天保10年11月1日(柏崎日記 現代語訳)

午前は曇りでした。14時くらいから晴れで風もありませんでした。

広田のところで結婚式だったので、お菊は朝から手伝いにいっていました。
お向かいの叔母さが留守番で、ちび娘はお守りが遊ばせていました。
私は夕方に帰って、17時くらいにいきました。
婿入りに随分手間取り、19時過ぎに嫁がきました。全員帰ったのが23時くらいでした。

ここ最近、海が荒れて魚が少しも取れていません。寺泊付近から来たそうで値段がずいぶん高いですが、それなりにご馳走がでました。

広田の結婚はそもそも6月頃を予定していたんですが、舅がお叱りを受け桑名にいたので、結局今日になりました。なんですが、清水は当時町人宅住まいで、広田の婿、嶋橋助八郎は郷使なので、ここから嫁をつかわせました。ところが、この嶋橋の家族の3歳の男の子が今日昼前から驚風で、引きつけを起こしてしまい、大騒ぎになりました。とにかく、なかなかうまく行かずで婿入りも延び、舅入も源太夫夫婦だけでした。

広田の客は木村桂蔵、前川鉄蔵、渡部軍右衛門、相沢金大夫、私の5人でした。
仲人は手塚仙之助でした。

嶋橋の騒ぎのせいか、舅も全然元気がなく、そのため特に大酔することなく皆早く帰っていきました。
お菊は25時くらいに帰ってきました。相沢のおさきも手伝いにいってました。

嫁は15歳でまだ恥ずかしくない体ではありません。

今晩より役所は夜鍋が始まりました。私は頼んでませんが。
昨夜宿継の手紙が来ました。

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