春生まれのひと

記憶を消してきたいろんな痛みをちゃんと思い出にするために言葉にしています。たまに働いて…

春生まれのひと

記憶を消してきたいろんな痛みをちゃんと思い出にするために言葉にしています。たまに働いてる中で感じることも書きます。社会人2年目、23歳。文章を好きと言ってくれる少数の人に励まされてnoteはじめました。

記事一覧

固定された記事

幸せとはなにかということを考える

はじめまして。 春生まれのひと、です。 日々感じたことを言語化して 混沌とした脳内を整理していけたら と、思います。 社会人になって1年が経って、 仕事でもプライベ…

家族の手料理以外の「手料理」を怖いと思っていた

小さい頃から、家族ではない人の手料理を食べる機会が多かった。 当時、それはあまり幸福なことではなかった。 手料理は良くも悪くも、思いが込められすぎている。 親…

誰かに届いてほしいんじゃない、届けたいんだ、と思うのはわたしの知らない感情だった。

周りと同じになろうとして。 なれないのに、なろうとするから苦しんで。 わたしはわたしで生きていきたいとこんなにも強くおもっているのに、やってることが矛盾している…

今までは全部作り物だったんじゃないかと思う。

自分のことがたまに全然わからなくなる。 昔はああだったとかこうだったとか話す機会がある度に、あの頃の自分は本当にそう感じていただろうか、と思う。 人によって自分…

「あ、また、なにかが崩れる音がした。」

なにが違ってしまったんだろう。 どこで変わってしまったんだろう。 当たり前に平和に過ぎる日常を 続けていけていたのに。 電車を待っているときに視界がぐらついた。 …

山梨

長閑で、風景にとても癒された。 ひさしぶりにたくさん写真を撮りたくなり、 たくさん写真を撮った。 (もう文章は見なくて良いから写真を見てくれ、という気持ちです。今…

ものを増やせば恐怖から逃げられると思っていた

きづいたら自分の部屋にものが溢れてた。 ものが溢れてる、と感じるようになった。 服、服、本、ゲーム、服、、、 今まではものだらけの空間に身を置くことで安心してき…

牛肉の生姜焼き

祖母が作ってくれたことが何度かあった。 ( 写真なかったので全然関係ない生肉です。ごめんなさい。) 生姜焼きといえば豚肉であるし、牛肉より豚肉の方が生姜焼きの味の…

迎え入れてくれる場所がある有難さに涙がとまらなかった

昔のことをよく思い出すようになった。 思い出せるようになった。 忘れていたことが幾つもあって。 家に居場所を感じられない子どもだった。 友達の家や、祖父母の家が…

わたしが嘘をつかないのは、嘘で塗り固めたまま生きることの辛さを知っているから

素直だね、とよく言われる。 幼少期の私は真逆だった。 本当の自分で居る瞬間なんて、誰かといる限り1秒たりとも無くて。 でも、そう生きることを決めたのは自分だった…

余裕がある(ように見える)だけで攻撃の対象になる

余裕がある人のことを、人は羨ましいとおもうものなのだろうか。 働いている自分の見られ方について、考える。 私は、頑張っている感を出すのが嫌いだ。 この頑張って…

長風呂のすすめ

お風呂がすき。シャワーはきらい。 お湯に浸かってのんびりするのがすき。 シャワーは最短で早く身体を清潔にするためのものだから、のんびりシャワー浴びることはなくて…

みんなと仲良くなりすぎて、孤独に勝てない自分がいる

10歳の頃の自分の方が孤独でいられた。 習い事ばかりしてた小学生だった。 放課後の遊び方がわからなくなるくらいずっと習い事で予定が埋まってた。 中学も高校も部活を…

山を登った話。

はじめて富士山のぼってきました。 めっちゃ天気悪かった。 修行のようでした。。。笑 雨で写真がぼやぼや。 雨はずっと降ってて、たまに弱くなったり強くなったり。だ…

自分のことゴミみたく言うな。

歩いてたら見つけた言葉に、ハッとした。 道端で誰かがいたずらで貼っただろう、その言葉が書かれたシールを見つけて、それがあまりに不意打ちだったから、足を止めてしま…

沢山話すとどうやら元気に見えるらしい

暇だと話すよね。 そう、あんなにずっと喋り倒したのは暇だったから。 ただ、それだけ。 仕事が絶望的に暇だった。 ひとりで黙々と仕事してるふりをするのも限界がある…

固定された記事

幸せとはなにかということを考える

はじめまして。 春生まれのひと、です。 日々感じたことを言語化して 混沌とした脳内を整理していけたら と、思います。 社会人になって1年が経って、 仕事でもプライベートでも 学生の頃とは違って幅の広い範囲で いろんな人たちと出会う機会があり。 有難いことに、 30代半ばの人たちと仲良くさせてもらい いろんな意見を聞く中で最近よく思うこと。 自分にとっての幸せとはなんなのだろう? 結婚を幸せと思う人もいて、 結婚しない人生を歩んでいきたい人もいて、 大企業が良いだと

