Wax.Ogawa

社会参加型アートの示す未来への備忘録。連綿たる断片。「それ」。

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    waxogawaのよしなしごとについて。連ねたる日々。

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最近の記事

占うこと。星を見上げる。あなたへ向かって(第2章)

2月。なぜかいつも、2月がいちばん寒い月のように思える。深夜2時。お茶を淹れるために水道の蛇口をあげる。ボイラーを点灯させればもちろん、暖かい(45度ほどの)湯が出るのだけれど、お茶を淹れることにはおそらく、ほとんど凍りつきそうな水を(流れるたびに私は痛みを感じる)100度にまで沸かすその時間や、あるいは水の量によって左右される、そのときごとの時間の推移をこそ知ることに本質があるのではないかと思う。から、多少の余分な電力や火を用いて、それらの分子の振動を発散させていく。ゆるゆ

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    • niẓḍás

      運命からの審査。答えるべきもの、応答の責任(répondre/responsabilité)。異端審問への反駁。ボイジャー号の男女から拒否された、拒絶された「わたくし」に対する、私の運命へ、応える方法。 多くは知らない。いつもなら四柱推命で今年一年の大運を占うのだが、そんなことをしている暇はなかった。占うひまもなく、運命と人生に巻き込まれている。巻き込んでいる? あの道へ? アポファティックな道。祈らないままに祈ること、そう、デカメロンでの展示テーマ。祈りをしらない人へ祈

      • totally

        Totally okay, totally. 手紙はこれきりだった。どう訳そうか、と思案する。全部大丈夫、全部。まったくかまわない、かまわないから。これっきり。もう次の手紙はなくて(そんな予感はほとんど確信に近くて、totally!)、わたしはずっとこの言葉を抱えていくのだ、と思った。 実際のところ、それを抱えていられる時間はあまりなくて、おっとそういえば、と気付いたときにもう一度抱えなおす程度の、そんなお粗末な覚悟の断片に過ぎないものだった。そのたびにtotallyは非難

        • 震える手紙

          私はあなたを知っていた。いまはあなたの顔をもう清々しく思い出せない。断片的な印象だけが、例えば口角の微かな窪みや、いつも清潔に整えられた眉山だとか、僅かに上を向くその鼻梁だとか、ソマリアの子供が泥水から掬い上げた水晶の破片のような記憶の集積が、私の孤独の周りを衛星として周っている。けれど実のところ、周っているのは衛星ではなくて私の方なのかもしれなかった。あれだけあなたの孤独を知り、コンクリートブロックで擦りむいたその裂傷の大きさを丁寧に測ったにもかかわらず。 そのことについ

        占うこと。星を見上げる。あなたへ向かって(第2章)

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        記事

          綿飴とニューカレドニアで暗殺された首相

          早く夏を抜け出したい。 祈りのように。きれぎれの言葉で。信じること、という。根源を持たないまま信じることを考えても、全ての瞬間でその思考が崩れ去っていくような気がする。 傷をひらく。思い出したくないことと、思い出せないことと。思い出したくないことのなかにも、ひとがそうするように(侮辱や蔑視の匂いで)しむけるものと、自らが執拗におのれへ課す立ち入り禁止の標識がある。 前者によって縛られた記憶はある瞬間に私を苛むが、後者の記憶はどれだけ経っても慣れることはない。けれど、ひと

          綿飴とニューカレドニアで暗殺された首相

          宮崎駿と祖母と、マック。海辺の街から

          しばらくぶりに正常な暑さだった。窓を全開にして緑の中を走り抜け、映画を見に行った。信号に止められるたびに蝉の声が車内に入り込んでくる。木々の向こうに見える公園で親子が遊んでいるのが見える。どの水準であれ正常さはあって、私が気づかないだけなのだ、と思う。触発がいつも複数形で、それを嫌いながら、私自身、いつも複数形の触発に助けられてきたのだ。 * いっしょに過ごしていた祖母は10年前に死んだ。7月10日だった。メニエールに悩まされ、部活の帰りに電柱に寄りかかって倒れた夏だった

          宮崎駿と祖母と、マック。海辺の街から

          無題、しいていえば、無題。

          湿度。まとわりつくような。皮膚。ぐるぐると考えるよりこの頃はしゃきしゃきと考える。というか。それもできない。ぐるぐるしながら結局下にいく。なんだか。ハイフンの問題をずっと考えている気がする。と。と。と。et, et, et.. 2023年ももう半分が過ぎた。接続。比喩。換喩。実際に過ぎたのは半分ではないかもしれないのに。記憶、ひこばえ。冷たい水。日射病。 概念を、意味を、抱えきれない。あれこれと、触手のように系列が伸びていく。雨後の。切断。意味を捉え損なう。今なっているのは

          無題、しいていえば、無題。

          あまb-いにおu-いやr-まいy-(埋sweet-smell-disease葬)

          ときめく、揺蕩う、立ち止まる、離れる。素直に書こう。 ときならずとも 対象にたいして、ずっとときめき続けるというのは、想像以上にエネルギーを費やす行為だと思う。ときめく、という言葉を使わないとしても、例えば「向き合う」とか「興味を持つ」とか「愛する」とか。 その意味では、会話という行為は「あなたに対していつもときめき直すこと」なのだと思う。あなたが次の瞬間に何を語るのか、唇の動きの奥底にあるささやかな憐憫や逡巡や邂逅や後悔や、あまたある感情の破片を知り、ふと現れるその一

