江戸時代からの食文化を研究しています

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江戸時代からの食文化を研究しています

江戸時代から現代までの食文化を研究しています。 うさぎが大好きです。 https://github.com/kikaineko/masayuki-ioki

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天保10年11月1日(柏崎日記 現代語訳)

午前は曇りでした。14時くらいから晴れで風もありませんでした。 広田のところで結婚式だったので、お菊は朝から手伝いにいっていました。 お向かいの叔母さが留守番で、ちび娘はお守りが遊ばせていました。 私は夕方に帰って、17時くらいにいきました。 婿入りに随分手間取り、19時過ぎに嫁がきました。全員帰ったのが23時くらいでした。 ここ最近、海が荒れて魚が少しも取れていません。寺泊付近から来たそうで値段がずいぶん高いですが、それなりにご馳走がでました。 広田の結婚はそもそも6

    • 天保10年10月30日(柏崎日記 現代語訳)

      昨夜から雨がずっと降っていて、夕方に晴れました。風が強いです。 大神迎えなので、小豆飯、豆腐といものおつゆにしました。 おろく、さいきんは「がぶがぶ*1 」を覚えたので気が向けばよくやっています。厚着なので這い出しはしませんが、気に入った持遊びがあれば、ずっと独り遊びしています。昼間が短いので、昼寝は少しずつ2度で、毎晩21時くらいまで起きています。 おきくは、私の紋付きを揃えようと、子守女に機の横引きさせていますが未だに縦糸ができません。1,2日前からお菊が引きにかかっ

      • 天保10年10月21日(柏崎日記 現代語訳)

        昨夜より大吹雪、霰まじりで木ば屋根なので大変うるさいです。今朝、学校にいくにも大変でした。8時くらいに静かになりましたが、たまに吹き付けてきます。 昼ご飯に帰ると、叔母さがきていてちび娘を抱いてコタツにあたっていました。ちび娘はおとなしく遊んでいました。 学校の帰りに相沢のところによって、この間の礼と桑名のお喜びを申してきました。 昨日は市平に頼んで、このまえ取った大根を雁木のうちにイケてもらいました。春までの汁の具です。先日から新塩引き鮭が売りに来ましたが、まだ高値な

        • 天保10年10月19日(柏崎日記 現代語訳)

          終日雨。 相沢へお菊が呼ばれていきました。相客は山本、金子、栗本、いずれも奥様方でした。 私は暮合に帰ってご飯を食べたところに、相沢より膳部が来たので土産としてやりました。ちょうど欽吾が来たので配分していましたら、外から叔母さが悠が帰ったぜと言われました。それは良かったとすぐに行きました。お菊も呼びにやり、すぐに来ました。 そこから御地の話を聞き、竹の内のご不幸、皆様ご愁傷様のことで、仏さまへ御燈明を上げて拝んでおられました。しかし、悠が間に合ったことは何よりと、とても喜

        天保10年11月1日(柏崎日記 現代語訳)

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        • 天保10年11月(柏崎日記 現代語訳)
          1本
        • 天保10年10月(柏崎日記 現代語訳)
          11本
        • 柏崎日記 雑記
          2本
        • 天保10年3月(桑名日記 現代語訳)
          8本
        • 天保10年2月(桑名日記 現代語訳)
          4本
        • 天保10年9月(柏崎日記 現代語訳)
          3本

        記事

          天保10年10月18日(柏崎日記 現代語訳)

          雨。 17時半に帰りました。 金子とすぐに銭湯へ行って帰ったところ、叔母さとお菊も銭湯に行ったようです。 ちび娘は、この間からだんだんとしっかりしてきています。目もこのごろ大分よくなってきました。夜が長いので、寝飽きて4時ごろに毎晩起きて目を覚まして遊ぶのには困っています。

          天保10年10月18日(柏崎日記 現代語訳)

          天保10年10月11日(柏崎日記 現代語訳)

          上天気、夕方から少し曇り。 今日も事務所は御用が多くて御庄検見調べが全然進まず困ります。 14時くらいに志田の埋葬(取置)がありましたので、名代としてお菊が祭礼に行きました。大窪山焼き場までです。 18時くらいに役所を出て金子と銭湯にいきました。後から叔母さとお菊が連れ立ってこられ、ちび娘は叔母さがいれてくれました。ちび娘は小桶の湯をいじってるのを見て私は上がりました。 前から頼んでいた竈が大久保村よりやっと出来てきました。運ぶのに部屋のもの8人がかりで釣ってもってきま

          天保10年10月11日(柏崎日記 現代語訳)

          天保10年10月9日(柏崎日記 現代語訳)

          快晴で暖かでした。 奉誠講* が無事に済んだので、そのご褒美として、大肝煎、御内用達頭、全部で28人に対して、町会所でお酒とお料理が振る舞われました。係の3人で10時前に町会所にでました。私達は平服でした。 お天気続きなので、魚介類が一杯でかなりのご馳走でした。亭主八杯客三杯だといって、大分飲まされて困りました。17時くらいに帰りました。土産も一杯でした。竹内と山崎に配りました。 10文まんじゅうが20個あって、また鐐子のことを思い出していました。 *** * 奉誠講と

          天保10年10月9日(柏崎日記 現代語訳)

          天保10年10月8日(柏崎日記 現代語訳)