家族の手料理以外の「手料理」を怖いと思っていた

小さい頃から、家族ではない人の手料理を食べる機会が多かった。 当時、それはあまり幸福なことではなかった。 手料理は良くも悪くも、思いが込められすぎている。 親戚ではあったけれど、 顔も知らない名前も知らないような人たちが 週替わりで手料理を置きにきた、ときがあった。 おばさんたちはそんな遠い親戚のために、 わざわざ手料理を、それも片道1時間はかかるのに届けにきてくれていた。 しかも、私と兄の2人分。1週間分の夜ご飯を。 今思うとそれは善意以外の何者でもなかった。

誰かに届いてほしいんじゃない、届けたいんだ、と思うのはわたしの知らない感情だった。

周りと同じになろうとして。 なれないのに、なろうとするから苦しんで。 わたしはわたしで生きていきたいとこんなにも強くおもっているのに、やってることが矛盾している。 気づかせてくれる存在がいて。 わたしは、少しずつ変わってきているように思う。 こうやって自分のことを客観視できるのだって、変わったという証拠だ。 自分のために書かなくちゃ、そうしないとわたしは前に進めない、そういう感じでしんどくてしんどくて吐き出すことで、前に進んできた。 そういう文章の綴り方、ではな

今までは全部作り物だったんじゃないかと思う。

自分のことがたまに全然わからなくなる。 昔はああだったとかこうだったとか話す機会がある度に、あの頃の自分は本当にそう感じていただろうか、と思う。 人によって自分を変えすぎていて、 果たしてあの頃の自分は何を思って生きていたのか、振り返ったって1ミリもわからない。 そんな自分が嫌でコンプレックスで。 変えたくて。だから1人になった。 だから、孤独を選んできたのに。 今もそう、 たぶん本当の自分はこう思っているだろう、って自分を他人みたいに扱うときがある。 そんな風

「あ、また、なにかが崩れる音がした。」

なにが違ってしまったんだろう。 どこで変わってしまったんだろう。 当たり前に平和に過ぎる日常を 続けていけていたのに。 電車を待っているときに視界がぐらついた。 なんとか電車に乗った。 いつも乗る電車であるはずなのに わたしは何処へ向かっているのだろうと思う。 ぼんやりとそうやって考えているうちに 降りる駅についてしまう。 身体に染み付いているからか、 向かっている場所がわからないはずなのに ごく自然に、何の疑問も持たず降りる駅だと気づく。 あぁ、おかしい。

山梨

長閑で、風景にとても癒された。 ひさしぶりにたくさん写真を撮りたくなり、 たくさん写真を撮った。 (もう文章は見なくて良いから写真を見てくれ、という気持ちです。今回は全てiPhoneで撮ってVSCOで加工した写真。) かなり自然豊かな秘境。 ずっと川のせせらぎの音がする場所で、 みんなと一緒にわいわいした。 集団に属することに何は無くとも 居心地の悪さを感じてきたから、 みんなそれぞれ違うのに 同じ方向をむいていて 一緒にわいわいしながら頑張れる、 こんなひとたち貴重

ものを増やせば恐怖から逃げられると思っていた

きづいたら自分の部屋にものが溢れてた。 ものが溢れてる、と感じるようになった。 服、服、本、ゲーム、服、、、 今まではものだらけの空間に身を置くことで安心してきた。 だから、私にとっては居心地の良い空間で、 特に負の感情を抱いたことはなかった。 なのに、最近自分の部屋に帰ってきたとき、 すごく居心地が悪くて窮屈で苦しくなった瞬間があった。 それはずっと感じる違和感じゃなくて一瞬で。 あ、自分はもうこのままではいられなくなる。って思った。 今は大丈夫でも、この数週

牛肉の生姜焼き

祖母が作ってくれたことが何度かあった。 ( 写真なかったので全然関係ない生肉です。ごめんなさい。) 生姜焼きといえば豚肉であるし、牛肉より豚肉の方が生姜焼きの味の良さを引き出せると思っているのだけど。 そして、普段なら豚肉の生姜焼きを作る祖母もこのときだけ限定で牛肉の生姜焼きにしたようだった。 12歳の私と14歳の兄のふたり暮らし。 あの期間は50日程度で2ヶ月にも満たなかったけれど、ふたりとも受験勉強をしていたから突然の親のいない生活になかなか順応できなかった。