          あまb-いにおu-いやr-まいy-(埋sweet-smell-disease葬)

          この夜の気候区分/肉の等高線

          軽やかに覚悟を共有すること。 知り合うことも分かり合うこともないけれど、星雲の色を名指すことは、例えば可能で、 犠牲にする、という言葉をよく考える(深く考える)。 物体運動の第三法則。 努力するという行為は美しさを生むことはあっても、 それ自体が丁寧で美しいだろうか、 たとえば、 ラジオ体操の帰り道に出会った、ドクダミの若葉にやや潰えた球体として残存している朝露の光の透過度など、 予定せぬ偶発性のなかに潜む涙や、 あなたの指を知ったそのときのカーテンがなす、 薄いグ

          この夜の気候区分/肉の等高線

          九段下へ向かう電車のなかで

          ここ3ヶ月ほど考えていることがある。「いいじゃん、めんどくさいし…」という言葉の持つヘテロセクシュアリティについて。飛び飛びの断片から、ほんの少しだけ・少しよりは多く・多くよりは少し。 どこから何を書こうとしたのだろう、悩みながら、ご飯を食べ、あるいはドラマを見たり、本を読んだり… いくつもの断片と継続と中断に引き裂かれながら、どのどれもが根源的に同じ違和をささやく。し損ねることについて。いつも何かをし損ねていて、それゆえに、私たちはまだ何かをしようとしていて、その潜在性を

          九段下へ向かう電車のなかで

          凡庸な革命

          卒論を書いた。書いたというより、書いてはじめて、スタートライン(の少し手前)に立っているような気がする。自分にできないことの感触だけが鮮烈に、例えばユリの茎をばつんと切り落とした時の……アルデハイドやガルバナムの匂いのように……立ち現れている。 1月19日から(搬入は1月16日から)の展示が1月30日で終了した。歌舞伎町デカメロンにて約2週間、走り終えた展示の感触はもうどこかへ過ぎ去っていて、心の底から私自身が「まだ何もできていない」と思っていることの証左だとも知る。展示を

          凡庸な革命

          全てはあとから

          記録はなぜないのだろう? 薄々感じていたが、記録がないのではなく、記録は存在できないのだ。その全てが記録になりうる濃密な出来事の内側にあっては、何事も不可能で、それゆえに全てが可能になっている。記述と言い換えてもいい。一分一秒がその出来事の全てを完膚なきまでに指し示してしまうとき、そこから何事かを純化して、取り出すことはできない。切り取られた断片一つだけでは全く機能せず、出来事の〈一〉性を伝えるためには、その出来事の頭から尻尾まで、あるいは排泄物や消化するものまで、全てを再現

          全てはあとから

          12月をまだ許さない

          sfcのメディアセンター3Fからオメガ館の外壁が見える。西日が鴨池周りの木を照らして、その木漏れ日に似た影がコンクリートに投影されて、モアレのような模様を作り出す。人は生き急いで、むろん私もその一人ではあって、今年と来年の境界線を飾り立てようとしている。忙しい赤と緑の包囲網から抜け出して、透徹した冬の空気の中で、どうしたらよいかわからず、立ち尽くしている。もう十分やったと思うし、同時に何もできていないし、何かをやってすらいない、とも思う。私が動きを止めたとしても、この世界は何

          12月をまだ許さない

          冬の朝が到来して・レモンジャムがない日のこと・政治

          いつものことだ。いつものこと? いつも……そこで湧き起こるさまざまの逡巡は本当にいつもなのだろうか。何かを忘れているような気持ちで、薄ピンクに染まった夢の中を歩く。片付けかけのテーブル、とうに冷め切った紅茶、責め立ててやまない締切、各種の書類、関係項のなかで生きる自分、賞味期限の迫った山型食パン、マーマレード、冷えた足の指先、目が覚める。冬の朝らしい弱い陽光に輪郭を浮かび上がらせるテーブル。羽毛布団にこもった自分の体温はあまりに頼りなくて、もう一度微睡むには寒かった。金沢に住

          冬の朝が到来して・レモンジャムがない日のこと・政治

          朝日の代わりにレモンを、夢の後始末

          意を決して何かを書き始めているうちに、必要に迫られてさまざまの節々、襞の折り目、カーテンの隙間などを探すことになって、いつのまにか膝下までを水に浸していることに気付いたりする。そのときの水温はいつも、たとえば寝付けないときの自分の体温に似ていたりして、妙にぞわぞわする生温さを称えていたりするのだった。それでいてあくまでも透明で、どこまでも覗き込めそうなほど、眼球にぴったりと当てはまっていく。踏み込んだ砂地は存在そのものの確かさを丁寧に私へ返してくれていて、そのおかげで私はここ

          朝日の代わりにレモンを、夢の後始末

          オレンジタルトと話した日のこと

          ある曲を初めて聴くときいつも、それが一度でぴったりするすると調和を持って流れ込むことはない。何度も繰り返し聴くうちに、全体としての緩急、音の流れ込むタイミング、言葉、あらゆる要素がようやくまとまりだして、一つの曲として聴けるようになる。いつも不思議に思う、ある言葉を聞いていて、その内容は覚えていられるのにどうして一言一句覚えていることはできないのだろう、と。それを思い出そうとするたびに常に流れ込んでくる新たなシニフィエがいまのこのフレームを横切って、しまいには絡れあった残滓だ

          オレンジタルトと話した日のこと