          とても良い天気。 今日はうちの大根取りでした。手伝いは、竹の内の方々に、大竹の娘おとせ、隣の荒井の娘、お菊、部屋番市平でした。市平と子守が運び役で後は洗い役でした。 大根は随分良くできており、250本漬けました。市平が編んで干します。 くず大根も一杯あったので、切り干しにして当座漬けにします。 私は暮合に帰りました。今日の料理は、平にかぼちゃで、汁はいもと豆腐、皿に小アジの煮付けでした。 いけ大根を、竹内に世話してもらって100本くらい作りました。これは地大根なので、

          天保10年10月8日(柏崎日記 現代語訳)

          天保10年10月7日(柏崎日記 現代語訳)

          上天気で暖かでした。 今日は鍵番が大変でしたので、20時くらいに帰りました。 竹内が大根取りでしたので、お菊とお手伝いの女も手伝いました。市平は運んだり、編んで干したりしたので、早くに終わったと言います。 ねりま大根なので、大分よく出来たようです。ちょっと取る時期が早いのですが、盗まれるからといってみんな取り込んでいます。

          天保10年10月7日(柏崎日記 現代語訳)

          天保10年10月6日(柏崎日記 現代語訳)

          時雨、雨と晴れがはっきりしない天気でした。 森伸助が朝4時過ぎに出立するので見送って、下宿のはずれまでいって、そこからすぐに学校に行きました。学校の後に役所に出勤しました。事務所が用事で使われていたので、15時ごろより調べにかかりました*。奉誠講なので、お金の出入りが多くて、鍵番なので甚だ迷惑です 今日から、陣中でところどころ大根とりが始まりました。 宵のうちに、竹内のところに喋りにいきました。 *** * `御取箇調ニ取かかり申候`

          天保10年10月6日(柏崎日記 現代語訳)

          天保10年10月4日(柏崎日記 現代語訳)

          一日曇り、風はありませんでした。 伊藤太右衛門のところで、不用品の競り(せり)がありました。御書院の伊藤宅* なので1日中競り声が聞こえていました。早朝から暮までやって、160万(20両)くらいのものを売ったそうです。もちろん、引っ越しの際に1度処分しているので、今日のモノは日用品や不用品ばかりだったそうです。私は、今、膳椀がないので揃えたいのですが、物入りが多いので見合わせました。 ちょっと前まで、飛ぶ鳥を落とす勢いだったのに、たちまちこの通りなので、とても気の毒です。

          天保10年10月4日(柏崎日記 現代語訳)

          天保10年10月2日(柏崎日記 現代語訳)

          大霜、上天気。 朝、学校へ出て、寒くてふるえて帰りました。 この春に作った着物の袷をお菊が今日天気がいいので、綿入れに張り替えていたようです。 人別扶持に仰せつかったので、昨日の朝から粥を始めました。これからは朝は粥、昼は茶漬け、晩に飯を炊いて汁を付けるようにします。 大根は大分よく出来ましたが、御地のような蕪菜はありません。今年の香の物は、茄子漬けと大根葉ばっかりです。 今日、甲子だったので豆ご飯に八杯豆腐のご馳走でした。

          天保10年10月2日(柏崎日記 現代語訳)

          柏崎日記の著者のお墓参り@柏崎に行きました

          勝手に柏崎日記の現代語訳を始めているので、ご挨拶を兼ねて柏崎日記の著者のお墓参りに柏崎に行ってきました。 今年の柏崎はまだ雪が降っていなかったですし、そこまで寒くなかったのでお墓参りと観光するにはとても良い天気でした。ラッキー!などと独りで浮かれていました。最初は。ところが途中で、雨というか小さな雹が降ってくるわ、強烈な海風に傘をもっていかれそうになるわで大変でした。でもまぁ、雪国にいってあの天気で済んだのはラッキーかもしれません。 着いたのは、お昼時だったのでまずはラン

          柏崎日記の著者のお墓参り@柏崎に行きました

          天保10年3月26日(桑名日記 現代語訳)

          曇り、夕方から雨。 昨日は出産が2軒あったが、産婆が昼過ぎにきた。帯祝いも済んで、ちび娘の夜泣きも少し軽くなった。 (夜泣きのマジナイとして)屋根にあわび貝を上げたのと、小夜の中山夜泣石の側の土留五郎が持っているので、水にいれてかき混ぜ、その水を少し飲ませてやった*。 *** * `小夜の中山夜泣石の側成ル土留五郎所持ニ付貰候而水ニほだて其水を少し呑セる`

          天保10年3月26日(桑名日記 現代語訳)

          天保10年3月22日(桑名日記 現代語訳)

          晴れ。 今日明日で、八幡境内にて、片関相撲がやっていた。鐐之助を連れて行って見せたら喜んだ。大関は伊勢ケ浜。

          天保10年3月22日(桑名日記 現代語訳)

          天保10年3月21日(桑名日記 現代語訳)

          晴れ。 出産から3日目なので、産婆が昼頃に来た。母子とも元気。 栗本が御帳預席くだされ*、柏崎勤務になった。孫兵衛は作助跡の代わりに指名された。 根津崎右ヱ門が寄り合い番になって、お供はみんな番組に指名された。 御口取役、御ぞうり取り役は本郷が指名された。

          天保10年3月21日(桑名日記 現代語訳)