ何も起こっていないこの号の時点においても、充分な恐怖を

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「教祖絵伝」を読み直す 3/25 「五重相伝から舅·姑の出直し、秀司·おまさ·おやすの出産まで」

「教祖絵伝」を読み直す 3/25 「五重相伝から舅·姑の出直し、秀司·おまさ·おやすの出産まで」

平田弘史さんの作画による「教祖絵伝」の読み直しも、順を追って進めて行きたい。「まんが おやさま」の中で取りあげられていなかったエピソードの中で特筆すべきは、中山みきという人が中山家に嫁いで6年目の19歳の時に、現在天理高校になっている場所の南側に位置する勾田村の善福寺という寺で、浄土宗の秘儀とされている「五重相伝」を受けた時の様子が描かれていることだと思う。このことは善福寺の記録にも残されており、

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「まんが おやさま」を読み直す 9/48 人だすけの逸話2

「まんが おやさま」を読み直す 9/48 人だすけの逸話2

「まんが おやさま」を読み直す企画の9回目。作画者のとみ新蔵さんは、この回を描く時、かなりの葛藤を抱えながらも、真摯な気持ちで原稿と向き合われたのだろうなということが、伝わってくる気がした。貧乏に苦しみながらも、必死に突っ張って生きている人間の気持ちというものを、この人は「知っている」人だ、と感じたからである。それにも関わらず、この回における「乞食のおばさん」の描かれ方は差別的であると、私には感じ

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「まんが おやさま」を読み直す 8/48 人だすけの逸話1

「まんが おやさま」を読み直す 8/48 人だすけの逸話1

1983年10月に「リトルマガジン天理少年」に掲載された、「まんが おやさま」の第8回。前回までの「おかのさん」のエピソードとも合わせ、中山みきという人は本当に「何でも許してくれる人」だったのだな、というイメージが、子どもだった私の中にも深く刻みつけられたことを覚えている。しかしながら、史実を正確に検証しようと思うなら、庄屋の役こそ務めていても「辛うじて自作農」と言える程度の家だったという当時の中

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「まんが おやさま」を読み直す 7/48 「かの」の話 後編

「まんが おやさま」を読み直す 7/48 「かの」の話 後編

「アッ!おかのがみきの食事に毒を!!」ではないだろうと思った。おかのさんがどうしてそこまでのことをしなければならなかったのか、5歳だった私には全く理解できなかった。「池の鯉が苦しそうにもがいて死んだ」という冷酷な描写が、ものすごく怖かった。「みきが死ぬことに比べたら、鯉が死ぬことなど取るに足らないこと」というのは、多分オトナの感覚なのだろう。子どもだった私には、そうは思えなかった。生き物の命がひと

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「まんが おやさま」を読み直す 6/48 「かの」の話 前編

「まんが おやさま」を読み直す 6/48 「かの」の話 前編

最初に書いておくのだけれど、今回から2回に渡って展開される「おかの」という少女をめぐるエピソードは、「何から何まで作り話」である可能性が極めて高い逸話である。初出はおそらく、中山みきという人の外孫で、彼女の死後に神道天理教会の管長に就任し、「初代真柱」と呼ばれた中山眞之亮氏が「明治31年」の日付で書き残した「教祖様御伝」と呼ばれる文書であり、その内容があまりにドラマチックであるためだろうか、渡辺霞

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「まんが おやさま」を読み直す 5/48 「はたらく=傍楽」の逸話など

「まんが おやさま」を読み直す 5/48 「はたらく=傍楽」の逸話など

「まんが おやさま」の第5回。後に世のため人のために無償で「ひのきしん」にいそしむ信者さんたちの姿に触れて、「天理教はスゴい」と感銘を受けた松下幸之助という人が、自分の言葉のように折に触れて引用していた「働くとは傍々の人を楽にさせること」という有名な言葉が、この回では早くも登場している。もっとも、「経営の神様」と呼ばれていた松下氏のような人の視点からするならば、「周りの人が幸せになってくれるなら給

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