迎え入れてくれる場所がある有難さに涙がとまらなかった

昔のことをよく思い出すようになった。 思い出せるようになった。 忘れていたことが幾つもあって。 家に居場所を感じられない子どもだった。 友達の家や、祖父母の家が 心安らげる場所だった。 いつでも笑顔で迎え入れてくれて 一緒にごはんを食べさせてくれる。 そんなことが頻繁にあった。 日常の中に私も入れてもらえて溶け込めることが、嬉しかったな。 そうやって、ただいまと帰る場所が幾つもある有り難さを、わたしは今頃やっと感じることができた。 それは働いていても、感じた

わたしが嘘をつかないのは、嘘で塗り固めたまま生きることの辛さを知っているから

素直だね、とよく言われる。 幼少期の私は真逆だった。 本当の自分で居る瞬間なんて、誰かといる限り1秒たりとも無くて。 でも、そう生きることを決めたのは自分だった。 自分で決めたことだから。 わたしはまっすぐぶつかってまっすぐ傷つきにいっただけだった。 本当は、嘘なんてつく必要なかったのかもしれない。 でもそのときはそうすることが最善だと思ってた。そうすることでわたしは相手を守ることができるんだ、って本気で信じてた。 相手を守りたくてつき続けた嘘で、自分がいち

余裕がある(ように見える)だけで攻撃の対象になる

余裕がある人のことを、人は羨ましいとおもうものなのだろうか。 働いている自分の見られ方について、考える。 私は、頑張っている感を出すのが嫌いだ。 この頑張っている感ほどダサいものはないと思う。 余裕ありそうな人と仕事をする方が、安心感があるなぁと思うから。 そういう人と私は仕事がしたいから。 それは、ただ格好付けたいだけというのもあるのだけど。 まぁ、みんなそんなもんでしょ? そんなもんだと思ってる。 ただ私はまだ配属して半年だから、というのと、 2年目だか

長風呂のすすめ

お風呂がすき。シャワーはきらい。 お湯に浸かってのんびりするのがすき。 シャワーは最短で早く身体を清潔にするためのものだから、のんびりシャワー浴びることはなくて。 やっぱりお風呂に浸かりたい。 ひとり暮らしだとお風呂に浸かる機会が、ほとんどない。光熱費かかるとか忙しいとか色々と言い訳つけて、日常的に入らなくなった。 先週末、ひさしぶりに1日ゆったりできたから、ひさしぶりに長風呂した。 2時間くらい。 本と水持ち込んで。 ジップロックに入れたiPhoneと、 B

みんなと仲良くなりすぎて、孤独に勝てない自分がいる

10歳の頃の自分の方が孤独でいられた。 習い事ばかりしてた小学生だった。 放課後の遊び方がわからなくなるくらいずっと習い事で予定が埋まってた。 中学も高校も部活をしてたから同じような生活スタイルで。 専門学校は、降ってくる課題をこなすことに必死で今まで以上に余裕がなくて寝る時間を削ってばかりいた。 遊ぶために外出することがあんまりなかったから、社会人になって遊び方がわからなくて焦った。 はたらいて2年目で、余裕ができて仕事終わりも遊びの予定で埋めるようになった。

山を登った話。

はじめて富士山のぼってきました。 めっちゃ天気悪かった。 修行のようでした。。。笑 雨で写真がぼやぼや。 雨はずっと降ってて、たまに弱くなったり強くなったり。だから、途中から雨による寒さとの戦いだった。 山登る体力は、ゆっくり登ったからそんなに問題じゃなくて、寒さがとにかくつらかったなぁ。 山登り初心者だから、あんまり雨対策していかなくて、レインウェアもそんなに高いのじゃないから長時間の雨に耐えられず浸水してきたりして。 でも、途中でちらっと晴れてくれて見れた景

自分のことゴミみたく言うな。

歩いてたら見つけた言葉に、ハッとした。 道端で誰かがいたずらで貼っただろう、その言葉が書かれたシールを見つけて、それがあまりに不意打ちだったから、足を止めてしまった。 わたしは悩むと、電車に乗る時間が減って歩く時間が増える。 歩きながら考えるのが好き。 ちょうどそのときも、 なにかにひどく悩んでた。 ちゃんと前を見ずに歩いていたのに、その言葉は何故かわたしの目にきちんと、はっきり飛び込んできて、わたしの心にグサグサ刺さった。 自分のことゴミみたく言うな。 ただの

沢山話すとどうやら元気に見えるらしい

暇だと話すよね。 そう、あんなにずっと喋り倒したのは暇だったから。 ただ、それだけ。 仕事が絶望的に暇だった。 ひとりで黙々と仕事してるふりをするのも限界があるし、仲良い社員とも喋りたいし、ぜんぜん用がないのにとりあえず絡みにいって他人の仕事を邪魔しまくった1日だった。 (自分が邪魔されたらブチ切れる) (みんな心が広い。。。) 普段は、仕事に集中してて愛想ゼロ、無口、なので、たしかに普段とギャップは大きかったかもしれない。 上司に突然、 「元気になったね。