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(海外)出張がなくなる世界で、失われるもの。

就職活動で大切にしたこと

就職活動をする時、決めていたことが2個あった。
一つは、海外と関わる仕事、もう一つは、英語を使う仕事だった。

今の自分から見ると、典型的な海外好きな大学生の就職活動だ。
もう少し、頭をひねって考えてみてもいいモノだけれど、仕方がない。
とにもかくも、これらの希望を元に、大学卒業後の就職先を探した。

実際に入社してみると、海外出張にいく機会に恵まれた。

初めての出張、ドキドキワクワク

最初に出張した場所は中国。新人の自分がどこまで何ができるのか、航空券の予約から、現地での打ち合わせなど、辿々しい日本語でなんとか対応。

苦い思いもしたけれど、その時の空気感や真摯に話を聞いていただいた方の姿勢は忘れない。現地の中華料理屋さんで食事した味は今も忘れない。

コロナ後の出張、もう戻らない、戻れない。

コロナになってから、出張はめっきり減った。
WSJ(ウォール・ストリートジャーナル)の記事では、今後も「約36%の出張は戻ってこないデータ」もあるという。

その一方で、グーグルはオフィス勤務を積極的に推進している。
(オミクロン株の影響でまだ在宅がつづくらしいが)
それは人と会うことによって、クリエイティブなアイデアが生まれると知っているからかもしれない。


そんな中、今日は「出張がなくなる世界」で何が失われるのか、考えてみたい。

非言語コミュニケーションは、潤滑油。言葉が全てじゃない。

まず考えられるのは、非言語コミュニケーションによる潤滑油がなくなることだ
非言語コミュニケーションとは、「言葉によらない表現による意思疎通」のことだ。身ぶりや素振り、話の内容ではなく、声のトーン、その人の表情、そう言ったものが当てはまる。

一説によると、9割以上が非言語コミュニケーション、つまり話している内容というものは、1割程度しか重要視されていない。そんな統計結果もある。

この非言語コミュニケーションの機会が、出張がなくなることによって、減っていく。

じぶんの経験を振り返ってみても、何度も非言語コミュニケーションに救われてきた。

厳しい現実について、顧客と話している時、ちょっとした仕草で馬が和んだり、疲れが見えたら、休憩してみたり。

そう言った些細な非言語コミュニケーションが、物事を潤滑してきた側面は十分にあるだろう。

もちろん、ZOOMなどに代表されるテレビ電話でも、非言語コミュニケーションができないわけではない。

けれども、実際に人に会う時にみられる、非言語コミュニケーションにはまだまだ辿り着いていないことが現実だ。

出張がなくなることによって、非言語コミュニケーションが補っていた理解力が激減するだろう。

FORBES誌では、「かつてないほど、言語能力が重要になる」という記事が出された。、非言語コミュニケーションの時代から、言語コミュニケーションの時代への転換がされていることを主張している。

もちろん正しいのだろうけれど、今までの人類がやってきた事を考えると、これは非常に大きな変化だと思う。

動画文化に生きる私たちは、伝える少数派と受け取る大多数に別れているから、ここでもかなりの格差が生じることになるだろう。(うまく喋れないけど、愛嬌が良かったり、姿勢が綺麗だったり、雰囲気をなごます存在とか、そういう価値は重要視されなくなるかもしれない。)

思い出づくりが、減ってゆく

非言語コミュニケーションは何も交渉の場に限る話ではない。

実際は、出張に至るまでの道のりで気づく発見や、その準備を通じて得られた体験などが、根こそぎなくなってしまうのだ。

非言語コミュニケーションが果たしていた潤滑油の喪失に加えて、考えられること。それは、思い出づくりの機会が減る事を意味する。

話は脱線するが、僕は常々、「人生は思い出づくり」だと思っている。
どんな嬉しいことも、恥ずかしいこと、悲しいことも、全部そうだ。

自分がやってみて、心と身体で体験した事は、思い出となり、複利がどんどんプラスされて、人生の最期を迎える。そう思っているのだ。

そんなふうに考えると、出張がなくなる世界は、思い出づくりが減る世界となる気がしてならないのだ。

もちろん、国内で面白い事はたくさんあるし、考え方を変えればいい。
そういう意見が出ることも重々承知だ。

けれども、海外が好きで、海外にいきたい、海外で働きたいという人たちのチャンスが消えてしまうのは、とても残念に思う。

もしかしたら、VR(バーチャルリアリティ)で、国境も何もかも関係なくなってしまうのかもしれない。

でも、そうなってしまったら、生きている意味ってなんだろうか?それこそ、マトリックスの世界が待っているような気がしてならないのだ。

コロナで大きく変化したこと、それは出張が、旅が激減する世界。
国内旅行の見直し、日本の再発見には、ポジティブかもしれない。


しかし、海外に行きたい、海外で働きたい。そう言っていた学生の頃の自分を思い出すと、とてつもなく複雑な気持ちだ。

あと数年経って、この記事を見直したとき、この複雑な気持ちは、どうなっているだろうか?そんな想像もしてみるが、今の自分には分からない。

明日やろうは、バカヤロー!

コロナ前までずっと夢見てきた留学を散々先延ばしにしてきた知人がいる。
彼は、退職し、2020年初めにオーストラリアに向かった。

そして、3月にはコロナの影響で日本に戻ってきた。

その彼は

「こんなはずでは」「もっと早くやっておけば」と言った。

・・・・・

難しいけれども、できる可能性、チャンスがあるうちは、まずやってみよう。改めてそう思った。

鉄は熱いうちに打て!ではないけれど、思い立ったら吉日の心構えで、生きてゆきたいものだ。

「いつかやろうは、馬鹿野郎。」

そんな事を言っていた高校の先生を思い出した。

(人生ってのは、永遠ではないし、いつどこで、「まさか」が起こるか分からないから、尚更そうだ。)

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