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無知な健常者 able-bodied but ignorant people

成人してから診断を受け、障害者としての認定をもらった。具体的にはASDの診断と共に、障害者手帳を取得した。2010年頃のことだった。 

それまでは会社組織から逃げ出した若者、ただの無職でしか無かった者が、〝障害者〟として行政から認定を受け、それを前提として色々新たな体験をした。新鮮だった。大学に初めて入学した人がそうであるように、あるいは逮捕された人がそうであるように、自己分析が求められ、また自己紹介を丹念にするように求められ、それをおこなった。新しい専門機関に紹介されるたびに自分の状態を1から話し直さなくてはならない。これは面接であり取調であり診察であり、就職活動にも似ている。

また、私は発達障害者ではあったが、ときおり周囲からの悪気のない配慮が知的障害者や病識の薄い統合失調症患者に対するそれのようにも感じられた(いずれも併発することはあり得ても、発達障害そのものとは異なるもので、また私はいずれの診断も受けていなかった)。ときには、私が自分自身に対して当時困惑していたように困惑したのか、「お前などニセ障害者だ」と言われたこともあった(障害者からも健常者からもあった)。

障害者として就労支援施設のプログラムを受けると、そこでは就労未経験のティーンエイジャーたちと、むしろ管理職や自営業を経験してきたミドルたちがいて、若者の私は孤立感を憶えた。なぜならば、私と同年代の者はみなきちんと働けているからこうした施設には来ないかのように思えたからだ。もっとも、もちろん就労支援施設に通えるのはそれだけ就労に対して障害の程度が軽い状態にある人だけであり、また私は私がいたわずか数ヶ月の一施設のことしか知らないから、このような解釈を一般化できるものかどうかわからない。

というか、むしろ障害者の世界に何も〝一般的〟なものなどないのだ。普通のコースや同世代や先輩達と同じ道をなぞろうとするなんて、自発性に欠けているとときにはバカにしていたこともあったのだが、いったんそこから実際に外れてみると、自分の人生観やロールモデルが〝自由落下〟あるいは〝崩壊〟するのはあっというまだった。また、私は無収入なだけでなく、無規範状態でもあった。というのも、私が内心正しいと信じていたすべての規範は、ただトラブルサムなだけの、人騒がせなだけの、個人的なこだわり、特性、症状だといつでも解釈可能になったからだ。

そして、さらに昔の自分は医療からも行政からも認定を受けていなかったという意味で健常者だったのだが、他の健常者と同じく障害者の境遇にはまったく無知だった。病人や障害者、特に外見に顕著に現れない人々に向けていた私の視線は冷たかった(今でも冷たいかもしれない)。例えば、私はみえない障害者だ。だから黙っていれば相手に障害者だとバレない。原則、障害者であることをカミングアウトしていいことは無い。それでも自分自身を発達障害者だと自己紹介するのは、哀れんでほしいからではない。発達障害者という存在(の一つの実例)を単に認知してほしいからに過ぎない。だいたいこちらに言わせれば、実際には哀れまれることすらないのだ。「ずるい」と言われたり「障害を盾にしやがって」などと言われることのほうが多い。

だから、当然の流れなのかもしれないが、私からは相対的に健常者が無知にみえる。ずっと健常者だった人、ずっと健康だった人は何も知らない。知らないから想像もできない。それだけのことなのだ。障害者は全部いっしょくたに「かわいそうな人」であり、それを自称するのはたとえ事実であっても何か特権の行使であり圧力のように感じるのだろう。慣れていないから、見たことがないから、ニュートラルに接することができないのだろう。

発達障害には想像力の障害が含まれるし、実際私も感受性が貧しく、想像力もたくましいほうではない。感受性の代わりに言葉や数字を積み重ねてどうやらこうらしいと推量するのが関の山だ。それでも長い時間をかけて場数を踏めば、各人各様の事情があるとわかる。或る意味、いったん障害者になれば、上述のようにイヤでも場数は踏まされる。するとどうだろう。想像力の障害がないはずの健常者たちがいかに杜撰(ずさん)な発言をして個別の障害者に八つ当たりしているかがみえてしまう。健常者は健常者同士で豊かな想像力を働かせ、ケアしあい、協力して活動している。しかし、そこから外れた者にはどう反応していいかわからない。だから、想像力に欠け、デリカシーに欠けた私よりも雑な反応をしてしまうのだ。このような現象に私は驚き続けている。

(1,878字、2024.01.07)

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