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家族の手料理以外の「手料理」を怖いと思っていた

小さい頃から、家族ではない人の手料理を食べる機会が多かった。
当時、それはあまり幸福なことではなかった。



手料理は良くも悪くも、思いが込められすぎている。

親戚ではあったけれど、
顔も知らない名前も知らないような人たちが
週替わりで手料理を置きにきた、ときがあった。


おばさんたちはそんな遠い親戚のために、
わざわざ手料理を、それも片道1時間はかかるのに届けにきてくれていた。

しかも、私と兄の2人分。1週間分の夜ご飯を。


今思うとそれは善意以外の何者でもなかった。

ただ、当時の私は、その思いの強さに圧倒されて受け入れられなくて、
泣きながら、あるいは、泣きそうになりながら食べていた。


誰かの温もりを感じるご飯が怖かった。


だから、手料理は必ずしも嬉しいものではなかった。

私はそのあたたかさに勝手に怯えてしまって
美味しいと思えた瞬間が一度もなかった。


しかし、「家族の手料理以外」というくくりで見たとき、

レトルト食品や外食ではない他人の「手料理」を食べる機会が多かった。

というのは私の人生のなかで幸福な出来事だった、と。
そうやって、ようやく昇華することが出来た。


思い出、はずっと苦しいままではいられないものなんだと思う。

それは、私が心の底でずっとずっと
乗り越えたいと思い続けてきたからなんだと思う。

そういう小さな願いの積み重ねがどんどん積もっていって、
ようやく叶ったということなんだろう、って。


たくさんの人が私を救おうと手を差し伸べてきてくれたなぁ、と
遅すぎると思ってしまうくらい年月が経った今、思った。




そう気づいたのは、
信頼関係を築いている人が私のためにご飯を作ってくれた。
そういう思い出が幾つも出来たから。



周りにいる人たちは、
常にあたたかい人たちだった。

そのやさしさをきちんと受け入れられるようになったこと。
気づけるようになった、ということ。

それは、これからの自分にとって、
とてもとても重要で、嬉しい気づきだった。

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今度は、自分の手料理を大好きな人たちに振る舞いたいな。

料理。勉強しよう。



読んでいただきありがとうございます。共感していただけていたらうれしいです。吐き出したい心の声を言葉にしています。そうやって思い出にする努力、です。