見出し画像

【後編】出来損ないだった僕が、一生をかけて、叶えたい夢。


こんにちは。やまだかいとです。
HR業界で営業マネージャーをしながら、映画、料理、サウナに明け暮れている28歳です。

一週間ぶりに。『僕が一生をかけて叶えたい夢』について後編です。
努力ができず、何も続かない、出来損ないだった僕が、夢を持つまでの半生をつらつらと書くことで、どこかの誰かに勇気を与えられたら。と思い綴っています。

【前編】出来損ないだった僕が、一生をかけて、叶えたい夢。も一緒に見ていただけると嬉しいです。

4.人生の転機、浪人生活

親に頼みこみ始めた浪人生活。新潟の中でも、田舎街に住んでいた僕はビデオ講義タイプの、予備校に通うこととなります。高校の同じクラスだった友達や、サッカー部の友達も複数名”浪人仲間”がいたので、4-5名で一緒に一年を乗り越えるため勉強に励みます。

元々、継続性のない僕は集中力もなく最初は中々勉強に集中もできません。けれど、そんな中、心の支えとなっていたのが、浪人仲間のM君。

M君は、毎日同じ時間に来て集中して勉強に励み、友達の遊びの誘いも断り、ただひたすらに志望校を目指し努力をし続けていました。彼からは、”自分の努力で夢を掴むんだ”という熱量・やり抜く力・信念を感じました。

昼食も、自分で弁当を作って家から持ってきて、できるだけお金も節約し親に迷惑をかけないように。という思いも感じるくらいに。

そんなM君とほぼ毎日同じ時間を過ごしていると、熱量は僕にも伝播し、自分も変わらなくては。応援してくれる人の期待に応えたい。と、次第に思えるようになり、自分の中で本気度が上がっていくのを感じました。

気付けば、

毎朝の弁当作り、夜ご飯も遅くまで一緒に待ってくれる親の存在
夏休みに地元に帰ってきた時に、応援してくれる友達の存在
そして、共に目標に向かって努力する仲間の存在

僕は、多くの人に支えられ、今を生きていることに気づきました。


今までなにか本気になったことがなかったことで気づけなかったのか、自分の周りには多くの人の存在があり、周りがいてこそ自分が存在できる。努力ができる、夢中になれる。

こうして、多くの人に支えられ過ごした365日。
結果は、志望校の合格とはなりませんでした。しかし、
”周りの人の幸せがあってこそ、自分の幸せがある”という価値観と
”なにか一つをやり抜くことの重要さ”をこの一年で学ぶことができました。

継続性のない、自信のない僕にとって、この一年は転機でした。


5.本当の自分との出会い、大学生活

東京の駒澤大学に進学することとなり、新潟の田舎から一人暮らしがスタートします。第一志望ではありませんでしたが、初めて一つのことをやり抜いたことで、自信がでてきた僕の思考は、”どこに行くか”から”何をするか”に早くもキモチを切り替えることができていました。

高校受験の時、聞いていたラジオが好きで(SCHOOL OF LOCK!)マスメディアに就職することに憧れを描いていた僕は、大学の”マスコミュニケーション研究所”という、団体に所属をすることになります。

マスコミュニケーション研究所(現:ジャーナリズム・政策研究所)
新聞・雑誌・映像をつくったり、ディベートやプレゼンテーションなど、4つの部門で活発に活動中。

いずれ、団体の活動の中で、そこそこの活躍をするウチに、3年生の段階で団体の組織長となります。当時の団体は、200名弱人数が居たので、そこそこの規模感。ここでも、たくさんの先輩や同期、後輩たちと触れ合い、様々な価値観に触れ、同じ目標を目指し夢中で活動に取り組みました。

週3回、勉強会と呼ばれるものに参加をし、ひたすらディベートやプレゼンテーションをするという、いわゆる”意識高い系大学生”だったと思います。歴史上ないチャレンジもたくさんしてみたり、時には先輩から僕の節度のない行動で指摘を受けたり。とにかく大学生活のほとんどがここでの活動でした。

多くの人に触れながら、活動に本気になっていると徐々にわかってくることがあります。それは、”人の感情や想い、熱量は周りに伝播する”こと。

一度、忘れない出来事がありました。
私が大学4年の時、当時1年生だった女の子のメンバーから、「ここに入ったのは、海斗さんの説明会の演説を聞いて、入りたいと思ったんです」と言われました。

この団体の活動に、熱量をもって取り組んでいましたし、自分が組織長をするからには、「メンバーの人生の一部を預かること」であることの責任。そして、人生の一部の時間を費やしてくれるからには、「必ず後悔はさせない」という想いと熱量を持っていました。

それが伝わった。と感じた時、初めてに近い”人の心を動かせた感覚”をおぼえました。

当時先輩からもらった指摘・指導もその時は、少し腹が立っても1年後に言っていた意味がわかってきたり、自分の新たな価値観になる。それは、また自分から後輩へと受け継がれ、”1+1>2” みたいな、人と人が繋がることで、いずれ大きな力に変わったりする。


6.心の中に生まれた、夢

高校生活まで、なんの取柄もない、チカラもない僕だったけれど、浪人生活という1年を過ごし、大学生活での多くの活動を経て身をもって体験したこと。それは、

人は、人で変われる。
ということです。

これまでの半生を振り返り、全て自分の人生のターニングポイントには人がいました。だからこそ、人は人とふれあいことでキッカケができる。そして、その本人に”こうなりたい”という意志や、諦めない心があれば、誰だって変われる。

今までたくさんの人に支えられ、生きてきた人生を、生涯を通して周りの人や、その家族に恩返しがしたい。そして、その恩をこれから僕が出会う人にも送りたい。そんな僕にできた夢は、

”恩送りの世界”を創ること

以前、自己紹介の記事でご紹介した、座右の映画『ペイ・フォワード 可能性の王国』がまさにその世界。

この映画に出てくる、恩送り(ペイ・フォワード)の世界とは、

画像1

自分が誰かから受けた恩を、そのまま当人に返すのではなく
これから出会う誰かや、周りの人3人に、恩を送る。
また、その3人も同じく、3人に送る。


これが続いていけば、世界は平和になるよね。という世界。
まさに、この世界を創りたいんです。

僕自身が、多くの人に支えられ、価値観を共有してもらい、学び、今があります。だからこそ、これから僕も勉強し、触れ合ったこの価値観や学びを、多くの人に送り続けたい。

そして、僕と一緒の時間を過ごした人が、少しでも人生が豊かになって、周りの人を幸せにできるような人になれたら、きっと世界は良くなる。

きれいごとで、めちゃくちゃ青臭いことを言っている自覚はあるのですが、僕は本気です。

変わらない人もいれば、変わる人もいる。
変わりたくなければ、変わらないし。
変わりたいと思っても、そうそう変われないってこともある。

でも変えたいと思わなきゃ、何も始まらない。

だから、仕事でもメンバーの人生に本気で向き合います。本人の”こうなりたい”や、”諦めない心”がある限り、人の可能性を誰よりも信じ続けたい。

そのために、今日も、明日も、努力し続けます。そして、僕自身が変化し続け、成長し続けます。


これまで、前編・後編を見てくださった方、本当にありがとうございました!

もし、少しでも共感していただけたら、ご自身の今持っているその想い、熱量をぜひ周りの人に分けてあげてください。

昨日よりも、少し、幸せな世界が広がると思います。


やまだかいと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?