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◆気がついたらスキをつけていた記事まとめ08◆

おれだ。思いがけずバーチャル蠱毒がおおごとになり、ずいぶん首を突っ込んでしまった。やや寝不足だ。おれも忙しいんでアーカイブとか追ってる暇がない。師走だ。まあ、来年になればクッパ姫やキンテレ姫めいて、多くの奴らが忘れちまうだろう。おれも含めて、どれだけ残るかな。

そういうわけで、例のやつだ。不定期といいつつ3日に一度ぐらいのペースになってきてるが、もうちょいペースを落とした方がいいかもな。あまりまとめばかりだと、他人の褌で相撲を取ってる気分もなくはない。迷惑がられるかもしれん。誤解や誤読もあるかもだ。しかし、これもプラクティスだ。インプットし、アウトプットする。呼吸に似ている。潮の干満、月の満ち欠け。そうしたリズムだ。他者を知り、己を知る。事物は常に変容し、君子はパンサーにヘンゲする。は変化だ。乾元亨利貞!

一発目。

ネガティブな作者の裏側にはポジティブな悪魔がいる。おれのとこにもバロン・サムディという変なやつがいて、おれをいろいろ引きずり回す。逆プラの呼び声でnote海やTwitter海に来たのも、紅茶パルプやバーチャル蠱毒に出会ったのも、たぶんそいつのせいだ。そういうことにしておく。陰キャも陽キャもしったことか。人間は太極より生じて陰陽から成り四象八卦六十四爻をなす。ペルソナをチェンジして適当に振る舞え。

二発目。(二発をまとめます)

例のアレがついに完結した。メタなオチになったが、まだ続きそうだ。この人は非実在力士を自由自在に使いこなしている。おれは思いついたら投下しているだけだ。あと二次創作系力士が増えすぎた。

三発目。

アイドルの話だ。おれはデレマスとバーチャル蠱毒のごく一部しか知らないが、明るく華やかなエンターテインメントの世界でも、闘争や闇、駆け引きは絶えない。総選挙ではリアルなカネが飛び交い、傍から見てると面白い。おれはそれも人間のカルマのひとつとして見ているが、まあ醜いものではあるな。おれもテレビでタレントのゴシップとか言い出したら即座にチャンネルを変える。そのニュースがおれの人生になにか益するというのか。

……脱線したが、実際争いは一時は盛り上がっても衰退を生む。みんな仲良しとか虫酸が走るとかゆう厨二病野郎はほっておけ。日常の平穏がどれほどの苦労と危ういバランスの上に成り立っているか、想像力がたりないのだ。スポーツでは勝敗があるが、万事に勝敗を持ち込めば人心は荒れる。おれたちはアイドルに剣や銃や血や死ではなく、基本的には楽しさや安らぎ、癒やしを求めているはずだ。奪い合い掴み合う戦場ではなく、健全に競争し、誰もが愛され肯定される平和な世界を。それはこの地上に作られるべき理想郷だ。たぶんジーザスもそう言っていた。やつもアイドルの一種だ。

四発目。

アメコミの巨匠への追悼文だ。今年も多くの人の訃報を見た。おれはアメコミに全く詳しくないが、ニンジャスレイヤーやダイハードテイルズ作品、日本の漫画作品を通じて間接的には触れている。宇宙忍者ゴームズとかTMNTとかは見たな。とにかくこの記事からは大変な熱量を感じ、おれも少しばかりアメコミに詳しくなった気がする。

五発目。

下の方にこの記事が出ていた時にちょうど99スキだったので、記念すべき100スキ目をつけさせて頂いた。大いなるアイドルマスターシリーズのひとつ、シャイニーカラーズ…シャニマスの話だ。おれは佐久間まゆからデレマスに入っただけでよそのことに疎いが、シャニマスも気にはなっている。

まずとにかくイラストのパワがすごい。デレマスには200人近いアイドルがいるが、その分出番にムラがあり、平等とはいかないし、担当の出番を待つ期間が長い。シャニマスはグッと人数を絞ることで各々に注力している。ゲームとしても、単純に課金で解決するのではなく、実際にアイドルをプロデュースして共に苦労しながら育てるとゆう、古代のアイマスの姿に回帰している。バッドやノーマルが出たら泣き出す腰抜けでは、この海では生き残れない。人間として担当に向き合い、知略を尽くしてサヴァイブする。そうゆうゲームのようだ。ハマるやつはハマるだろう。

六発目。

例の、熱心なバーチューバリストだ。熱心過ぎて業界人の目に止まり、仕事を獲得したという。おめでとう!おれは文筆で仕事をした経験がないので、カネを貰うとなんか書き方が変わってしまいそうだ。というか二次創作とか引用とかが多すぎて、自分でもどうかと思う。趣味の範囲内で動く方がおれは楽でいい。

七発目。

ふと「マキシマムザホルモン」タグで検索していたら、うる星やつらの一コマがヘッダー画像にあったので何事かと思い読んだ。おれは日々YouTube海を回遊して音楽を探しているが、こんなのやってたとは全然知らなかった。なんともユニークなコラボだ。商業主義的だとかいうが、音楽を通して何かを伝えるのはよいことだ。耳から脳みそに伝わり、刷り込まれて残る。ただ広告がかってに出て来るのは押し付けがましくめんどいのでY-Adblock弾の標的にしている。おれはテレビでもCMは見ないのでNHKばかり見る。

八発目。

先日起きた事件がさっそくパルプ小説となった。いい瞬発力だ。おれは大丈夫だったが、こないだTwitterが規制されただけでかなり不便に感じたので、スマホや携帯が、果てはネットが使えなくなればえらいことだ。水や電気と同じく、こうした通信インフラはもはや社会生活に欠かせない。社会や経済の混乱のみならず、バーチャルなんかみたいに物理的に01分解して消滅するかもしれない。軽々しく規制すべきではないだろう。別になければないでどうにかするだろうし、たまに電子世界から距離を置くのも必要だが。

九発目。

アイドルやバーチャルの話ばかりでなんだが、今おれはそれらについてぐるぐる哲学している。ウィクショナリーによれば、バーチャル(virtual)という英語はラテン語のヴィルトゥス(virtus)、力量とか美徳(英:virtue)に遡り、「男(vir)らしさ」「力」が原義だ。これをギリシア語ではアレテー(arete)といい、やはり男性的な力量とか美徳をいう。それは目に見えないが、確かに存在するパワ、真の男らしさだ。よくわかる。

つまりバーチャルアイドルとは、真の男らしさを持つ偶像(idol)であり、哲学的にいうならばイドラ(幻影)だ。ブッダやオーディン、ジーザス、ボンモーや逆噴射先生やニンジャスレイヤーもそうしたものと言えるだろう。たとえイマジナリな存在であろうとも、イメージだからこそ、心に強く働きかける。おれがニンジャスレイヤーでかなりすきなエピはブッダ逮捕だ。シヨンがやってたころにTwitterでやってたので覚えている(ゴッドハンド回もすきだ)。あのブッダはセキトリ=サンを救い、奇跡を起こした。それが全てだ。あれこそが偶像のパワであり、信じる者は事実的に(virtual)救われるのだ。あまり願望を投影し過ぎてボブやセイジになってはならないが。

今は以上だ。また溜まったらやる。

【ひとまずおわり】

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